木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

リチャード・バックの言葉

2010年05月20日 | 日常雑感
リチャード・バックと聞いてもぴんと来ない人が多いかも知れないが、「かもめのジョナサン」の作者だというと分かる人も多いのではないだろうか。

そのリチャード・バックに「イリュージョン」という名著がある。
日本語版の訳者は村上龍である。
村上龍が解説を書いているのだが、この解説が素晴らしく、ずっと印象に残るものだった。

本は、いつのまにかどこかへいってしまうものらしく、「イリュージョン」も本棚から消えていた。
昨日、Amazonから本が届き、久しぶりに読んでみる。

解説では、リチャード・バックの言葉が紹介されている。
少し長いが、とてもいい言葉なので引用したい。

「人間が本当に愛するものをみつけるのはとても大変なことで、それがすべて、要するに中心だと思うね。一生かかっても、ついにそれが見つからない人も多いと思うんだよ。だけど、ドアが閉まっていても、いつかは絶対に自分の好きなものが見つけられると思うと、そういうふうに導かれていると信じることだね。だいたいは、どこもかしこも閉まっていると、絶望的になっちゃんうんだよ。だけど、あっちこっち叩いているうちに、どこかのドアがポンと開くと思うんだね。その開いたドアが、自分の一番求めている、愛するものへの道だと、とりあえず信じるんだよ。そこへ入る、またドアが全部閉まっている。必死になって叩くと、またひとつだけドアが開く。そういうところをひとつづつ通過しているうちに、いつか、ものすごい光が自分の中に出てくるはずなんだよ」

「人間が学校というフェンスを出ると、そこは、ドラゴンワールドなわけだ。地球上には三十億だか、四十億だかの人間がいて、おまえはそのうちの三十億プラス一の余り者にすぎない、おまえのことなんか誰も関心を持っていやしない、生きていようと死のうと、こっちの知ったことか、みたいな扱いを受けることになる。ある人間がだめになるというのは、そういうことなんだよ。
どうやってそれに対抗するのかといったら、やっぱり自分の歌をうたい続けることだと思うね。『うるせえ、おまえのその変な歌をやめねえと張り倒すぞ』かなんか言われて、それでだめになっちゃうこともあるけど、張り倒されても、まだ歌い続けることだ。
もちろん、ドラゴンワールドにあっては、明日の飯代をどうしよう、今日の部屋代をどうようなんていうわずらいもある。それはしようがないから、思いわずらい、駆けずり回りながらでも、自分の歌だけはうたい続けるわけだ」

「イリュージョン」 リチャード・バック(村上龍訳) 集英社文庫

初めて読んだのは20年近く前になる。
でも、そのときと変わらず、いいなあと思ってしまう。
世の中には思い通りにならないことのほうが多くて、挫折感を味わうことが多いけど、それでもやはり、「愛するもの」のために「自分の歌をうたいつづける」ことが大事だとおもう。
青っぽくて、馬鹿げた考えだと一蹴する人もいるだろうが、声がでるうちは、調子っぱずれの声でうたい続けようと思っている。


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