ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

リッキースティムボート

2015年01月16日 | プロレス
母親が日本人という事で東洋顔と優れた運動神経とルックスで
見事なベビーフェイスの教科書というようなスティムボート。
ハワイ出身の名レスラー、サムスティムボートの名をあやかって命名されたという
(サムの方は修行時代の猪木と戦ったと記憶しています)

で、私がリッキーを見始めた頃はタッグ戦線(世界最強タッグ)で名勝負をしていたというイメージですね。
個人的にはJrのジェイヤングブラッドとの小兵タッグでコンビネーションを生かしたコンビネーションで
大型レスラーに善戦していました。
そしてバーンガニアの息子、グレッグガニア・ジムブランゼルのハイフライヤーズとの試合が
新聞形式で1面裏面だけはカラーの週間ファイトで試合攻防が大々的に写真で載せられていました。
やはりフライングボディーアタックのフォームが躍動的でとても美しく
日焼けした肌がとてもカッコ良く
名レスラーNWA王者だった頃のリックフレアーは「リッキーはライバルで、もう親友だね」と
82年頃語っていました。(週間ファイトにて)

天龍とUN王座決定戦で争ったり、活躍の舞台は華々しいモノで。
勿論アメリカのマットでの評価も高く。

で、NWA王者が来日するという事でリックフレアーが来るモノだと思っていましたが
来日したのは何と、ロングタイツ(ダサイ・・・)を履き戴冠したリッキーだったのです。
まさかリッキーがNWA王者まで登りつめるとは思っていませんでした。
その時のリッキーは今で言えば懐の深さを見せていたのかもしれないのですが
受けに回りすぎて・・・・こんな弱いレスラーがチャンピオンなの!?と思いました。
(フレアーの時も小学生の私はそう思ったモノで)
相手は成長株の三沢タイガーマスク。
プロレス専門誌でも、リッキーの評価は酷評だったように記憶しています。

子供の頃カッコいいベビーフェイスでしたが、NWAチャンピオンになった頃は
したたかさも兼ね添えた選手になったという事なんでしょうね。

ただ、子供の頃からのイメージ低下は凄まじく・・・
ゲンナリしてしまいました。
とても華やかでしたからね。
ただ、NWAチャンプにされるという事は余程の実力が無いと成れないですからね。
それだけ評価が高かったのでしょうね。
ただ、フレアーとの抗争で最終的に短期政権で終わりましたが。

その後、武藤と戦ったようですが、記憶に無いのですねぇ・・・・。

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2 コメント

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タッグ屋のイメージでした。 (ミルクマン)
2015-01-19 01:00:02
それも常に下段に記載される(苦笑い)馬場さんも言ってたけど、まずヘビー級なんですよね、この頃は特に。ひょっとしたらヘビーだったかもですけど、まわりがデカかったですから。
動ける外人でしかもベビーフェイスなんで、会場人気も高そうですね。実際NWAヘビー獲得だから人気実力文句なしですね。
自分で言うのもなんですが、プロレスの人気実力って意味深いなあ、なんちゃって。では!
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ミルクマンさん (太郎)
2015-01-19 22:13:51
あの頃のレスラーはみんなデカかったですね。
190cm台がウヨウヨいましたしね。
リッキーはジュニアのジェイヤングブラッドと組んでいたから
大柄のハンセン、ブロディによく善戦したと褒められてた記憶が。
記事中に書きましたが、まさかNWA王者になるとは。
フレアー、レイスが抗争している中に
トミーリッチやケリーフォンエリック、リッキー、バリーウインダムと
イケメン系も短期政権で入れ替えていましたね。
プロレスの本質が大分解って、リックフレアーの凄さに気づくのでした。
人気なかれば、干されたり、契約切られますしね、
人気商売ですね。勿論その中にジャブマン達の活躍もあったからなんですが。
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