木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

生類憐れみの令とインターネット

2008年10月23日 | 日常雑感
一昔前は、本当にものをよく知ったおじさん(おばさんでもいいのだが)という人がいて、どんな質問にも即座に答えてくれたものであった。
今はそのようなおじさん、おばさんよりも、物知りがいる。
インターネットである。
ポンポンとキーワードを叩くと、簡単に答えが得られる。
江戸の牢屋奉行(囚獄)は代々襲名で、その名は○×帯刀であるが、先日、この○×(苗字)が思い出せなかった。
うんうん唸って、考えたのだが、なかなか思い出せない。
そこで、インターネットで「囚獄 帯刀」と入力すると、すぐに「石出帯刀」と表示される。
これは、物知りおじさんと同居しているのも同じである。便利なことこのうえない。
先日、「生類憐れみの令」で検索をかけてみると、驚くことに、「悪く言われるこの令も、動物愛護の精神からすると、必ずしも悪法ではない」という論調の記事が多いのに気が付いた。
「昔から~といわれているが、実は…であった」という論調は魅力的なもので、田沼意次や吉良上野介はいい人間であった、などという説がはやったこともある。この説の是非はさておき、インターネットで「生類憐れみの令」を検索した人は、「この令って言うほど悪いもんじゃなかったんだ」と思う人も少なからずいるだろう。
その記事の内容をよく読んでみると、ある大学教授の説が載っている。この人は、個人的にもよく知っている人であったので、もとの本を読んでみてびっくり。そのインターネットに掲載されているのは、大学教授が、別の人の説を引用してきて「果たして、そうなのであろうか」と検証しようとしているものであった。いわゆる、孫引きの危険性がここにある。インターネットは、記事の正誤までは教えてくれない。数の多さが、正当性を証明しないのが怖いところ。
なかには、水戸光圀は、「生類憐れみの令」に反対するため、牧場を作り、牛肉を食べることを奨励していた、という記事にも出くわした。光圀がこの令に反対したのも、牧場を作ったのも事実であるが、この頃は、徳川幕府も安泰で、御三家といえども、面と向かって反対できるようなことは決してなかった。
では、私自身は、憐れみの令に対して、どう考えるのだと聞かれたら、密かに師と思っている鈴木一夫氏の言葉を引きたい。

綱吉の頭のなかには、自然保護の精神や野生動物という存在にたいする感覚や接点などひとかけらもない。御殿のなかで生活するだけで、鷹狩りなどで山野に出かけることを嫌った綱吉には、おそらく自然と接する生活がほとんどなかったはずである。自然にかかわることのない生活感覚をもつ人間から、動物愛護の心やまして自然保護の精神が生まれるはずもないことは、自明のことである。

また、この令を動物愛護に引っ掛けて幕閣の意見を牽制する綱吉の深い意図が隠されている、とした記事にもでくわした。
この記事には以下の一文を引用したい。

数々の法令や、法令違反者にたいする処罰の判例は、けっして整合性のある体系をもつものではなく、いかにも綱吉らしい恣意的な禁令と処罰の羅列にすぎない。

このブログを読んでくださった方が、「やっぱり、生類憐れみの令、ってのは悪法だったんだ」と思ってくれることが、本意ではない。
このブログも含め、インターネットの中には、間違った情報もある、ということを提示したかっただけである。
とはいえ、このブログでは、孫引きはしないことを趣旨としています。

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