星新一 公式サイト
星 新一(本名:星 親一、1926年(大正15年)9月6日 - 1997年(平成9年)12月30日)
おーい でてこーい(1958年)
台風が去って、すばらしい青空になった。
都会からあまりはなれていないある村でも被害があった。
村はずれの山に近い所にある小さな社(やしろ)が、がけくずれで流されたのだ。
朝になってそれを知った村人たちは、
「あの社はいつからあったのだろう」
「なにしろずいふん昔からあったらしいね」
「さっそく建てなおさなくてはならないな」と言いかわしながら、何人かがやってきた。
「ひどくやられたものだ」
「このへんだったかな」
「いや、もう少しあっちだったようだ」その時、一人が声を高めた。
「おい、この穴は、いったいなんだい」
みんなが集まってきたところには、径一メートルぐらいの穴があった。
のぞき込んでみたが、なかは暗くてなにも見えない。
だが、地球の中心までつき抜けているように深い感じがした。
「狐の穴かな」そんなことを言った者もあった。
「おーい、でてこーい」
若者は穴にむかって叫んでみたが、底からはなんの反響もなかった。
彼はつぎに、そばの石ころを拾って投げこもうとした。
「ばちがあたるかもしれないから、やめとけよ」
と老人がとめたが、彼は勢いよく石を投げこんだ。
底からはやはり反響がなかった。
村人たちは、木を切って繩でむすんで柵をつくり、穴のまわりを囲った。
そしてひとまず村にひきあげた。
「どうしたもんだろう」
「穴の上にもとのように社をたてとこうじゃないか」
相談がきまらないまま一日たった。
早くも聞きつたえて、新聞社の自動車がかけつけた。まもなく、学者かやってきた。
そして、おれにわからないことはない、といった顔つきで穴の方にむかった。
つづいて、もの好きなやじうまたちが現われ、
目のきょろきょろした利権屋みたいなものも、ちらほらみうけられた。
駐在所の巡査は、穴に落ちる者があるといけないので、つきっきりで番をした。
新聞記者の一人は、長いひもの先におもりをつけて穴にたらした。
ひもはいくらでも下っていった。しかし、ひもがつきたので戻そうとしたがあがらなかった。
二、三人が手伝って無理にひっぱったら、ひもは穴のふちでちぎれた。
写真機を片手にそれを見ていた記者の一人は、腰にまきつけていた丈夫な綱を黙ってほどいた。
学者は研究所に連絡して、高性能の拡声機をもってこさせた。
底からの反響を調べようとしたのだ。音をいろいろ変えてみたが反響はなかった。
学者は首をかしげたが、みんなが見つめているのでやめるわけに行かない。
拡声機を穴にぴったりつけ、音量を最大にして、長いあいだ鳴らしつづけた。
地上なら何十キロと遠くまで達する音だ。だが、穴は平然と音をのみこんだ。
学者も内心は弱ったが、落着いたそぶりで音を止め、もっともらしい口調で、
「埋めてしまいなさい」と言った。わからないことは、なくしてしまうのが無難だった。
見物人たちは、なんだこれでおしまいか、といった顔つきで引き上げようとした。
その時、人垣をかきわけて前に出た利権者の一人が申し出た。
「その穴を私にください。埋めてあげます」
村長はそれに答えた。
「埋めていただくのはありがたいが、穴をあげるわけにはいかない。
そこに社をたてなくてはならないんだから」
「社ならあとで私がもっと立派なのをたててあげます。集会場つきにしましょうか」
村長が答えるさきに、村の者たちが、
「本当かい。それならもっと村の近くがいい」
「穴のひとつぐらいあげますよ」
と口々に叫んだので、きまってしまった。もっとも村長だって異議はなかった。
その利権屋の約束は、でたらめではなかった。
小さいけれど集会場つきの社を、もっと村の近くに建ててくれた。
新しい社で秋祭りの行われた頃、利権屋の設立した穴埋め会社も、
穴のそばの小屋で小さな看板をかかげた。
利権屋は、仲間を都会で猛運動させた。すばらしく深い穴がありますよ。
学者たちも少なくとも五千メートルはあると言っています。
原子炉のカスなんか捨てるのに絶好でしょう。
官庁は、許可を与えた。原子力発電会社は、争って契約した。
村人たちはちょっと心配したが、数千年は絶対地上に害は出ない、と説明され、
また利益の配分をもらうことでなっとくした。
しかも、まもなく都会から村まで立派な道路が作られたのだ。
トラックは道路を走り、鉛の箱を運んできた。
穴の上でふたはあけられ、原子炉のカスは穴のなかに落ちていった。
外務省や防衛庁から、不要になった機密書類箱を捨てにきた。
監督についてきた役人たちは、ゴルフのことを話しあっていた。
下っぱの役人たちは、書類を投げこみながら、パチンコの話をしていた。
穴はいっぱいになる気配を示さなかった。よっぽど深いのか、
それとも、底の方でひろがっているのかも知れないと思われた。
穴埋め会社は、少しずつ事業を拡張した。
大学で伝染病の実験に使われた動物の死骸も運ばれてきたし、
引き取り手のない浮浪者の死体もくわわった。海に捨てるよりいいと、
都会の汚物を長いパイプで穴まで導く計画も立った。
穴は都会の住民たちに安心感を与えた。つぎつぎと生産することばかりに熱心で、
あとしまつに頭を使うのはだれもがいやがっていたのだ。
また、ひとびとは生産会社や販売会社でばかり働きたがり、くず屋にはなりたがらなかった。
しかし、この問題も、穴によって、すこしずつ解決していくだろうと思われた。
婚約のきまった女の子は、古い日記を穴にすてた。
かつての恋人ととった写真を穴にすてて新しい恋愛をはじめる人もいた。
警察では押収した巧妙なにせ札を穴でしまつして安心した。
犯罪者たちは証拠物件を穴に投げ込んでほっとした。
穴は、捨てたいものは、なんでも引き受けてくれた。
穴は、都会の汚れを洗い流してくれ、海や空が以前にくらべでいくらか澄んできたように見えた。
その空をめざして、新しいビルが、つぎつぎと作られていった。
ある日、建築中のビルの高い鉄骨の上で鋲打ち作業を終えた工員が、ひと休みしていた。
彼は頭の上で、
「おーい、でてこーい」
と叫ぶ声を聞いた。しかし、見上げた空にはなにもなかった。
青空がひろがっているだけだった。彼は、気のせいかな、と思った。
そして、もとの姿勢にもどった時、声のした方角から小さな石ころが彼をかすめて落ちていった。
だが彼は、ますます美しくなってゆく都会のスカイラインをぼんやり眺めていたので
それには気がつかなかった。
真鍋 博(1932年7月3日 - 2000年10月31日)
星 新一(本名:星 親一、1926年(大正15年)9月6日 - 1997年(平成9年)12月30日)
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おーい でてこーい(1958年)
台風が去って、すばらしい青空になった。
都会からあまりはなれていないある村でも被害があった。
村はずれの山に近い所にある小さな社(やしろ)が、がけくずれで流されたのだ。
朝になってそれを知った村人たちは、
「あの社はいつからあったのだろう」
「なにしろずいふん昔からあったらしいね」
「さっそく建てなおさなくてはならないな」と言いかわしながら、何人かがやってきた。
「ひどくやられたものだ」
「このへんだったかな」
「いや、もう少しあっちだったようだ」その時、一人が声を高めた。
「おい、この穴は、いったいなんだい」
みんなが集まってきたところには、径一メートルぐらいの穴があった。
のぞき込んでみたが、なかは暗くてなにも見えない。
だが、地球の中心までつき抜けているように深い感じがした。
「狐の穴かな」そんなことを言った者もあった。
「おーい、でてこーい」
若者は穴にむかって叫んでみたが、底からはなんの反響もなかった。
彼はつぎに、そばの石ころを拾って投げこもうとした。
「ばちがあたるかもしれないから、やめとけよ」
と老人がとめたが、彼は勢いよく石を投げこんだ。
底からはやはり反響がなかった。
村人たちは、木を切って繩でむすんで柵をつくり、穴のまわりを囲った。
そしてひとまず村にひきあげた。
「どうしたもんだろう」
「穴の上にもとのように社をたてとこうじゃないか」
相談がきまらないまま一日たった。
早くも聞きつたえて、新聞社の自動車がかけつけた。まもなく、学者かやってきた。
そして、おれにわからないことはない、といった顔つきで穴の方にむかった。
つづいて、もの好きなやじうまたちが現われ、
目のきょろきょろした利権屋みたいなものも、ちらほらみうけられた。
駐在所の巡査は、穴に落ちる者があるといけないので、つきっきりで番をした。
新聞記者の一人は、長いひもの先におもりをつけて穴にたらした。
ひもはいくらでも下っていった。しかし、ひもがつきたので戻そうとしたがあがらなかった。
二、三人が手伝って無理にひっぱったら、ひもは穴のふちでちぎれた。
写真機を片手にそれを見ていた記者の一人は、腰にまきつけていた丈夫な綱を黙ってほどいた。
学者は研究所に連絡して、高性能の拡声機をもってこさせた。
底からの反響を調べようとしたのだ。音をいろいろ変えてみたが反響はなかった。
学者は首をかしげたが、みんなが見つめているのでやめるわけに行かない。
拡声機を穴にぴったりつけ、音量を最大にして、長いあいだ鳴らしつづけた。
地上なら何十キロと遠くまで達する音だ。だが、穴は平然と音をのみこんだ。
学者も内心は弱ったが、落着いたそぶりで音を止め、もっともらしい口調で、
「埋めてしまいなさい」と言った。わからないことは、なくしてしまうのが無難だった。
見物人たちは、なんだこれでおしまいか、といった顔つきで引き上げようとした。
その時、人垣をかきわけて前に出た利権者の一人が申し出た。
「その穴を私にください。埋めてあげます」
村長はそれに答えた。
「埋めていただくのはありがたいが、穴をあげるわけにはいかない。
そこに社をたてなくてはならないんだから」
「社ならあとで私がもっと立派なのをたててあげます。集会場つきにしましょうか」
村長が答えるさきに、村の者たちが、
「本当かい。それならもっと村の近くがいい」
「穴のひとつぐらいあげますよ」
と口々に叫んだので、きまってしまった。もっとも村長だって異議はなかった。
その利権屋の約束は、でたらめではなかった。
小さいけれど集会場つきの社を、もっと村の近くに建ててくれた。
新しい社で秋祭りの行われた頃、利権屋の設立した穴埋め会社も、
穴のそばの小屋で小さな看板をかかげた。
利権屋は、仲間を都会で猛運動させた。すばらしく深い穴がありますよ。
学者たちも少なくとも五千メートルはあると言っています。
原子炉のカスなんか捨てるのに絶好でしょう。
官庁は、許可を与えた。原子力発電会社は、争って契約した。
村人たちはちょっと心配したが、数千年は絶対地上に害は出ない、と説明され、
また利益の配分をもらうことでなっとくした。
しかも、まもなく都会から村まで立派な道路が作られたのだ。
トラックは道路を走り、鉛の箱を運んできた。
穴の上でふたはあけられ、原子炉のカスは穴のなかに落ちていった。
外務省や防衛庁から、不要になった機密書類箱を捨てにきた。
監督についてきた役人たちは、ゴルフのことを話しあっていた。
下っぱの役人たちは、書類を投げこみながら、パチンコの話をしていた。
穴はいっぱいになる気配を示さなかった。よっぽど深いのか、
それとも、底の方でひろがっているのかも知れないと思われた。
穴埋め会社は、少しずつ事業を拡張した。
大学で伝染病の実験に使われた動物の死骸も運ばれてきたし、
引き取り手のない浮浪者の死体もくわわった。海に捨てるよりいいと、
都会の汚物を長いパイプで穴まで導く計画も立った。
穴は都会の住民たちに安心感を与えた。つぎつぎと生産することばかりに熱心で、
あとしまつに頭を使うのはだれもがいやがっていたのだ。
また、ひとびとは生産会社や販売会社でばかり働きたがり、くず屋にはなりたがらなかった。
しかし、この問題も、穴によって、すこしずつ解決していくだろうと思われた。
婚約のきまった女の子は、古い日記を穴にすてた。
かつての恋人ととった写真を穴にすてて新しい恋愛をはじめる人もいた。
警察では押収した巧妙なにせ札を穴でしまつして安心した。
犯罪者たちは証拠物件を穴に投げ込んでほっとした。
穴は、捨てたいものは、なんでも引き受けてくれた。
穴は、都会の汚れを洗い流してくれ、海や空が以前にくらべでいくらか澄んできたように見えた。
その空をめざして、新しいビルが、つぎつぎと作られていった。
ある日、建築中のビルの高い鉄骨の上で鋲打ち作業を終えた工員が、ひと休みしていた。
彼は頭の上で、
「おーい、でてこーい」
と叫ぶ声を聞いた。しかし、見上げた空にはなにもなかった。
青空がひろがっているだけだった。彼は、気のせいかな、と思った。
そして、もとの姿勢にもどった時、声のした方角から小さな石ころが彼をかすめて落ちていった。
だが彼は、ますます美しくなってゆく都会のスカイラインをぼんやり眺めていたので
それには気がつかなかった。
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