ギターやバイオリン等弾かれる方々で
大きな壁にぶつかる速弾きテクニック。
色んなスケールが多々有りますが
弾かれる方皆さんどうでしょうかね?
勿論、全く速弾きを必要としないプレイをされる方も多いと思いますが。
私は高校生になるまで親にエレキギターをやらせて貰えなかったので
(成績良くない受験生。後、エレキは不良)
我流でクラッシックギターの教材で簡単な曲を
ボツボツと練習しておりました。
エレキギターを購入し本格的にギターを始めた時
リニアに動く3連速弾きとライトハンド奏法(タッピング)は出来たのですな。
エディーヴァンヘイレンの「イラプション」の後半タッピング部。
R.I.P.ERUPTION/VAN HALEN
今、コレ全部をスムーズに弾けるか?チト自信ないかも‥。
後、後に書くジェイクEリーの「シークレットルーサー」の
二本指タッピング部。(二本指と理解せず一本指でやってしまいました)
ソロギターで言えば、日本人では高中正義、カシオペアの野呂氏、
そしてラウドネスの高崎晃。高崎信者は相当な数で
「世界の高崎」でしたしね。ヘッドライナーのモトリークルーを喰い
ゲーリームーアの出番がラウドネスの前になった位でしたし。
速弾き王の一人にも数えられたポールギルバートも影響受けてました。
(曲やリフの方かな?)
そして外国人ギターヒーローと云えば
当時はウォーレンデマルティーニ(RATT)、ジェイクEリー(オジーオズボーン)
ジョージリンチ(ドッケン)そして、「俺様」「王者」イングウェイマルムスティーン。
上記の人達でしたな。高中、高崎氏達は一世代前にもなりますが。
周りの同学年にエレキギターをやっている友達が居なかった上
ハードロック、ヘビーメタラーはほぼ皆無でしたので
情報交換の場所が無くて。私の周りはパンクの方が多かった。
当時、「メタルvsパンク」とか喧嘩煽ってましたね。
以前も書きましたが、アイアンメイデンの2人を弾ければ大万歳位の
モチベーションでしたので、ジョージリンチやウォーレンは気にしつつ
イングウェイのギタープレイは何故か全く興味起きず。
巷でイングウェイ弾ければヒーローでしたな。
他のプレイが激ウマの人でもスイープは下手、苦手とか‥。
今でも高等テクニックですが。
今の世代の子達は技巧的には簡単にこなせるの多いですが。
2年前、楽器店で挑発ギタリストに遭遇したのも
リッチーブラックモア→イングウェイ流れの男でしたな。
高校一年生の冬、友人と友人の姉ちゃんカップル達とカバーバンドを組むから
「お前ギター」となった時の曲が、ギター始めて半年で
アースシェーカーだのVOWWOWだのヨーロッパだの。
無茶苦茶でした。
昼休みに放送委員会が流していたのが
浜田麻里の「ブルーレボリューション」
レコーディングギタリストは北島健二や後のBzの松本孝広。
「お前はコレくらい弾けるだろ?」と軽く言う友人。
既にバンドの場数を踏んでいた奴なので簡単に言ってくれる。
あんな流暢な速弾き出来る訳ないのに‥。
流れで「うん」と言ってしまいました。
そしていざオールナイトリハーサルとなり初対面の
年上ベーシストが。
私の酷いプレイとバンドのグダグダな演奏で
「中学生バンドとやった方がマシ!」と怒って帰ってしまいました。
アースシェーカーのフレーズとか、下手な私に耐えられず
そのベーシストがベースで弾いてしまいました。
(ギターも弾けたのだろう)
友人はラウドネスバンド野郎にこき下ろされた!
と怒り悔しがっておりましたが私は凹み自信を無くし、恥ずかしさでいっぱい。
友人にも「お前はちゃんとした人にレッスン受けた方が良い」と言われ
救われたのか?いや、キズに塩塗られたか?
初回の失敗や仕事でも日雇いやってた頃、初日で酷い現場とか
多々有りましたが、どうもその運命の様です。
こういうキツい経験が後の肥やしになるのですねぇ。
その半年後、別の奴とバンド始める時、もう1人のギタリストと三人で会い
如何にもロックンローラーという出で立ちとオーラで
「俺はリズムギターで宜しく」とリズムギタリストで行く覚悟で居たのに
そのもう1人のギタリストが全く速弾き出来ない!と電話して来て
エラい事に。RATT、モトリークルー、WASP、ヴァンヘイレン等
全てのリードを私が担当せねばならず、
恐る恐るスタジオに入ったら何とかなっちゃった‥という。
「お前はちゃんとした人にレッスン受けた方が良い」と言った
半年前、友人が「お前、凄い成長したなぁ!」とベタ褒めしてくれたので
「速弾きコンプレックス」は落ち着きました。
正直、弦を移動するピッキングは適当で勢いだけでしたので
何とかかすらず弾けていたのです。
1年後にはギター上手いバカテクな後輩ギタリストに出会ったので
そいつのプレイを目で盗み参考にさせて貰い、
今、35年弾いていたピッキングを一からやり直し中です。
当時のギター教則本、音源はソノシートレコード。
友人にレコードプレーヤーを借り何度もテープでプレイバック。
それにしても成毛滋が担当していたグレコの教則テープで
練習された方々、ホント天からの贈り物でしたでしょうね。
グレコギター買った人に付いて来たテープなのに
テープだけ欲しい人達の声が上がりテープだけ販売され
成毛滋をお師匠様にされた方もいらっしゃるかと。
それにしても、
皆が一度は陥る「速弾きの壁」
「速弾きコンプレックス」
簡単なタッピングの方が派手に見えるのは困りモノでした。
1音1音のピッキングの響きは大切なのに。
私が壁とコンプレックスを超えたのは1年後でした。
若いから成長早いですが、私はこれでも遅い方かも知れません。
「Fコードの壁」にぶつかる方がかなり多いと思いますが
私はクラッシックギターで練習していたのでエレキに持ち変えたら
小さい私の手でも簡単に弾けていたので「Fコードの壁」は無かったです。
今ではCAGDEシステムを使えばFの音は直ぐ出せますし。
ギターやベースやられている皆さんで
「速弾きの壁」を、どういう風に乗り越えられたのか?
関心在りますね。
大きな壁にぶつかる速弾きテクニック。
色んなスケールが多々有りますが
弾かれる方皆さんどうでしょうかね?
勿論、全く速弾きを必要としないプレイをされる方も多いと思いますが。
私は高校生になるまで親にエレキギターをやらせて貰えなかったので
(成績良くない受験生。後、エレキは不良)
我流でクラッシックギターの教材で簡単な曲を
ボツボツと練習しておりました。
エレキギターを購入し本格的にギターを始めた時
リニアに動く3連速弾きとライトハンド奏法(タッピング)は出来たのですな。
エディーヴァンヘイレンの「イラプション」の後半タッピング部。
R.I.P.ERUPTION/VAN HALEN
今、コレ全部をスムーズに弾けるか?チト自信ないかも‥。
後、後に書くジェイクEリーの「シークレットルーサー」の
二本指タッピング部。(二本指と理解せず一本指でやってしまいました)
ソロギターで言えば、日本人では高中正義、カシオペアの野呂氏、
そしてラウドネスの高崎晃。高崎信者は相当な数で
「世界の高崎」でしたしね。ヘッドライナーのモトリークルーを喰い
ゲーリームーアの出番がラウドネスの前になった位でしたし。
速弾き王の一人にも数えられたポールギルバートも影響受けてました。
(曲やリフの方かな?)
そして外国人ギターヒーローと云えば
当時はウォーレンデマルティーニ(RATT)、ジェイクEリー(オジーオズボーン)
ジョージリンチ(ドッケン)そして、「俺様」「王者」イングウェイマルムスティーン。
上記の人達でしたな。高中、高崎氏達は一世代前にもなりますが。
周りの同学年にエレキギターをやっている友達が居なかった上
ハードロック、ヘビーメタラーはほぼ皆無でしたので
情報交換の場所が無くて。私の周りはパンクの方が多かった。
当時、「メタルvsパンク」とか喧嘩煽ってましたね。
以前も書きましたが、アイアンメイデンの2人を弾ければ大万歳位の
モチベーションでしたので、ジョージリンチやウォーレンは気にしつつ
イングウェイのギタープレイは何故か全く興味起きず。
巷でイングウェイ弾ければヒーローでしたな。
他のプレイが激ウマの人でもスイープは下手、苦手とか‥。
今でも高等テクニックですが。
今の世代の子達は技巧的には簡単にこなせるの多いですが。
2年前、楽器店で挑発ギタリストに遭遇したのも
リッチーブラックモア→イングウェイ流れの男でしたな。
高校一年生の冬、友人と友人の姉ちゃんカップル達とカバーバンドを組むから
「お前ギター」となった時の曲が、ギター始めて半年で
アースシェーカーだのVOWWOWだのヨーロッパだの。
無茶苦茶でした。
昼休みに放送委員会が流していたのが
浜田麻里の「ブルーレボリューション」
レコーディングギタリストは北島健二や後のBzの松本孝広。
「お前はコレくらい弾けるだろ?」と軽く言う友人。
既にバンドの場数を踏んでいた奴なので簡単に言ってくれる。
あんな流暢な速弾き出来る訳ないのに‥。
流れで「うん」と言ってしまいました。
そしていざオールナイトリハーサルとなり初対面の
年上ベーシストが。
私の酷いプレイとバンドのグダグダな演奏で
「中学生バンドとやった方がマシ!」と怒って帰ってしまいました。
アースシェーカーのフレーズとか、下手な私に耐えられず
そのベーシストがベースで弾いてしまいました。
(ギターも弾けたのだろう)
友人はラウドネスバンド野郎にこき下ろされた!
と怒り悔しがっておりましたが私は凹み自信を無くし、恥ずかしさでいっぱい。
友人にも「お前はちゃんとした人にレッスン受けた方が良い」と言われ
救われたのか?いや、キズに塩塗られたか?
初回の失敗や仕事でも日雇いやってた頃、初日で酷い現場とか
多々有りましたが、どうもその運命の様です。
こういうキツい経験が後の肥やしになるのですねぇ。
その半年後、別の奴とバンド始める時、もう1人のギタリストと三人で会い
如何にもロックンローラーという出で立ちとオーラで
「俺はリズムギターで宜しく」とリズムギタリストで行く覚悟で居たのに
そのもう1人のギタリストが全く速弾き出来ない!と電話して来て
エラい事に。RATT、モトリークルー、WASP、ヴァンヘイレン等
全てのリードを私が担当せねばならず、
恐る恐るスタジオに入ったら何とかなっちゃった‥という。
「お前はちゃんとした人にレッスン受けた方が良い」と言った
半年前、友人が「お前、凄い成長したなぁ!」とベタ褒めしてくれたので
「速弾きコンプレックス」は落ち着きました。
正直、弦を移動するピッキングは適当で勢いだけでしたので
何とかかすらず弾けていたのです。
1年後にはギター上手いバカテクな後輩ギタリストに出会ったので
そいつのプレイを目で盗み参考にさせて貰い、
今、35年弾いていたピッキングを一からやり直し中です。
当時のギター教則本、音源はソノシートレコード。
友人にレコードプレーヤーを借り何度もテープでプレイバック。
それにしても成毛滋が担当していたグレコの教則テープで
練習された方々、ホント天からの贈り物でしたでしょうね。
グレコギター買った人に付いて来たテープなのに
テープだけ欲しい人達の声が上がりテープだけ販売され
成毛滋をお師匠様にされた方もいらっしゃるかと。
それにしても、
皆が一度は陥る「速弾きの壁」
「速弾きコンプレックス」
簡単なタッピングの方が派手に見えるのは困りモノでした。
1音1音のピッキングの響きは大切なのに。
私が壁とコンプレックスを超えたのは1年後でした。
若いから成長早いですが、私はこれでも遅い方かも知れません。
「Fコードの壁」にぶつかる方がかなり多いと思いますが
私はクラッシックギターで練習していたのでエレキに持ち変えたら
小さい私の手でも簡単に弾けていたので「Fコードの壁」は無かったです。
今ではCAGDEシステムを使えばFの音は直ぐ出せますし。
ギターやベースやられている皆さんで
「速弾きの壁」を、どういう風に乗り越えられたのか?
関心在りますね。
ん~、解ります。今は私自身のスタイルのような物もありますし、それほどテクニカルな演奏をする訳でもありませんが、いざとなった時に対応出来るレベルの最低限のフルピッキング・スキルは保つよう、腕が錆びつかないように努めているつもりです。
昔はもっとずっとテクニックが大切だったので、正直言えば他のギタリストと同じステージ/スタジオにいるだけで怖くて仕方なかったです。自分以外の人は、皆自分以上の人に見えました。時代も時代でしたしね。
しかしSATSUMAさんは良いですねぇ。初めて聴いた当時は「今のエディよりエディっぽい…」と感じたものです。「完コピ」と言ってしまえばそうかもしれませんが、物凄いハイレベルのエンタメとして楽しんでいます。
因みに私もFの壁はありませんでした。あれ、上手くいかない人って大抵人差し指のバレーを力で抑え込もうとしているように感じます。…実際、出来なくてもロックでFのフルコード抑える機会って結構少ないものですし、それほどは困らない気も (^-^)。
逆に速弾きは流暢なのに、単音は驚く程ショボいというパターンも。
ドラマーやボーカリストは暫く演奏から遠ざかると必要な筋肉が直ぐ落ちてしまうので
少なくとも弦楽器は復活ペースが早いかな?
世代的にグランジやメロコアでソロはダサい無い様な風潮も有りましたが
対バンとかでまだまだテクニックな「俺様ギタリスト」は沢山居たので添削されたり
本番後の態度が悪くなったり何だか威圧感有る時も有ったりしましたよね。
90年代に一度テクニカルソロは死んだのか?勘違いだったのかも?ですがそう感じていました。
この方、ご存知でしたか。完コピでモチベーションも高いですよね。
エディーの様なドライブトーンも出して。
今回、「イラプション」で検索したらこの人の動画がHITしました。
A〜G迄のバレーコードでFコード挫折でギター挫折という話はよく聞きますねぇ。
人差し指のセーハを少し左に寝かしたら、上手く中指を置ける気もします。