昨日に続いて弘前市内の話題。
弘前大学文京町地区。2011年春の記事の実質的続き。
※ほかに富田大通りの流雪溝と弘大農学生命科学部前バス停について、アップ済み。
弘前大学正門の左側
2000年代前半だろうか、正門と続く塀がリニューアルされ、かつては灰色系だったのが茶色になった。(門自体の基礎というか枠というかは、以前のものを活用しているはず)※リニューアル前の正門などについて
その際、向かって左側の塀の一部に大型ディスプレイ2台が埋め込まれた。
2005年にパイオニア株式会社から寄贈されたプラズマディスプレイ(同社は2009年にプラズマから撤退)で、「弘前大学インフォメーションボード」として8時から19時まで、大学や街の情報が表示されていた。
(再掲)
2011年春に見た時は稼働していたものの、昼間の明るさに対して輝度が低すぎてよく見えず、わざわざ足を止めて見る人もいなかった。さらに、東日本大震災直後の節電が叫ばれていた時期に、消費電力の多いプラズマを2台もつけっぱなしにすることに対しては、引っかかるものがあった。
その後、2014年7月に行ったら、ディスプレイは消灯し、ディスプレイを縁取る装飾が一部脱落するなど、みっともない状態だった。修理するか、フタでもして隠すかしたほうがいいと感じた。
上の写真の通り、現在はディスプレイは撤去され、桜と岩木山の写真入り看板と、構内案内図が掲出されている。見た目はこれで問題なく、無難なところでしょう。
さて、上の写真の右奥。そこが以前と変わっていた。白い建物と、その壁に大きな時計がある。
正門を入った右側のその建物は、大学の「本部」的な建物。
学生にはまず縁がない建物だけど、僕は2度ほど入ったことがある。
名称としては「事務局庁舎」(少なくとも現在の呼称。国立大学法人化される前などは違っていた可能性あり)らしい。ネット上の公式文書には「戦略本部棟」という、よく分からない名称も使われている。案内図などでは「事務局」が一般的な模様。
その建物に、2015年夏頃から1年ほどかけて「耐震化等改修工事」が施工されていた。
改修後の事務局庁舎
以前と違ったのは分かるけれど、以前の姿をよく思い出せなかった。地味な雰囲気だったのは確実だけど。
後で調べると、以前はもっと平面的な横長の箱状の建物。外観は灰色がかった緑色で、2階より上は微妙に色合いが違うタイルでモザイク状なっていた。
雰囲気としては、秋田大学手形キャンパスの正門の左側にある同じ趣旨の建物、「本部管理棟」の色違いみたいな感じだったようだ。
改修後は、中央の玄関部分に、3階までつながる白い出っ張りがついた。その壁に、「弘前大学」の文字と、壁面を文字盤にしたアナログ時計を設置。
※このような壁に埋め込んだ時計のことを、メーカーでは「塔時計」と呼んでいるらしい。
壁そのものの色は、1階がグレー、2階以上が肌色っぽい茶色で、先に改修された各学部校舎や図書館と統一。
しかし、2階より上には、壁の外側に白くて縦に細長い板をランダムに配置。それによって壁の地色も窓もほとんど見えなくなった。
最近の建築界では、こういう風に、外壁に細長いデザインを散りばめるのが流行っているみたいだ。でも、この建物の場合、これでは外壁の色を変えた意味がないし、他の建物との統一感もなくなるのでは? 風呂のフタを立てかけたように見えて(?)イマイチよく分からないし、古くなって汚れたら、外壁がところどころはがれ落ちたボロ家みたいに見えないでしょうか…
出っ張り部分。照明もある
中央の出っ張りは、ガラス張りの吹き抜けっぽく、中にらせん状のオブジェみたいなのが入っているのだろうか。近くで見なかったので詳細不明。
【2017年7月3日追記】2017年3月1日付「弘前大学同窓会報 第18号」で、「弘前大学事務局庁舎リニューアル」として、大学施設環境部整備計画課による説明が掲載されていた。
塔時計(「大時計」と表記)がある出っ張りは「アトリウム」だそうで、つまり吹き抜け。そのガラス張り部分はステンドグラスで、桜の花がモチーフ。桜から5色の虹が出ていて、その色は5学部を示す。
壁全体に散らばった風呂のフタのような縦長の物体は「日射を抑制する外装シェード(縦長パネル)」。だったらすき間なく埋めればいいのに…
庁舎は昭和47(1972)年築。(以上追記)
塔時計といえば、比較的近年に建設された秋田市立小中学校の校舎の必須装備。
(再掲)保戸野小学校。文字盤の仕様は弘大のと同じっぽいので、同じメーカーかも?
秋田市立学校のと比べると、弘前大学のは3倍くらい大きそう。建物1フロアの高さと文字盤の直径がだいたい同じ。
これだけ大きな時計だと、遠くからでもよく見えそう。
でも、正門から奥まった位置に、しかもやや右にずれて設置されている。そもそも正門の向かいは建物があるので、見える範囲は限られている。
そうそう。大学正面の時計といえば、
(いずれも再掲)当時はこういう緑がかったガラス張りの建物が流行っていた
秋田大学手形キャンパスの正門にもあった。ただし、デジタル式。
2011年春に、正門から見てほぼ真ん中に新たに造られた渡り廊下に設置されている。秋大も奥まった位置でどこからでも見えるわけではないが、正門の真向かいにまっすぐな道があるから、多少は見られていそう。
2015年春に久しぶりにじっくり歩いた、弘南鉄道大鰐線・弘前学院大前(旧・西弘前)駅の南西側、稔町~城南付近。
線路からすぐの青森銀行城南出張所は閉店していて、現在もそのままだった。
駅南側の踏切越しに。信号の奥左が銀行跡
その銀行跡角の小さな十字路。
僕が弘前にいた頃に、新たに信号機が設置されたのだが、それがいつだったのかは覚えていなかった。
ただ、信号機は当時と同じものが今も設置されているから、その銘板で製造年月を確認すれば、見当はつく。それを実行。
「平成8年11月」
予想というか漠然としたイメージでは、1996年度の前半くらいのような気がしていたけれど、それよりはわずかに後だった。
秋田県警の場合、製造されたその月中に設置されるケースもあるが、数か月後になることもある。
青森県警でもそうだとすれば、1996年末、もう少し広げて1996年度末にかけて設置されたということになろう。
永年の(些細な)疑問が解決して、(ちょっとだけ)スッキリした。
弘前の話題はもう少し続きます。
弘前大学文京町地区。2011年春の記事の実質的続き。
※ほかに富田大通りの流雪溝と弘大農学生命科学部前バス停について、アップ済み。
弘前大学正門の左側
2000年代前半だろうか、正門と続く塀がリニューアルされ、かつては灰色系だったのが茶色になった。
その際、向かって左側の塀の一部に大型ディスプレイ2台が埋め込まれた。
2005年にパイオニア株式会社から寄贈されたプラズマディスプレイ(同社は2009年にプラズマから撤退)で、「弘前大学インフォメーションボード」として8時から19時まで、大学や街の情報が表示されていた。
(再掲)
2011年春に見た時は稼働していたものの、昼間の明るさに対して輝度が低すぎてよく見えず、わざわざ足を止めて見る人もいなかった。さらに、東日本大震災直後の節電が叫ばれていた時期に、消費電力の多いプラズマを2台もつけっぱなしにすることに対しては、引っかかるものがあった。
その後、2014年7月に行ったら、ディスプレイは消灯し、ディスプレイを縁取る装飾が一部脱落するなど、みっともない状態だった。修理するか、フタでもして隠すかしたほうがいいと感じた。
上の写真の通り、現在はディスプレイは撤去され、桜と岩木山の写真入り看板と、構内案内図が掲出されている。見た目はこれで問題なく、無難なところでしょう。
さて、上の写真の右奥。そこが以前と変わっていた。白い建物と、その壁に大きな時計がある。
正門を入った右側のその建物は、大学の「本部」的な建物。
学生にはまず縁がない建物だけど、僕は2度ほど入ったことがある。
名称としては「事務局庁舎」(少なくとも現在の呼称。国立大学法人化される前などは違っていた可能性あり)らしい。ネット上の公式文書には「戦略本部棟」という、よく分からない名称も使われている。案内図などでは「事務局」が一般的な模様。
その建物に、2015年夏頃から1年ほどかけて「耐震化等改修工事」が施工されていた。
改修後の事務局庁舎
以前と違ったのは分かるけれど、以前の姿をよく思い出せなかった。地味な雰囲気だったのは確実だけど。
後で調べると、以前はもっと平面的な横長の箱状の建物。外観は灰色がかった緑色で、2階より上は微妙に色合いが違うタイルでモザイク状なっていた。
雰囲気としては、秋田大学手形キャンパスの正門の左側にある同じ趣旨の建物、「本部管理棟」の色違いみたいな感じだったようだ。
改修後は、中央の玄関部分に、3階までつながる白い出っ張りがついた。その壁に、「弘前大学」の文字と、壁面を文字盤にしたアナログ時計を設置。
※このような壁に埋め込んだ時計のことを、メーカーでは「塔時計」と呼んでいるらしい。
壁そのものの色は、1階がグレー、2階以上が肌色っぽい茶色で、先に改修された各学部校舎や図書館と統一。
しかし、2階より上には、壁の外側に白くて縦に細長い板をランダムに配置。それによって壁の地色も窓もほとんど見えなくなった。
最近の建築界では、こういう風に、外壁に細長いデザインを散りばめるのが流行っているみたいだ。でも、この建物の場合、これでは外壁の色を変えた意味がないし、他の建物との統一感もなくなるのでは? 風呂のフタを立てかけたように見えて(?)イマイチよく分からないし、古くなって汚れたら、外壁がところどころはがれ落ちたボロ家みたいに見えないでしょうか…
出っ張り部分。照明もある
中央の出っ張りは、ガラス張りの吹き抜けっぽく、中にらせん状のオブジェみたいなのが入っているのだろうか。近くで見なかったので詳細不明。
【2017年7月3日追記】2017年3月1日付「弘前大学同窓会報 第18号」で、「弘前大学事務局庁舎リニューアル」として、大学施設環境部整備計画課による説明が掲載されていた。
塔時計(「大時計」と表記)がある出っ張りは「アトリウム」だそうで、つまり吹き抜け。そのガラス張り部分はステンドグラスで、桜の花がモチーフ。桜から5色の虹が出ていて、その色は5学部を示す。
壁全体に散らばった風呂のフタのような縦長の物体は「日射を抑制する外装シェード(縦長パネル)」。だったらすき間なく埋めればいいのに…
庁舎は昭和47(1972)年築。(以上追記)
塔時計といえば、比較的近年に建設された秋田市立小中学校の校舎の必須装備。
(再掲)保戸野小学校。文字盤の仕様は弘大のと同じっぽいので、同じメーカーかも?
秋田市立学校のと比べると、弘前大学のは3倍くらい大きそう。建物1フロアの高さと文字盤の直径がだいたい同じ。
これだけ大きな時計だと、遠くからでもよく見えそう。
でも、正門から奥まった位置に、しかもやや右にずれて設置されている。そもそも正門の向かいは建物があるので、見える範囲は限られている。
そうそう。大学正面の時計といえば、
(いずれも再掲)当時はこういう緑がかったガラス張りの建物が流行っていた
秋田大学手形キャンパスの正門にもあった。ただし、デジタル式。
2011年春に、正門から見てほぼ真ん中に新たに造られた渡り廊下に設置されている。秋大も奥まった位置でどこからでも見えるわけではないが、正門の真向かいにまっすぐな道があるから、多少は見られていそう。
2015年春に久しぶりにじっくり歩いた、弘南鉄道大鰐線・弘前学院大前(旧・西弘前)駅の南西側、稔町~城南付近。
線路からすぐの青森銀行城南出張所は閉店していて、現在もそのままだった。
駅南側の踏切越しに。信号の奥左が銀行跡
その銀行跡角の小さな十字路。
僕が弘前にいた頃に、新たに信号機が設置されたのだが、それがいつだったのかは覚えていなかった。
ただ、信号機は当時と同じものが今も設置されているから、その銘板で製造年月を確認すれば、見当はつく。それを実行。
「平成8年11月」
予想というか漠然としたイメージでは、1996年度の前半くらいのような気がしていたけれど、それよりはわずかに後だった。
秋田県警の場合、製造されたその月中に設置されるケースもあるが、数か月後になることもある。
青森県警でもそうだとすれば、1996年末、もう少し広げて1996年度末にかけて設置されたということになろう。
永年の(些細な)疑問が解決して、(ちょっとだけ)スッキリした。
弘前の話題はもう少し続きます。