寛政の三奇人と言われた一人に蒲生君平という尊王論者がいる。
奇人と呼ばれるだけあって、種々のエピソードには事欠かない。
その中で、印象に残るのは、親友であった良寿和尚との別れの場面である。
良寿和尚と君平は、来年の春には天橋立へ行って桃の花でも見ようと約束していた。
だが、その冬のうちに、和尚はあっけなくこの世を去ってしまった。
君平は、桃の花が咲くころになるといてもたってもいられなくなり、江戸を経って、天橋立を訪れた。
懐には和尚の遺骨数片が入った小箱を入れている。
橋立に来て舟に乗った君平は二人分の舟賃を差し出す。
船頭はいぶかしんで、一人分で結構です、と断るが、君平は「この箱には骨にはなってしまったが、わたしの友人がいる。だから舟賃はふたり分なのだ」と言って、二人分を支払った。
そして、松の下に座った君平は、「良寿との、みたがっていた天橋立だ」と言って、酒を飲みながら泣いた。
道行く人は何事か、と君平のことをじろじろ眺めたが、君平は一向に気にしないで、酒を飲み続け、最後に、小箱の中に石を詰め、海に沈めたということである。
確かに奇行である。
いずれにせよ、本人はそうせざるを得ない切羽詰った感情に支配されている。
果たして、自分が死んだとき、このような行動を起こしてくれる友人が何人いるだろうか。
あるいは、友人が死んだとき、自分はこのような切羽詰った感情に押されて奇行ともとれる行いを自然に取れるだろうか。
君子の交わりは淡い、と言い、べたべたした関係だけが本当の友情とも思わないが、一方で、こういった切ない感情を引き起こす友情もある。
あるいは、男女間の愛情でもよい。
甘い感傷とか、作為的である、などと批判する人もいるかも知れない。
人にはスタイルとか生き方というものがあるから、その批判も間違いではない。
だが、少なくとも、わたしは君平の行為をシニカルに批判する側には回りたくない。
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奇人と呼ばれるだけあって、種々のエピソードには事欠かない。
その中で、印象に残るのは、親友であった良寿和尚との別れの場面である。
良寿和尚と君平は、来年の春には天橋立へ行って桃の花でも見ようと約束していた。
だが、その冬のうちに、和尚はあっけなくこの世を去ってしまった。
君平は、桃の花が咲くころになるといてもたってもいられなくなり、江戸を経って、天橋立を訪れた。
懐には和尚の遺骨数片が入った小箱を入れている。
橋立に来て舟に乗った君平は二人分の舟賃を差し出す。
船頭はいぶかしんで、一人分で結構です、と断るが、君平は「この箱には骨にはなってしまったが、わたしの友人がいる。だから舟賃はふたり分なのだ」と言って、二人分を支払った。
そして、松の下に座った君平は、「良寿との、みたがっていた天橋立だ」と言って、酒を飲みながら泣いた。
道行く人は何事か、と君平のことをじろじろ眺めたが、君平は一向に気にしないで、酒を飲み続け、最後に、小箱の中に石を詰め、海に沈めたということである。
確かに奇行である。
いずれにせよ、本人はそうせざるを得ない切羽詰った感情に支配されている。
果たして、自分が死んだとき、このような行動を起こしてくれる友人が何人いるだろうか。
あるいは、友人が死んだとき、自分はこのような切羽詰った感情に押されて奇行ともとれる行いを自然に取れるだろうか。
君子の交わりは淡い、と言い、べたべたした関係だけが本当の友情とも思わないが、一方で、こういった切ない感情を引き起こす友情もある。
あるいは、男女間の愛情でもよい。
甘い感傷とか、作為的である、などと批判する人もいるかも知れない。
人にはスタイルとか生き方というものがあるから、その批判も間違いではない。
だが、少なくとも、わたしは君平の行為をシニカルに批判する側には回りたくない。
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私にはそれが不思議でたまりません、
友人を無くし、悲しみ、ここでいう奇行をした人達は
たくさんいると思いました☆
でも人それぞれ価値観があるのですね。。。
多数決をして、やる人と、やらない人をチェックした場合、少数の人の行いは奇行と呼ばれるようになります。
殺伐とした世の中の昨今、暖かい思いよりも、ドライなほうが尊ばれるようになったら寂しいですね。