幕末の立役者の年代がとても若かったとはよく聞く話だ。
しかし、これは主として薩長を中心とした雄藩の話であって、幕軍のほうは結構年配者も多かった。
戦況が討幕派に完全に有利となり、新政府が成立した後、旧幕府の官僚の中には、薩長の若者に卑屈な態度を取る者も多かったと聞く。
五十近い者が二十代の若者にへいこらしているのは、見た目のいいものではない。
そう思っていたのだが、過去も現代も、組織において年齢が決定的になることはあまりないようだ。
江戸時代においては家格というものがあり、自分が五十歳であろうと家格が遥か上の者であれば、相手がたとえ十代であろうと敬語を使う。
極端な話、相手が世継ぎであれば、幼少であろうと神様扱いだ。
現代においても、オーナー系の会社であれば、社長ジュニアは暗黙の了解に守られている。
江戸時代は、相手が年下であっても、へりくだるのは苦にならなかったのかもしれない。
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五十近い者が二十代の若者にへいこらしているのは、見た目のいいものではない。
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江戸時代においては家格というものがあり、自分が五十歳であろうと家格が遥か上の者であれば、相手がたとえ十代であろうと敬語を使う。
極端な話、相手が世継ぎであれば、幼少であろうと神様扱いだ。
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