永田徳本という医師がいた。
正確な生年ははっきりしないが、永正十年ごろ(1513年頃)の生まれと伝えられている。
徳川幕府が誕生する1世紀近く前、室町時代後期の生まれである。
生国についても、三河であるといい、甲斐であるともいい、はっきりしない。
生業は医師であるが、現代ではワインの本を読むとよく名前が出てくる。
ちなみに手元にある「ワイン学」(産調出版)のページをめくると、
江戸時代には甲州の(ぶどう)栽培が盛んになるが、それは医師・徳本が棚かけ法を考案してからのこととされている(1615年)
という表記が見られる。本によっては永田某などとなっているものもあり、永田徳本と正確に書かれているものと半々くらいの割合である。
しかし、どうして医師がぶどうの棚かけ法を編み出せたのだろう。
永田は馬の背にまたがり、薬箱をぶら下げて診療に赴き、貴賎を問わず、診察料は十八文と決めていた。放浪超俗の徒として、草庵に住み、仙人然としていたという。
それだけに伝説も多く、ぶどうの話も伝説のひとつと考えてよさそうである。
これらの伝説で一番有名なのは、病床にある二代将軍・秀忠を診察した一件である。永田徳本はいつもと同じように牛にまたがって登城したとか、一診しただけですぐに病巣を見つけ劇的な回復をさせた、診察代も十八文しか受け取らなかった、などという話だ。
秀忠を診察したのが、史実なのかどうか分からないが、甲斐の国に居住する永田徳本という高名が当時、江戸表にまで伝わっていたというのは事実だろう。
彼の編み出した永田流の真髄を成すものは、「自然良能説」と称されるもので、薬の治療に植物性の一種の劇薬を使用したものと考えられている。永田徳本自体が生まれながら病弱で、自分自身を実験台として試行錯誤していく過程で生み出された秘法である。
実際にこの秘法は永田の身体に合ったようだ。生年ははっきりしないが、亡くなった日は分かっている。寛永七年(1630年)二月十四日であるから百歳を超える長寿である。
それにしても診察代が掛け蕎麦一杯くらいの値段だったというのは、痛快である。
技術職の値段というのはもともとファジーであるが、医師というのはファジーの究極である。
前日に深酒をして、翌日の手術でミスをして人を死なせてしまったとしても罪に問われない。実際はそんな医師はほとんどいなくて、手術の前日には酒を控える人が99%だろう(そう願う)。
だが、ことプライスとなるとどうであろうか。
医者というのは、高所得者の代名詞にもなっており、治療代は高いのが相場である。昨今では病院も設備産業となり、非常に高価な機械類を購入しなければ、成り立たなくなっている。そんな中、機械の購入費も診療代に跳ね返ってくる。医療は進歩したが、それに伴って医療代も上がってきている。そうなると、「地獄の沙汰も金次第」ではないが、命の長さも貧富の差となってきかねない。
外科的手法を持たない江戸時代以前にあって、医師が頼るのは投薬療法でしかなかった。
そこで、もうひとつ思いだしたことがある。
実家のある豊島区にあった「太陽堂」という小さな薬局の店長さんだ。
年の頃では50過ぎ、60前。痩せ型で背が高く、声も高かった。いつも白衣を着ていた。
店員も「店長」でなく「先生」と呼んでいた。
こう書くと、はったりをかませた人のような印象を持たれるかも知れないが、実際は話していると妙に落ち着く人だった。
「先生」は、人の話を聞くのがうまく、ぴったりと合う薬を出してくれた。
たとえば、口内炎になったときなども、口内炎用の薬ではなく、ビタミン剤を出してくれて、飲む量も指示されていたように思う。そして指示通りにしていると、すぐに治った。
想像でしかないのだが、永田の時代にあって、将軍の侍医たちは、自らの能力を過信し、臨床例から導き出された薬を一方的に処方していたのではないだろうか。
永田は問診により、的確に秀忠の病気を把握した。
とすれば、コミュケーション能力の差なのかも知れない。
もっと突き詰めて考えていくと、「病人を治したい」と思うのか、「金が欲しい」と思っているのかの違いだ。
一八文しか要求しない永田の態度は秀忠にとっては好ましく映ったであろうし、一方の永田にとっては保守的で日常の勤務に汲々としていた侍医たちに強烈な皮肉を放って、自分の生き方を示したのだろう。
金銭は大事だけれども、全てではない。
ローンやら、扶養家族やら何だかんだとしがらみの多い現代人であるが、永田のような生き方もひとつの理想形である。
ここまで、書いてきて、「永田徳本」の読みを書いていなかった。
ながたとくほん、である。
名前のほうは、とくほん、と読む。
どこかで聞いた名前ではないだろうか。
湿布薬のトクホンの由来である。
参考:日本医学先人伝(橘輝政)医学事業新報社
トクホンの名前の由来
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正確な生年ははっきりしないが、永正十年ごろ(1513年頃)の生まれと伝えられている。
徳川幕府が誕生する1世紀近く前、室町時代後期の生まれである。
生国についても、三河であるといい、甲斐であるともいい、はっきりしない。
生業は医師であるが、現代ではワインの本を読むとよく名前が出てくる。
ちなみに手元にある「ワイン学」(産調出版)のページをめくると、
江戸時代には甲州の(ぶどう)栽培が盛んになるが、それは医師・徳本が棚かけ法を考案してからのこととされている(1615年)
という表記が見られる。本によっては永田某などとなっているものもあり、永田徳本と正確に書かれているものと半々くらいの割合である。
しかし、どうして医師がぶどうの棚かけ法を編み出せたのだろう。
永田は馬の背にまたがり、薬箱をぶら下げて診療に赴き、貴賎を問わず、診察料は十八文と決めていた。放浪超俗の徒として、草庵に住み、仙人然としていたという。
それだけに伝説も多く、ぶどうの話も伝説のひとつと考えてよさそうである。
これらの伝説で一番有名なのは、病床にある二代将軍・秀忠を診察した一件である。永田徳本はいつもと同じように牛にまたがって登城したとか、一診しただけですぐに病巣を見つけ劇的な回復をさせた、診察代も十八文しか受け取らなかった、などという話だ。
秀忠を診察したのが、史実なのかどうか分からないが、甲斐の国に居住する永田徳本という高名が当時、江戸表にまで伝わっていたというのは事実だろう。
彼の編み出した永田流の真髄を成すものは、「自然良能説」と称されるもので、薬の治療に植物性の一種の劇薬を使用したものと考えられている。永田徳本自体が生まれながら病弱で、自分自身を実験台として試行錯誤していく過程で生み出された秘法である。
実際にこの秘法は永田の身体に合ったようだ。生年ははっきりしないが、亡くなった日は分かっている。寛永七年(1630年)二月十四日であるから百歳を超える長寿である。
それにしても診察代が掛け蕎麦一杯くらいの値段だったというのは、痛快である。
技術職の値段というのはもともとファジーであるが、医師というのはファジーの究極である。
前日に深酒をして、翌日の手術でミスをして人を死なせてしまったとしても罪に問われない。実際はそんな医師はほとんどいなくて、手術の前日には酒を控える人が99%だろう(そう願う)。
だが、ことプライスとなるとどうであろうか。
医者というのは、高所得者の代名詞にもなっており、治療代は高いのが相場である。昨今では病院も設備産業となり、非常に高価な機械類を購入しなければ、成り立たなくなっている。そんな中、機械の購入費も診療代に跳ね返ってくる。医療は進歩したが、それに伴って医療代も上がってきている。そうなると、「地獄の沙汰も金次第」ではないが、命の長さも貧富の差となってきかねない。
外科的手法を持たない江戸時代以前にあって、医師が頼るのは投薬療法でしかなかった。
そこで、もうひとつ思いだしたことがある。
実家のある豊島区にあった「太陽堂」という小さな薬局の店長さんだ。
年の頃では50過ぎ、60前。痩せ型で背が高く、声も高かった。いつも白衣を着ていた。
店員も「店長」でなく「先生」と呼んでいた。
こう書くと、はったりをかませた人のような印象を持たれるかも知れないが、実際は話していると妙に落ち着く人だった。
「先生」は、人の話を聞くのがうまく、ぴったりと合う薬を出してくれた。
たとえば、口内炎になったときなども、口内炎用の薬ではなく、ビタミン剤を出してくれて、飲む量も指示されていたように思う。そして指示通りにしていると、すぐに治った。
想像でしかないのだが、永田の時代にあって、将軍の侍医たちは、自らの能力を過信し、臨床例から導き出された薬を一方的に処方していたのではないだろうか。
永田は問診により、的確に秀忠の病気を把握した。
とすれば、コミュケーション能力の差なのかも知れない。
もっと突き詰めて考えていくと、「病人を治したい」と思うのか、「金が欲しい」と思っているのかの違いだ。
一八文しか要求しない永田の態度は秀忠にとっては好ましく映ったであろうし、一方の永田にとっては保守的で日常の勤務に汲々としていた侍医たちに強烈な皮肉を放って、自分の生き方を示したのだろう。
金銭は大事だけれども、全てではない。
ローンやら、扶養家族やら何だかんだとしがらみの多い現代人であるが、永田のような生き方もひとつの理想形である。
ここまで、書いてきて、「永田徳本」の読みを書いていなかった。
ながたとくほん、である。
名前のほうは、とくほん、と読む。
どこかで聞いた名前ではないだろうか。
湿布薬のトクホンの由来である。
参考:日本医学先人伝(橘輝政)医学事業新報社
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