木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

かんづめ家

2013年02月02日 | 日常雑感
1月末が締め切りの原稿が終了。
今回は本当に苦しかった。
締め切りまで1週間を切ったところで完成度合いは60%くらい。
1月29日になっても8割程度というところで終わらないかも知れないと思ったこともあった。
ぎりぎりまで格闘して、なんとか完成。
いまはほっとして、ぼうっとしています。

昨日は半年以上、行っていなかった、かんづめ家を訪問。
いつの間にか3人いた店員さんは、ひとりになっていた。
話を聞いてみると、やはり厳しいようで、なかなかどの商売も大変なんだなあ、と思った次第。
かんづめBARには、かんづめそのものををドンと出す店もあるが、この店は、かんづめの具材を調理して提供する。
人員の配置上、あまり凝った料理はできないのだが、ポテトサラダと福神漬、牡蠣の燻製とニンニク、アスパラガスとポン酢・ラー油のように意表を突いた組み合わせが面白い。
昨日はサバとナスの炒め物を注文。
サバが味噌煮であるせいか、写真映りはあまりよくないが、味はいい。
以前はハーフサイズで値段を抑える設定だったが、価格を少し上げてフルサイズで提供するようになったので、かなりボリュームがある。
サバ缶はかなり大きいものなあ。
使っているサバ缶はさすがにこだわりを感じさせる高級感の漂うかんづめ。
おいしさは、素材(かんづめ)のよさによるところが大きいのかも知れない。

もともと23時までの営業だったが、最近は0時までとなり、実質はもっと遅くまでやっていることも多いと言う。
御身体に気をつけて頑張ってほしい。
また行きます。


さばとなすの炒め物、580円。以前より価格は高くなったが、その分、量が増えた。サバ1缶はかなりボリュームがある。

かんづめ家HP(現在、かんづめ販売店である「かんづめ屋」は休業中)


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世間は生きている、理屈は死んでいる

2013年01月03日 | 日常雑感
明けましておめでとうございます。

例年、初詣は虎ノ門の金毘羅神宮と決めている。
写真でみると、ビルとビルの間に挟まれて建つ姿は窮屈そうに見える。
行ったのが2日だったせいか、あまり人出もなく、楽であった。

そのとき、おみくじを引くと末吉ではあったが、「長らくの忍耐の甲斐あって広々とした明るい将来が開け幸運が目の先に待っている」といい文句だった。
その中の和歌もよかった。

冬ごもり 春さりくれば あしびきの 山にも 野にも 鶯のなく 鶯のなく

今年は考えるよりも、行動を伴わせて進みたい。
そんなことを思った。
ふと思いついたのは、勝海舟の「世間は生きている、理屈は死んでいる」という言葉だ。
頭でっかちで、何もしない人間にだけはなりたくない。

虎ノ門・金毘羅神宮


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文に感謝 みんなに感謝

2012年12月31日 | 日常雑感
私は性格的に色々問題のある人間だというのは自分でも実感している。
不平とか不満が溜まりやすく、自己嫌悪にも陥りやすい。
そんな自分ではあるけれど、これまで凶悪犯罪にも手を染めなかったし、精神的にも病院に通うほどではない。
それは一重に「書く」という行為のおかげだと思っている。
さまざまな辛いことが起こるのが人生だ。
そんなとき、うまくかわす人、正面からがっぷりと立ち向かう人、色んな人がいる。

私の場合、立ち向かうが負けてしまうと自己嫌悪になる連続だった。
そんな負けた場合でも、「書く」という行為が自分を救ってくれた。
「うるせえ、お前の書いたものなんか、誰も読みはしねえ」
と言われるかもしれない。
それでも書くことを止められない。

酒を飲むこととか、泳ぐことというのは、趣味なのだが、「書く」というのは、自分そのものなのだから。

今日、大みそかは、「書く」ことに感謝する日。
そして、拙文を読んでいただいた方に感謝する日。
来年がみなさまにとって、いい一年でありますように。
ありがとうございました。
合掌。

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サンタクロース追跡!

2012年12月24日 | 日常雑感
早いもので、今年もクリスマスの季節がやってきた。

科学の発達はすごいもので、昨今では、そりに乗ったサンタクロースの追跡が可能となった。
わくわくする試みなので、ぜひ、見て欲しいと思います。

それでは、よいクリスマスを!

*リンクがうまく張れません。
 NORAD TRACKS SANTA で検索して下さい。
 すみません・・・。

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おまえ!

2012年11月03日 | 日常雑感
今日、プールの後で家の近くの飲み屋さんに行った。
久しぶりだった。
そこには先住民たるシニア3人組。
かなり出来上がっているような雰囲気。
そんな雰囲気が嫌いでないので、OK、OKと入店。
ビールを飲むうち、一組のカップルが入店。
しばらく問題はなかったのだが、そのうちに問題発生。
ふと気が付かないうちに、先の先住民の一人とカップルの女性の間でトラブル勃発。
聞くと、女性としては気を遣った積りで、先住民に御酌をした。
そのうちの一人の置きグラスにもビールを注ぐ。怒ったのは注がれた男性。
マナー上から言うと、置きグラスに飲み物を注ぐのはいけない、と習った覚えがある。
けれども、年の功で流してくれればいいのに、と思ってた最中に双方ヒートアップ。
堪らず仲介した私に「お前は黙っていろ」と先住民。
「あなたにお前呼ばわりされる覚えはない」と言ったところから代理戦争。
「こっちに座れ」、「あんたこそこっちに座れ」みたいな子供のような言い争いになってしまった。

ここで思ったのは、末広がりになっていく人生と、尻つぼみになっていく人生だ。
大衆居酒屋で「常連」の肩書を笠に偉そうにしている人間と言うのは、所詮大したことがない。
実るほど垂れる稲穂、の喩通り、人間も本物は腰が低い。
今日の場合なども、私がもっと腰を低くしていればよかったには違いない。
血の気の多い自分の性格を自覚している以上、きょうの場面では黙っているのが最善の策だったのだとは思う。
けれど丸くなって物分かりのいい人間になって言いたいことも言えないのはまっぴら御免だ。
「お前は黙っていろ」の一言で切れてしまったのも事実だが、いきなり初対面の相手に「お前」呼ばわりするシニアにはもっとなりたくない。

店のママも常連が大事なので、一方的に向こうの味方。
それはそうだと思うが、物の道理はわきまえておいて欲しいと申し上げる次第。
まあ、あの店には二度と行かないとは思うが。


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本場讃岐の味をご家庭で「手打ちうどんつるわ」






刺青とオリンピック

2012年08月03日 | 日常雑感
大阪知事・橋下氏は職員のドレスコードにも触れ、タトウー、すなわち刺青の禁止についても厳罰処分に臨んだ。

今日、オリンピックを見ていて驚いたのは女子体操で背中にタトゥーを入れているベネズエラの選手を見たことだ。
昨日も、男子体操競技の三位に入ったドイツ選手が腕にガチガチのタトゥーを入れていた。
タトゥーもファッションなのだろう。

オリンピック選手のタトゥーを見て、自分も入れたい、と思うティーンエイジャーが現れてもおかしくない。
しかし、タトゥーは簡単には消せない。
青少年に対する影響を考えるべきだ、などと大御所に立ったものの言い方はしたくはないが、オリンピック選手に入れ墨は似合わない、と思うのは私だけであろうか。

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成功者

2012年06月27日 | 日常雑感
もうすぐオリンピックが始まる。

水泳男子100m自由型の金メダリスト
陸上男子100m走の金メダリスト

どちらが栄誉あるのか分からないし、ましてやどちらの金メダリストが幸せか、など誰にも分からない。

ギネスブックに載った長者世界一。
そのまま、世界一幸せな人間かというとそうでもあるまい。

数字で測れる世界は、他の人にもよく分かるが、逆に数字や言葉では表せない世界は、本人しか分からない。

金メダルを捕った人だけが成功者なのか。

夢はどの段階を以て達成したと言えるのか。

答えはみな自分の心の中にしかない。





風の正体

2012年06月20日 | 日常雑感
風が吹く。
強い風が吹く。
ビルとビルの間に。
荒野に。
わたしの心の中に。

わたしは風の正体が見たくて、
風の中に立ちつくす。

じっと立っていると、
なにかが見えそうな気がした。

けれど、胸の中がむずむずして、
その場を立ち去ってしまった。

それ以来、風の正体を見ていない。

あのとき、見えそうだった風の正体。
本当に見える直前だったのか、
それとも、単に気のせいに過ぎなかったのか。

いまでは、それさえ、はっきりしない。

私は風(カルメン・マキ)

ライブ版

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いちばん大切なこと。

2012年06月03日 | 日常雑感
ドロシー・ロー・ノルト。
ベストセラー作「子どもが育つ魔法の言葉」の著者である。
この人の著作に「いちばん大切なこと。」という本がある。
その本を見かけたのはほんの偶然に過ぎない。
いつも乗るJRの駅で、キヨスクで時間が少しあるからと手にしたのが「いちばん大切なこと。」であった。

あのね、ものには順番があるの、自分の番がくるまでまとう
きっとだよ
そして、とびきりすてきな自分になろうね!


この詩の冒頭には惹きつけられたものの、一番感動したのは後記とも言える作者の解説文だった。

いちばんすてきな自分になること
いちばんすてきなことをすること
いちばんすてきなものをあたえること



の文は平易で直截だが、胸を打たれた。続けて、

たいていの人は、自分は何をもっているが重要だと思って暮らしています。でもわたしは、長い人生を生きてきて、ほんとうに大事なのは、いまあげた三つのことではないか、と思うのです。違う言い方をしてみましょうか。

あなたはどんな人間か、どんなふうに生きているか
あなたは何をしているか、どんあふうに行動しているか
あなたはほかの人にどんなふうに与えているか

そして最後に、あなたは何をもっているか


詩自体は、読み方によっては教育的な押し付けになりそうな詩なのだが、ギリギリの線でそうならないのは、著者の視線の温かさゆえだろう。
それは、次の一文にも表れている。

「わたしってかわいそう」
と思うより
「わたしってこんなところがすてき」
と思うほうがだいじです


現代はストレス社会と言われ、ストレスは発散すべきだと喧伝される。
パチンコがストレス発散になると言う人もいるし、ジョギングがいいと言う人もいる。
ドカ食いがいい人もいるし、酒に走る人も多い。
けれども、いくらストレスを発散しても、ストレス発生の根源がそのままであれば、一時的なものに過ぎない。
ストレスとは必ず発散しなければならないものなのだろうか。

送られてきたジャンクメールをたまに見ると、金儲けの話が書かれている。「今までは辛い仕事も家族のためと思って、身を粉にして続けて来た。けれども、発想を変えれば、すぐに巨額の金が手に入る」などとの虚言を吐いて、現代版ネズミ講へと誘い込もうとするメールが多い。

仕事、って本当に辛いばかりのものなのだろうか。
楽して得たお金って、人を幸せにしてくれるのだろうか。
金持ちだからといって必ずしも幸せであるとは限らない。
江戸時代の町民なんて、ほとんどがその日暮らしの貧乏人であったが、自分たちが不幸だと思っていなかっただろう。
考え方を変えなければ、環境がいくら変わっても幸せにはなれない。

いちばんたいせつなことは、自分の中にある。
そんな些細なことに気づかずに、情報化時代の住人と呼ばれる現代人は、かく言う自分自身を含めて、あくせくしている。

ドロシーは詩人ではない。
直截な表現が読む人の胸を打つのは、生き方に信念と優しさがあるからだ。
善悪を問わず名を残す人は、何か非凡なものを持っている。
浅原しかり、ホリエモンしかり。
けれども、自分は誤魔化せない。
地位を得ても、巨万の富を得ても、幸せは別のことろにある。
真の幸せを得る人とは、ドロシーのように、行動と思考が一致した人間だと思う。

参考:いちばん大切なこと。(PHP研究所)ドロシー・ロー・ノルト

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闘夢

2012年05月27日 | 日常雑感
僕らは生きている。
少なくとも、今、文を書いている私も、今、文を読んでいるあなたも。
しかし、先の事は分からない。
私の方があなたより長生きするかも知れないし、あなたの方が長生きかも知れない。
あなたがとても若くっても、油断はならない。
死は不平等だ。
幼児の年で死ぬ人もいるし、百歳以上生きる人もいる。
若いというのは、死なない理由にはならない。
ひとつだけ断言できるのは、誰の命も有限であるということ。
動物は明日を思い患わない。
フェレットのシオン君は瀕死の状態でも、好物のフェレットバイトを食べることを生きがいとしていて、迫りくる死の影など、全く気にしていなかった。
それに引き換え人間は、今幸せでも、明日もこの幸せが続くのか、と不安になり、明日を思い心配になる。
眠れない夜の登場である。
だが明日を思うのは悪いことばかりじゃない。
今日叶わなかった夢が、明日叶うかも知れないと努力することもできる。
動物は努力しない。
夢なんてばかげた考えであり、蜃気楼のようなものだと言う人もいるだろう。
けれども、夢のために努力するのは、宝くじを買う行為とは違う。
消えては現れる絶望のせいで消えかかってしまいそうになる光を必死に信じ求めて、全てを投げ出したくなる欲望を抑えて努力する。
闘病という言葉がある。
病に対しては戦うという言葉がぴったり来る。
夢とは戦うのではないのかも知れない。
けれども、あえて闘夢と言いたい。
夢には憧れや華やかな面があるが、厳しい顔を持っているのも事実である。
病と違って、夢は誰彼に強制されたものではない。
自分で選んだ道ならば、愚痴を言わず、突き進んでい行くしかない。
闘夢。
がんばるしかない。

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