広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

金の町・銀の町

2013-03-06 23:05:21 | 秋田の地理
だいぶ前にアップした珍名アパートに入れてもいいようなアパートを秋田市某所にて発見。
「Agハイツ」
Agって何? 所有者のイニシャルとか?
(勘がいい方は、タイトルを見て分かっちゃいますかね)

ヒント。近くには、
「ハイツ泉銀」(「いずみぎん」と読めばいいの?)

ここは、秋田市泉地区。
1999年に住居表示が実施されるまで「泉字銀ノ町」という地名があった。現在の泉中央一、五、六丁目、泉南一、二丁目の各一部に相当し、泉小学校・秋操近隣公園・泉保育所から保戸野桜町と接する天徳寺地下道の通り(神田線・添川線のバス通り)までの一帯。

上の2つのアパートの所在地は、いずれも旧銀ノ町だったと思われる。
「ハイツ泉銀」は地名の略だろうし、「Agハイツ」は「銀」の元素記号「Ag」が由来だろう。
【5月26日追記】クレヨンしんちゃんの秋田県(大曲辺り)在住の父方祖父「野原銀の介」。5月24日放送のアニメでは「Ag」というロゴ(?)が入ったパーカーみたいなのを着ていた。
今は泉中央

地名としての銀ノ町はなくなっても、「銀ノ町」にちなむ施設が他にもいくか残っている。
「leopalace銀ノ町MDI」
「レオパレス21」とは書いていないが、昔の運営会社名である「MDI」とあるので、無関係ではないようだ。

「秋田銀行泉銀の町家族寮」
銀行だけに銀の町とは都合がいい。

「銀ノ町」「銀の町」の表記が混在している。正式には「ノ」だったようだが、住民が住所を書く時などは「の」で書く人も多かった。
雪に埋もれる公園
その名は、
「泉銀の町街区公園」(1992年供用開始)
秋田市役所ですら「の」を使っている。
※秋田市では、住居表示で地名が変わっても、公園の名称は以前のものを引き続き残す方針のようで、他地域にも多い。


アパートで名称が「銀ノ町」など昔の地名ということは、それは古いアパートということになる。「泉中央」など新しい町名を使ったアパートも出てきているので、名前で古さが分かってしまうのは、大家さんとしては苦しいかもしれない。
銀ノ町を名乗っていたアパートには解体されたものもあり、昔の地名を今に伝えるの建物たちも、ゆくゆくは消えていく運命。


アパートや公園以外で旧地名を今も使っているものには、町内会の名前がある。
あとは、(銀ノ町にはないが)コンビニのサンクスの店名。※サンクスの店名に関する以前の記事
公式サイト店舗検索より「サンクス秋田泉上の町店」
銀ノ町の南隣に、字上ノ町というのもあり(同様に1999年に消滅)、そこにあるサンクスが改名せずに続いている。



さらに実は、銀ノ町の北隣には、字「金ノ町(きんのまち)」があった。金と銀が揃っていたのだ。
現在の泉中央二、三、四丁目の各一部で、泉小学校と泉中学校の間の一帯。(中学校の所在地は旧・字新川?)

銀ノ町ほど多くはないが、「金ノ町」を名称に使ったアパートも存在する。(元素記号にちなむ「Auハイツ」残念ながらはない)
そして、金ノ町にもサンクスがあった。
天徳寺地下道の通り。向かい(右側)は保戸野桜町
天徳寺地下道のすぐ南、上の写真で左側にあったのだが…
閉店していた!

「お知らせ」
2月28日午後10時で閉店したそうだ。
店舗名は「サンクス秋田金ノ町店」。泉上の町店と違って「泉」が付かない店名だったのだろうか。
この跡はどうなるのだろう?
【5月12日追記】5月現在では、空き店舗で、借り手を募集中。
【6月18日追記】7月の参議院選挙を控えて、某宗教系の立候補予定者が選挙事務所として借りたとのこと。
【2014年5月18日追記】選挙後空き家となり、2014年5月頃から高齢者の健康関係の店が入ったとのこと。

近くの他のコンビニといえば、400メートルほどの保戸野八丁(工業高校そば)にサークルK、あとはファミマやローソンは500メートルほど離れている。

5日付秋田魁新報経済面によれば、今年1月末時点の秋田県内の各コンビニ店舗数は、ローソン169、サンクス82、ファミリーマート56、セブン-イレブン14、サークルK12。金ノ町店の閉店で、サンクスは81になった。
ちなみにファミリーマートは2016年2月までに100店舗以上に増やす方針とのこと。



最後に、泉地区の地名についてまとめておきます。(参考:秋田市役所市民生活部生活総務課「地名小辞典」)
秋田市中央部の北寄り、新国道からJR奥羽本線・天徳寺にかけてが「泉」地区。
【3月7日追記】元々は「(南秋田郡)泉村」で、1889(明治22)年に手形村、保戸野村と合併して「下旭川村」の大字泉、1892(明治25)年に上旭川村(今の濁川・新藤田から仁別一帯)と合併して「旭川村」、1933(昭和8)年に秋田市に編入された。

40年ほど前までは一面の田んぼだったというが、宅地化が進んだ今はその面影はない。
1962年の航空写真を見れば、新国道・市電の線路から今で言う保戸野桜町にかけて、家が一軒もなく、まさに一面田んぼ。おそらく、保戸野、外旭川、八橋などの農家が耕作する田んぼだったのだろうか。県農業試験場がこの辺にあった(仁井田に移転する前)という話も聞いた。
1975年の航空写真では、線路沿いや秋大附属学校周辺はまだ田んぼが多いが、それ以外には住宅が建ち並んでいた。市立泉小学校は1979年、泉中学校は1981年に開校している。
余談だが、泉中学校の開校前の計画段階の仮称は「八橋中学校」だった。

なお、泉地区は、線路の向こう側(天徳寺側)にも一部またがっていて、そちらは外旭川小・外旭川中または旭川小・秋田東中学区。
狭義の「泉」と言えば、線路の保戸野側の泉小・泉中学区のエリアのみを指す。


かつては全部、大字「泉」だったが、(隣接地域と合わせて)段階的に住居表示が実施されている。特に1999年に大規模な住居表示が行われて、金ノ町、銀ノ町など多くの小字が消滅した。
現在までに住居表示が実施されてできた町名は、
1980年4月1日:泉一ノ坪、泉釜ノ町、泉馬場、泉東町、泉三嶽根(みたけね)
1999年10月1日:泉北(いずみきた)一~四丁目、泉菅野(すがの)一・二丁目、泉中央一~六丁目、泉南(いずみみなみ)一~三丁目
法則に従って、秋田市役所寄り=新国道側が一丁目。

それに、住居表示未実施の小字で五庵山(ごあんざん)、登木(のぼりき)、三嶽根が残る。
五庵山と三嶽根は平和公園とその周辺。住居表示実施の「泉三嶽根」と未実施の「泉字三嶽根」が共存するのがややこしい(1999年までは釜ノ町でも同様だった)。
登木は運輸支局付近の新国道の両側で泉の最北端。ぽつんと取り残されたようだけど、なんで住居表示しないのだろう。


以前存在し、住居表示実施に伴って泉から消えてしまった小字は次の通り。(住居表示後の新町名として残っているものも含む)
1966年消滅:八丁
1980年消滅:一ノ坪、反町(たんまち)、新堰(にいぜき)、馬場
1999年消滅:大橋、大畑、釜ノ町、上ノ町、金ノ町、銀ノ町、下ノ町、新川、菅野、道田(どうでん)、鯲沼(どじょうぬま)

「八丁」と言えば、今は泉の隣の「保戸野八丁(ほどのはっちょう)」。おそらくそこが旧・泉字八丁だったのだろう。泉から保戸野へ編入されて、地名が今に残ることになる。「反町」というのも、保戸野八丁付近の町内会名で残っているはず。

鯲沼」や「大畑」のように八橋(やばせ)と泉の2つの大字に同名の小字が存在したり、「大畑」と「大橋」、「新川」と八橋や保戸野の「新川向」のように似た小字が近接していたのは、ややこしかった。

1999年に住居表示が実施されたエリアには、小字を使ったバス停がいくつかあった(泉山王環状線と泉秋操線用)。
当時は市営バスが運行していただけに、バス停名は住居表示実施とおそらく同時に、改名された。
しかし、泉秋操線(現・泉ハイタウン線)の車両の行き先表示は、中央交通に移管される2006年3月まで変更されず、「泉道田」「泉上ノ町」と住居表示実施前の小字のまま残っていた。
 再掲

考えてみれば、気になるのは「○ノ町」シリーズの多さ。
天徳寺から南(八丁方面)へ向かって、釜ノ町-金ノ町-銀ノ町-上ノ町-下ノ町と5つがほぼ直線に並んでいたことになる。近くに「保戸野原の町」もあるが、昔は泉村の「原ノ町」だったようだから、6つか。
まあ、上と下、金と銀は、地名がなかったから適当な言葉を選んで並べただけにも思える。でも、「釜ノ町」の「釜」って何だろう?
コメント (4)
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