ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

マイティー井上死去

2024年11月29日 | プロレス
最近ネットに入れていないので1日遅れで知りました。
国際プロレスから活躍したマイティー井上が75歳で亡くなったと。

マイティーというレスラーの素晴らしさって
プロレスの大まかな仕組みを把握してくると、凄かったなぁと思います。
本人は望んでいなかったのにビリーグラハムを破りIWA世界王者としてエース路線となったり
全日本に移籍してからは、渕がチャボゲレロを破り
NWAインターJrヘビー級王者になると思っていたら何故か王者はマイティー。
チャボとの連戦を見て馬場は渕では、まだまだと思ったのかな?とか。

私が観ていた頃はメインイベント張る事は少なく脇役が多かったですが
(初めてミルマスカラスをTVで見た時対戦相手は鶴田、井上。
私も初めてマイティー井上を観た)
あの奇声を発し手をブンブン回すサマーソルトドロップより
後で見た小技、固め技の多さとか。
オースイスープレックスとかがそうでした。
(あの技をスープレックスというのかな?)
飛びつき腕十字固め、思わぬタイミングでショルダータックルで天龍に勝つとか。

タブレット純がマイティー井上にハマるキッカケとなったこの試合を。




後、マイティーのトークの持ちネタも凄いですね。
ノリの良い言葉数も。
そして日本に入場テーマ曲を持ち込んだ立役者。
アンドレザジャイアントとの友情。
徹底的な新日本プロレス嫌い。
NOAHをリストラされた後は宮崎県(延岡?)へ。
大阪じゃなかったんだ。


ホントは色々、長々と書きたいのですが、また今度。
いやぁ、ショックです。
残念ながら、マイティー井上の試合を生で観れる事は無かった。
トークショーは行きたかったな。

国際プロレスを頑張り盛り上げてきた人が、また亡くなってしまいました。
ご冥福をお祈りします。

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1 コメント

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元IWAチャンプで、マスカラスのIWA王座にも挑戦…。 (凸椪)
2024-11-30 19:20:10
マイティ井上が亡くなったのを聞いた時には、時代の流れを感じました。リングを降りて九州に暮らしていたのは、このブログで知っておりましたが、75才にもなっていたとは驚きでした。もっとも国際プロレスをTV観戦していた頃から視ていたのを考えると納得でしたが、確か阪神のエース江夏豊氏とは同じ大阪学院の出身でマイティの兄が江夏とは同級とテレビで紹介されていたのを覚えています。その頃は本名の「井上末雄」あるいは「井上円蔵」と名乗っていて、当時の国際プロには同じようなキャリアで軽量(?)の寺西・大剛・大磯・田中忠治など“若手”が競い合っていました。テレビ中継ではセミか、辛うじて中継に入るセミ前の試合に出ていたと思います。ストロング小林が退団後に次期エースのR木村までの“繋ぎ”役を務め、その後は国際では専らA浜口とのタッグ戦で活躍していたようです。
大阪出身だけあって金銭にはシビアな面があり、経営難だった国際でもファイトマネーはしっかり貰っていたと聞きました。国際崩壊後には(吸収)合併されるとの話があった新日には馴染めないことから、自らの意思でいち早く全日本へ移籍を決め、主にジュニア戦線で全日若手の“壁”として存在感を示したと…。確か移籍後すぐにマスカラスのIWA世界タイトルに挑戦したのは何かの運命の皮肉のようなものを感じました。
この映像では全日オープン選手権での模様のようですが、国際時代にはエドワード・カーペンティアとの対戦のあったかと思います。その他B・グラハムやビル・ワット、バッションとの試合も観られましたが、体格的なハンデがなければもう少し長くトップを取れたのかと…??
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