三島由紀夫の死去から54年
追悼行事「憂国忌」 東京都内で
来年1月に生誕100年を迎える作家の三島由紀夫(1925~70年)が、東京・市ケ谷の陸上自衛隊駐屯地で割腹自殺してから25日で54年を迎えた。命日の追悼行事「憂国忌」が東京都千代田区内で行われ、三島をしのんだ。
三島は1970年のこの日、自らが作った民間防衛組織「楯の会」のメンバー4人と陸上自衛隊東部方面総監部に押し入った。
憲法改正を訴え、自衛隊に決起を呼びかけた直後に行動に及んだのだが、ノーベル賞候補にも挙がった著名作家が切腹した事件は、国内外に衝撃を与えた。
「憂国忌」は三島の小説「憂国」にちなんでおり、三島の文学や思想に共感する人々らで造る「三島由紀夫研究会」などが実行委員会を構成して、毎年開いている。
この日の集会には約300人が出席し、インターネットでライブ配信もされた。
登壇した文芸評論家の富岡幸一郎さんは、中学1年生の時に事件が起き、直後に学校の授業で作品について学んだことが三島との出会いとなったという。
「三島の作品は難しい中にも深い感動があり、それから三島や他の文学を読み始めた。あの日ではっきりと自分の人生が変わった」と振り返った。
三島が生きた時代を知る世代が高齢化するなか、「生誕100年は、改めて三島の思想を考える時」などと語った。
この後のシンポジウムでは、三島らを研究する識者らが、三島の文学や思想的側面について語り合った。
三島の生誕100年を迎える来年1月14日の節目にも、記念の行事が開かれる予定。
大義のために死す
檄 文
1970年(昭和45年)11月25日
私は、自衛隊に、このような状況で話すのは空しい。
しかしながら私は、自衛隊というものを、この自衛隊を頼もしく思ったからだ。こういうことを考えたんだ。
しかし日本は、経済的繁栄にうつつを抜かして、ついには精神的にカラッポに陥って、
政治はただ謀略・欺傲心だけ………。これは日本でだ。ただ一つ、日本の魂を持っているのは、自衛隊であるべきだ。われわれは、自衛隊に対して、日本人の………。しかるにだ、我々は自衛隊というものに心から………。
静聴せよ、静聴。静聴せい。
自衛隊が日本の………の裏に、日本の大本を正していいことはないぞ。
以上をわれわれが感じたからだ。それは日本の根本が歪んでいるんだ。それを誰も気がつかないんだ。日本の根源の歪みを気がつかない、それでだ、その日本の歪みを正すのが自衞隊、それが………。
静聴せい。静聴せい。
それだけに、我々は自衛隊を支援したんだ。
静聴せいと言ったら分からんのか。静聴せい。
それでだ、去年の十月の二十一日だ。何が起こったか。去年の十月二十一日に何が起こったか。
去年の十月二十一日にはだ、新宿で、反戦デーのデモが行われて、これが完全に警察力で制圧されたんだ。
俺はあれを見た日に、これはいかんぞ、これは憲法が改正されないと感じたんだ。
なぜか。その日をなぜか。それはだ、自民党というものはだ、自民党というものはだ、警察権力をもっていかなるデモも鎮圧できるという自信をもったからだ。
治安出動はいらなくなったんだ。治安出動はいらなくなったんだ。治安出動がいらなくなったのが、すでに憲法改正が不可能になったのだ。分かるか、この理屈が………。
諸君は、去年の一〇・二一からあとだ、もはや憲法を守る軍隊になってしまったんだよ。自衛隊が二十年間、血と涙で待った憲法改正ってものの機会はないんだ。もうそれは政治的プログラムからはずされたんだ。ついにはずされたんだ、それは。どうしてそれに気がついてくれなかったんだ。
去年の一〇・二一から一年間、俺は自衛隊が怒るのを待ってた。もうこれで憲法改正のチャンスはない!自衛隊が国軍になる日はない!建軍の本義はない!それを私は最もなげいていたんだ。自衛隊にとって建軍の本義とはなんだ。日本を守ること。日本を守るとはなんだ。日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである。
おまえら聞けぇ、聞けぇ!静かにせい、静かにせい!話を聞けっ!男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ。いいか。いいか。
それがだ、いま日本人がだ、ここでもってたちあがらなければ、自衛隊がたちあがらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にだねえ、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。
諸君と日本の………アメリカからしかこないんだ。
シビリアン・コントロール………シビリアン・コントロールに毒されてんだ。シビリアン・コントロールというのはだな、新憲法下でこらえるのが、シビリアン・コントロールじゃないぞ。
………そこでだ、俺は四年待ったんだよ。俺は四年待ったんだ。自衛隊が立ちあがる日を。………そうした自衛隊の………最後の三十分に、最後の三十分に………待ってるんだよ。
諸君は武士だろう。諸君は武士だろう。武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。どうして自分の否定する憲法のため、自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。これがある限り、諸君てものは永久に救われんのだぞ。
諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略に、諸君が合憲だかのごとく装っているが、自衛隊は違憲なんだよ。自衛隊は違憲なんだ。きさまたちも違憲だ。憲法というものは、ついに自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気がつかんのだ!俺は諸君がそれを断つ日を、待ちに待ってたんだ。諸君はその中でも、ただ小さい根性ばっかりにまどわされて、本当に日本のためにたちあがるときはないんだ。
-そのために、われわれの総監を傷つけたのはどういうわけだ
抵抗したからだ。憲法のために、日本を骨なしにした憲法に従ってきた、という、ことを知らないのか。諸君の中に、一人でも俺といっしょに立つ奴はいないのか。一人もいないんだな。よし!武というものはだ、刀というものはなんだ。自分の使命………。
-それでも武士かぁ!それでも武士かぁ!
まだ諸君は憲法改正のために立ちあがらないと、見極めがついた。これで、俺の自衛隊に対する夢はなくなったんだ。それではここで、俺は、天皇陛下万歳を叫ぶ。
天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳!
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三十分間予定されていた演説は、七分間の茶番劇で終わった。
三島と森田は、型通りに「天皇陛下万歳」を三唱し、総監室に姿を消した。
三島は長靴を脱いで上着のボタンを外し、ズボンを押し下げて、床に坐った。
鋭い短刀を腹に刺し込み、右へ向けて横一文字に引いた。
名誉ある介錯人に選ばれた森田は、主人の背後に立ち、刀を振り上げて、三島の首を打ち落とす瞬間を待った。
内臓が床の上に溢れ出、三島の体は前方か後方のどちらかに傾いた。
森田は二太刀打ち下ろしたがうまく切れず、目的は果たせなかった。
彼より大柄な隊員の一人が軍刀をもぎ取り、力をこめて正確に振り下ろした。
三太刀目かに首は離れた。あるいは「押し斬り」にしたのかも知れない。
ついで森田は、血まみれの三島の胴体の脇にひざまずき、三島が使った短刀を取って自分の腹を刺したが、切り口は浅く、筋肉と脂肪の層を切り裂くまでには至らなかった。
これも切腹の一つの儀式であった。手練の一太刀で、彼の首も落ちた。
後に残った三人の会員は、このとき涙を流していたが、総監の縄を解き、胴体と首をきちんと並べて深々と頭を垂れたのち、警官や警務隊におとなしく取り押えられた。血生臭い事件は終わった。
(三島由紀夫・十一月二十六日午前十一時二十分から午後一時二十五分、慶応大学病院法医学解剖室・斎藤教授の執刀)。
死因は頚部割創による離断。左右の頚動脈、静脈がきれいに切れており、切断の凶器は鋭利な刃器による、死後二十四時間。
頚部は三回は切りかけており、七㌢、六㌢、四㌢、三㌢の切り口がある。右肩に、刀がはずれたと見られる十一・五㌢の切創、左アゴ下に小さな刃こぼれ。
腹部はへソを中心に右へ五・五㌢、左へ八・五㌢の切創、深さ四㌢、左は小腸に達し、左から右へ真一文字。身長百六十三㌢、四十五歳だが三十歳代の発達した若々しい筋肉。
森田必勝(船生助教授執刀)については、死因は頚部割創による切断離断、第三頚椎と第四頚椎の中間を一刀のもとに切り落としている。腹部のキズは左から右に水平、ヘソの左七㌢に深さ四㌢のキズ、そこから右へ五・四㌢の浅い切創、ヘソの右五㌢に切創。右肩に〇・五㌢の小さなキズ。身長百六十七㌢。若いきれいな体をしていた。
「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」と東出昌大と豊島圭介
『三島由紀夫VS東大全共闘』3月公開 東出昌大がナビゲーター
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なんちゅーめんどっちぃ考え方と報復手段を取る方なんでしょう「禁色」 by 三島由紀夫
本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)
1925年(大正14年)1月14日 - 1970年(昭和45年)11月25日)
楯の会
三島事件 1970年(昭和45年)11月25日
三島由紀夫が語るボディビルから割腹自殺への道
大義名分
儒教に由来する考え方で、本来は臣下として守るべき道義や節度、出処進退などのあり方を指した。
今日では転じて、「行動を起こすにあたってその正当性を主張するための道理・根拠」を指す事が多い。
果たし得ていない約束―私の中の二十五年
「私の中の二十五年間を考へると、その空虚に今さらびつくりする。私はほとんど『生きた』とはいへない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変へはしたが、今もあひかはらずしぶとく生き永らへてゐる。生き永らへてゐるどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまつた。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善といふおそるべきバチルスである。こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終はるだらう、と考へてゐた私はずいぶん甘かつた。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら」
「それほど否定してきた戦後民主主義の時代二十五年間、否定しながらそこから利益を得、のうのうと暮らして来たといふことは、私の久しい心の傷になつてゐる」
「なるほど私は小説を書きつづけてきた。戯曲もたくさん書いた。しかし作品をいくら積み重ねても、作者にとつては、排泄物を積み重ねたのと同じことである。その結果賢明になることは断じてない。さうかと云つて、美しいほど愚かになれるわけではない」
「二十五年間に希望を一つ一つ失つて、もはや行き着く先が見えてしまつたやうな今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大であつたかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使つてゐたら、もう少しどうにかなつてゐたのではないか。私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである」
鈴木智雄
「自由ヶ丘の私のジムに週2回、通ってこられるようになりました。1回、1時間程度の練習を2年ぐらいつづけられました。私のところをやめたあとも10年間つづけたそうで、その意志の強さには敬服しますが、三島さんの目的は、肉体の表面を美しく見せるにはどうしたらいいかといったものだけで、体育の本質には迫らず、本物を追求する精神はなかったようです」
(『週刊現代』増刊・三島由紀夫緊急特集号、1970年12月)
文豪・三島由紀夫の肉体を見たい―筋肉画像集
良書「三島由紀夫おぼえがき」
昭和45年11月25日―三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃 (幻冬舎新書) | |
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