秋田駅前、買物広場バス停の東側から、中央通りの向かい(南)側を見る。
中通四丁目。末廣ラーメンと工事中のビル
工事中のビルは「アジマックス秋田駅前ビル」。
以前は、笑笑、炭火焼鳥 めでた家、魚民のいずれも秋田西口駅前店が入っていたが、いつの間にか閉店。以前は黒かった外壁が黄色くなったので、改装して違う店になるのだろうか。【2024年8月11日追記・このビルの居酒屋以前は、地元スポーツ用品店の店舗の1つ「スポーツボックス竹半」が入っていたらしい。】
ところで、ここにあった3店はモンテローザ運営。
一方、「アジマックス」とは、秋田周辺で養老乃瀧(だんまや水産)などを運営するフランチャイジー(本社秋田市)。アジマックスとモンテローザの間に、フランチャイズ等の関係はなさそうだけど、ビルの所有者ではあるのだろうか? それとも別のアジマックス?
本題は、アジマックスビルと末廣ラーメンとの間の、狭い道路。
これでも対面通行
中央通りより南側一帯は、地元の個人経営の店を中心とした、ちょっとした飲み屋街。再開発の手は入っておらず、昔は鉄道通勤者・旅行者・国鉄~JR関係者でにぎわったのだろう。
そんなわけで、ほかにも狭い道路が伸びているが、ここはひときわ狭い。すぐ隣にもう少し広い道路もあるので、あえて選んで通る人も車も少ないはず。僕も今回、初めて歩いたかもしれない。そこで発見。
古い街灯
灯具に少々凝ったカバーが付いた、自立式の街路灯。ケーブルはつながっていなそうで、支柱はサビサビで、機能していないだろう。
反対側から。向かいがフォンテAKITA、右奥が秋田駅西口
灯具とは別に、行灯式だろうか、広告看板が付いている。
達筆な「駅弁の東洋軒」。
南向きは文字の褪せが激しい
東洋軒、聞き覚えがある。かつて秋田駅で構内営業(販売)していた駅弁業者。
現在では、秋田駅の駅弁業者は関根屋のみ。※花善の鶏めしは、構内営業ではなく大館駅からの輸送販売。
少し前は、関根屋のほか、伯養軒秋田支店→泉秋軒(2014年倒産)、日本レストランエンタプライズ(NRE、旧・日本食堂。いつの間にか撤退)と3社体制であったのは記憶しているのだが、さらにそれ以前、東洋軒という駅弁業者もあったという。
ニッポン放送NEWS ONLINE 2023年3月3日「昭和のころ「自由席」が生んだ秋田駅の駅弁需要、その理由は?」では、関根屋の社長が、
「東洋軒は弊社より後に駅弁に参入して、90年代まで作られていましたが、廃業に当たっては、弊社で従業員さんを引き受けました。」と言っている。※関根屋は明治35年創業。
ネット上には、東洋軒の駅弁の掛け紙の画像がいくつかアップされている。いずれも幕の内系(国鉄の区分で普通弁当)のようで、容器や材料が特殊な弁当については見当たらない。昭和末=1980年代前後商品の画像が多いが、戦前のものもあった。【10月27日追記・1979年に「とんかつ弁当」というトンカツの玉子とじ(カツ煮)の弁当を買って食べたという思い出を、ネットで見た。また、当時はホームでの立ち売りは関根屋だけで、東洋軒は改札外で購入したとのこと。】
関根屋社長は「秋田新幹線開業時には日本食堂(後のNRE)が入ってきました。」とも発言。
記憶では、1997年の秋田新幹線開業時点では、東洋軒はもうなかったはず。
したがって、関根屋・東洋軒・伯養軒の3社体制が1990年代前半もしくは中頃まで長く続き、1997年に関根屋・伯養軒・NREとなり、2010年代に関根屋だけになったという変遷になろう。
昭和末の東洋軒の掛け紙には、株式会社東洋軒の所在地が「秋田市中通り4丁目13の2」とある(正しくは中通四丁目)。
それはまさに、アジマックス秋田駅前ビルの所在地。
「二〇世紀ひみつ基地」2011年9月1日「秋田駅前居酒屋激戦区・定点観察」には、アジマックス秋田駅前ビルを指して、「かつての「スポーツボックス竹半」。さらにさかのぼると、戦前からこの近くで営業していた駅弁の「東洋軒」。」とあった。
同じ建物で、東洋軒→竹半→アジマックスと変遷したのか?
広告付き街灯は、東洋軒の本社の脇というか裏に立っていたことになる。
(他の広告主のものも含めて)同じデザインの街灯がほかにもないか、周辺をざっと見渡してみたが、なさそうだった。
広告主(あるいは設置管理者)である東洋軒がなくなった後、その管轄があいまいになって、放置されてしまっているのが実情だろう。なくなった地元企業の名を残す貴重なアイテムではあるが、老朽化で倒壊などしないか心配でもある(Googleマップストリートビューを見る限りでは、2012年以降で大きな変化はなさそう)。
中通四丁目。末廣ラーメンと工事中のビル
工事中のビルは「アジマックス秋田駅前ビル」。
以前は、笑笑、炭火焼鳥 めでた家、魚民のいずれも秋田西口駅前店が入っていたが、いつの間にか閉店。以前は黒かった外壁が黄色くなったので、改装して違う店になるのだろうか。【2024年8月11日追記・このビルの居酒屋以前は、地元スポーツ用品店の店舗の1つ「スポーツボックス竹半」が入っていたらしい。】
ところで、ここにあった3店はモンテローザ運営。
一方、「アジマックス」とは、秋田周辺で養老乃瀧(だんまや水産)などを運営するフランチャイジー(本社秋田市)。アジマックスとモンテローザの間に、フランチャイズ等の関係はなさそうだけど、ビルの所有者ではあるのだろうか? それとも別のアジマックス?
本題は、アジマックスビルと末廣ラーメンとの間の、狭い道路。
これでも対面通行
中央通りより南側一帯は、地元の個人経営の店を中心とした、ちょっとした飲み屋街。再開発の手は入っておらず、昔は鉄道通勤者・旅行者・国鉄~JR関係者でにぎわったのだろう。
そんなわけで、ほかにも狭い道路が伸びているが、ここはひときわ狭い。すぐ隣にもう少し広い道路もあるので、あえて選んで通る人も車も少ないはず。僕も今回、初めて歩いたかもしれない。そこで発見。
古い街灯
灯具に少々凝ったカバーが付いた、自立式の街路灯。ケーブルはつながっていなそうで、支柱はサビサビで、機能していないだろう。
反対側から。向かいがフォンテAKITA、右奥が秋田駅西口
灯具とは別に、行灯式だろうか、広告看板が付いている。
達筆な「駅弁の東洋軒」。
南向きは文字の褪せが激しい
東洋軒、聞き覚えがある。かつて秋田駅で構内営業(販売)していた駅弁業者。
現在では、秋田駅の駅弁業者は関根屋のみ。※花善の鶏めしは、構内営業ではなく大館駅からの輸送販売。
少し前は、関根屋のほか、伯養軒秋田支店→泉秋軒(2014年倒産)、日本レストランエンタプライズ(NRE、旧・日本食堂。いつの間にか撤退)と3社体制であったのは記憶しているのだが、さらにそれ以前、東洋軒という駅弁業者もあったという。
ニッポン放送NEWS ONLINE 2023年3月3日「昭和のころ「自由席」が生んだ秋田駅の駅弁需要、その理由は?」では、関根屋の社長が、
「東洋軒は弊社より後に駅弁に参入して、90年代まで作られていましたが、廃業に当たっては、弊社で従業員さんを引き受けました。」と言っている。※関根屋は明治35年創業。
ネット上には、東洋軒の駅弁の掛け紙の画像がいくつかアップされている。いずれも幕の内系(国鉄の区分で普通弁当)のようで、容器や
関根屋社長は「秋田新幹線開業時には日本食堂(後のNRE)が入ってきました。」とも発言。
記憶では、1997年の秋田新幹線開業時点では、東洋軒はもうなかったはず。
したがって、関根屋・東洋軒・伯養軒の3社体制が1990年代前半もしくは中頃まで長く続き、1997年に関根屋・伯養軒・NREとなり、2010年代に関根屋だけになったという変遷になろう。
昭和末の東洋軒の掛け紙には、株式会社東洋軒の所在地が「秋田市中通り4丁目13の2」とある(正しくは中通四丁目)。
それはまさに、アジマックス秋田駅前ビルの所在地。
ちなみに、関根屋本社は現在は駅裏・東通一丁目にあるが、以前は「中通四丁目5-19」、ここより西の秋田銀行秋田駅前支店・今はなき金萬ボウルのブロックにあったようだ。創業地は駅前旅館として、駅の真向かいにあったそうなので、何度か移転していることになる。
「二〇世紀ひみつ基地」2011年9月1日「秋田駅前居酒屋激戦区・定点観察」には、アジマックス秋田駅前ビルを指して、「かつての「スポーツボックス竹半」。さらにさかのぼると、戦前からこの近くで営業していた駅弁の「東洋軒」。」とあった。
同じ建物で、東洋軒→竹半→アジマックスと変遷したのか?
広告付き街灯は、東洋軒の本社の脇というか裏に立っていたことになる。
(他の広告主のものも含めて)同じデザインの街灯がほかにもないか、周辺をざっと見渡してみたが、なさそうだった。
広告主(あるいは設置管理者)である東洋軒がなくなった後、その管轄があいまいになって、放置されてしまっているのが実情だろう。なくなった地元企業の名を残す貴重なアイテムではあるが、老朽化で倒壊などしないか心配でもある(Googleマップストリートビューを見る限りでは、2012年以降で大きな変化はなさそう)。