秋田市内で解体される建物について、時々話題にしている。
他人様のものであり、形あるものはいつかは姿を変えたり消えたりするものであるけれど、街並みの1つとして見慣れていたものがなくなってしまうのは、寂しいもの。どんな建物がどんな姿でどんな用途でいつまで建っていたかを、少しでも記録として残したいと考えている。
気のせいかもしれないけれど、今年は解体される建物がやや多い。
個人経営のお店などのほうが多い感じもし、昨今話題の事業承継とか空き家対策とかかもしれない。
一方で、大きな建物も壊されている。JR東日本秋田支社旧社屋や八橋鯲沼町の旧・日産ラ・カージュの建物などもあるけれど、今回は中央部の保育所2つ。いずれも、園舎が特徴的な建物として、以前当ブログで紹介していたものが、新園舎建設にともなって姿を消した。
まずは、2012年に保戸野保育所として紹介したもの。
当時は、秋田市立の保育所だった。
秋田市内にある保育所は、私立と市立があった。
偶然なのか意図があるのか、私立は「~保育“園”」、市立は「~保育“所”」という名称(他の都市ではそうでないところもある。法律上は公私とも保育“所”)。
雄和・河辺を除く旧・秋田市内だけでも、市立保育園は10園程度あったと思うが、市営バスと同様に民間への移管(秋田市の保育所の場合は「民間移行」と称していた模様)がここ10年ほどで順次進められてきた。
現在は、旧市内では寺内保育所だけが市立のようだ。
市営バスの民間移管とは異なり、保育所の民間移行は1園ごと移管先を募集・選考して決めている。移行後は、名称が少なくとも「~保育“園”」に変えられており、市立時代は漢字だった所在地名をひらがなに変えるところが多い(法人名など他のフレーズが加わることも)。
保戸野保育所も、2014年度から民間へ移行することになり、既に市内で別の園を運営している社会福祉法人による「ほどの保育園」となった。
他の移行園でも同様のようだが、園舎や備品は無償譲渡、土地は市が所有し貸与という形で移行されたようだ。
市立保戸野保育所は、1981年に旭北保育所が移転・改称して開園している。(それ以前のここには、秋田市交通局の庁舎とバスの車庫、古くには路面電車の車庫もあった。)
その時に建てられた建物は、同時期に建てられた市立秋田西中学校の校舎と、大きさは違うもののそっくりな外観だというのを、以前に紹介したのだった。
背後の高いのは秋田中央郵便局。新国道の裏側に位置する
ほどの保育園になってからも、外観はほぼ変わらず。
正面玄関にあった、低くてあまり意味がない門柱っぽいものと金属板の表札が撤去されて、玄関のひさしに箱文字(チャンネル文字)による表示が取り付けられた程度の変化。
正面に向かって左側が園庭。道路の形状はかつての線路や水路の名残か
今年の夏、園庭の遊具や角に小さな棚に仕立てられたノウゼンカズラなどがすべて取り払われてしまった。
7月上旬
奥のドーム状の屋根は、秋田銀行の体育館
やがて、園庭の跡に、
10月初め
プレハブの園舎が建った。
そして、
今までの園舎が解体された ※左奥の低い建物は郵便局の保健センター
解体されたのは小さそうな建物だったのに、意外に奥行きというか道路から見えない部分は広そう。これまで見られなかった、郵便局と秋銀体育館の裏面が見えた。
最近は見ていないけれど、旧園舎の位置に新しい園舎を建設するということだろう。
秋田市から引き継いだ園舎は、移行後3年ちょっとで役目を終えた。旧耐震基準で建てられた、築35年超の建物だし、潮時でしょう。【2018年1月24日追記・ということは耐震面が不充分な状態で、民間へ譲渡したということなんだろうか。だとすれば園児の安全面では、いいことではない。なお、同時期築の小中学校校舎では改修済み】
そういえば、市営バスの路線は、民間移管後3年間は、市営バス時代のダイヤだか本数だかを維持するという取り決めがあったそうだ。ひょっとしたら保育所でもそんなのがあるだろうか。
※新園舎はこの記事中ほど。
もう1つ。千秋公園の西側ふもと千秋矢留町の私立園「すくすく保育園」が、2013年に同じ町内で移転した。移転先は、かつて国民生活金融公庫が入っていたビル。
古めかしくいかめしいビルに保育園とは不思議な取り合わせながら、頑丈そうだし有効活用しているのかと思っていた。
(再掲)
ところが今月初め頃、
解体されていた!
気づけば、横や後ろに低層で家庭的な新しい園舎ができていた。そして、いつの間にか「やどめ保育園」という名称に変わっていた。
古いビルは4年ほどの“延命”だった。やっぱり金融機関をそっくりそのまま保育園にするには無理があったのかな。
他人様のものであり、形あるものはいつかは姿を変えたり消えたりするものであるけれど、街並みの1つとして見慣れていたものがなくなってしまうのは、寂しいもの。どんな建物がどんな姿でどんな用途でいつまで建っていたかを、少しでも記録として残したいと考えている。
気のせいかもしれないけれど、今年は解体される建物がやや多い。
個人経営のお店などのほうが多い感じもし、昨今話題の事業承継とか空き家対策とかかもしれない。
一方で、大きな建物も壊されている。JR東日本秋田支社旧社屋や八橋鯲沼町の旧・日産ラ・カージュの建物などもあるけれど、今回は中央部の保育所2つ。いずれも、園舎が特徴的な建物として、以前当ブログで紹介していたものが、新園舎建設にともなって姿を消した。
まずは、2012年に保戸野保育所として紹介したもの。
当時は、秋田市立の保育所だった。
秋田市内にある保育所は、私立と市立があった。
偶然なのか意図があるのか、私立は「~保育“園”」、市立は「~保育“所”」という名称(他の都市ではそうでないところもある。法律上は公私とも保育“所”)。
雄和・河辺を除く旧・秋田市内だけでも、市立保育園は10園程度あったと思うが、市営バスと同様に民間への移管(秋田市の保育所の場合は「民間移行」と称していた模様)がここ10年ほどで順次進められてきた。
現在は、旧市内では寺内保育所だけが市立のようだ。
市営バスの民間移管とは異なり、保育所の民間移行は1園ごと移管先を募集・選考して決めている。移行後は、名称が少なくとも「~保育“園”」に変えられており、市立時代は漢字だった所在地名をひらがなに変えるところが多い(法人名など他のフレーズが加わることも)。
保戸野保育所も、2014年度から民間へ移行することになり、既に市内で別の園を運営している社会福祉法人による「ほどの保育園」となった。
他の移行園でも同様のようだが、園舎や備品は無償譲渡、土地は市が所有し貸与という形で移行されたようだ。
市立保戸野保育所は、1981年に旭北保育所が移転・改称して開園している。(それ以前のここには、秋田市交通局の庁舎とバスの車庫、古くには路面電車の車庫もあった。)
その時に建てられた建物は、同時期に建てられた市立秋田西中学校の校舎と、大きさは違うもののそっくりな外観だというのを、以前に紹介したのだった。
背後の高いのは秋田中央郵便局。新国道の裏側に位置する
ほどの保育園になってからも、外観はほぼ変わらず。
正面玄関にあった、低くてあまり意味がない門柱っぽいものと金属板の表札が撤去されて、玄関のひさしに箱文字(チャンネル文字)による表示が取り付けられた程度の変化。
正面に向かって左側が園庭。道路の形状はかつての線路や水路の名残か
今年の夏、園庭の遊具や角に小さな棚に仕立てられたノウゼンカズラなどがすべて取り払われてしまった。
7月上旬
奥のドーム状の屋根は、秋田銀行の体育館
やがて、園庭の跡に、
10月初め
プレハブの園舎が建った。
そして、
今までの園舎が解体された ※左奥の低い建物は郵便局の保健センター
解体されたのは小さそうな建物だったのに、意外に奥行きというか道路から見えない部分は広そう。これまで見られなかった、郵便局と秋銀体育館の裏面が見えた。
最近は見ていないけれど、旧園舎の位置に新しい園舎を建設するということだろう。
秋田市から引き継いだ園舎は、移行後3年ちょっとで役目を終えた。旧耐震基準で建てられた、築35年超の建物だし、潮時でしょう。【2018年1月24日追記・ということは耐震面が不充分な状態で、民間へ譲渡したということなんだろうか。だとすれば園児の安全面では、いいことではない。なお、同時期築の小中学校校舎では改修済み】
そういえば、市営バスの路線は、民間移管後3年間は、市営バス時代のダイヤだか本数だかを維持するという取り決めがあったそうだ。ひょっとしたら保育所でもそんなのがあるだろうか。
話がそれるけど、市立時代は、近所のよしみなのか、秋田中央郵便局でポスト愛護とか年賀はがき発売・受付開始時のイベントに、保戸野保育所の園児が駆り出されて参加していた。
ところが、最近は、別の園が参加している(民間移行が境目かどうかは分からない)。
今年の年賀はがき関係イベント(発売も受付開始も?)でも、別の園の園児たちが歌を歌っていたけれど、その曲が「ドレミの歌」とたしか「幸せなら手をたたこう」。選曲理由が分からない…
ところが、最近は、別の園が参加している(民間移行が境目かどうかは分からない)。
今年の年賀はがき関係イベント(発売も受付開始も?)でも、別の園の園児たちが歌を歌っていたけれど、その曲が「ドレミの歌」とたしか「幸せなら手をたたこう」。選曲理由が分からない…
※新園舎はこの記事中ほど。
もう1つ。千秋公園の西側ふもと千秋矢留町の私立園「すくすく保育園」が、2013年に同じ町内で移転した。移転先は、かつて国民生活金融公庫が入っていたビル。
古めかしくいかめしいビルに保育園とは不思議な取り合わせながら、頑丈そうだし有効活用しているのかと思っていた。
(再掲)
ところが今月初め頃、
解体されていた!
気づけば、横や後ろに低層で家庭的な新しい園舎ができていた。そして、いつの間にか「やどめ保育園」という名称に変わっていた。
古いビルは4年ほどの“延命”だった。やっぱり金融機関をそっくりそのまま保育園にするには無理があったのかな。