「山王三丁目」にひっそりと改名された、新国道側の「山王十字路」バス停の続き。羽後交通の話の前に、長崎屋経由の歴史や市営バス時代のことを。
記憶にないが、長崎屋(ドン・キホーテ)の場所には、かつて秋田中央交通の本社と車庫(秋田営業所)があった。長崎屋は1986年開店で、本社・車庫は1985年7月頃に移転したようだ。
移転先は本社はすぐ近く、秋田営業所が工業団地のほうなので通称「大川反車庫」。
現状では、大川反車庫行きの路線は、公式には「中央交通線」と表記され(客はあまり使わない)、県庁経由と長崎屋経由がある。
長崎屋経由は、今も昔も中央交通の本社がルート上にあるので、「中央交通線」という路線名はその名残りなのかなという気はしていたが、県庁経由はそうでなくよく分からなかった。
また、大川反に車庫が移転したのは上記の通り1980年代中頃なので、歴史はそれほどでもないのだろうかとは思っていた。
以前のバス停表示板の記事にコメントをいただき、いくらかは見えてきた。
本社・車庫移転直後の車庫行きは長崎屋経由のみ。県庁経由は今の八橋市民広場・裁判所前が終点で、車庫まで回送していた。これは市営バス側の既得権(ほぼ重複するクリスマス電球とかたけやパン行きを運行していた)の主張というか協議の結果らしい。
その後、市営バスから中央交通への段階的移管が決まると、県庁経由も車庫まで延長されたとのこと。
つまり県庁経由大川反車庫行きは、平成以降に成立したもの。じゃあやっぱり「県庁経由中央交通線」はおかしいし、そもそも分かりにくいし、臨海営業所行きともまぎらわしいし(さらに大昔の八郎潟~五城目の電車線ともまぎらわしい)、いいネーミングではない。
秋田市営バスにも、長崎屋経由中央交通線への対抗なのか、免許維持目的なのか、長崎屋経由とほぼ同じ路線が存在した。
「大川経由交通局線」である。
秋田市交通局が、現在の秋田中央郵便局の場所から、現在の中央交通臨海営業所の場所へ移転したのは1980年だから、これもさほど歴史はない。
駅~交通局の路線は、最後まで残った県庁経由の山王交通局線がメイン。現在の臨海営業所線。
そのほか、違うルートで駅~交通局を結ぶ路線が、朝夕を中心に数本ずつ運行されていた。通町経由やみそのホーム・県庁経由と、大川経由。いずれも、中央交通へ移管される前に廃止された。
通町経由やみそのホーム経由は、中央交通が入りこまない市営バス単独エリア(将軍野線各系統)だったので、車両回送を兼ねた将軍野線の補完目的だったのだと思う。
2009年撮影。幕を回す途中で一瞬現れた「大川.交通局」
交通局から中央交通に譲渡された車両で、交通局時代の方向幕をそのまま使っている車両では、このようにコマが残っていた。【7日補足】上りの幕は「大川.秋田駅」だったはず。(少なくとも秋田市営バスや中央交通では)コマの追加や部分的書き換えはあっても、このように使わなくなったコマはそのまま残しておくのが基本だった。
1988(昭和63)年3月29日改正の冊子時刻表では、
路線名は「大川経由交通局線」だが、下の表の中では「大川町経由交通局線」と「町」が入ってしまっている。「大川」というのがピンとこない路線名だが、そのことからも、途中にある「川尻大川町」を通るのが由来のようだ。
下りが駅発18時25分と19時30分の2本。上りは交通局前発7時10分の1本。日曜祝日は運休。
なお、この後の1枚もの時刻表をたどっていくと、1992年12月で朝1本の上りが廃止され下り2本のみに。そして1995年12月26日改正で下りも廃止されている。
経路も掲載され、今と名前が違うバス停がいくつかある。全体のルートとしては、臨海バイパスに出る交差点の所の「小松製作所前(現・コマツ秋田前)」までが、中央交通の長崎屋経由と同じ。
中央交通は左折して、すぐに右折して、プライウッド→たけや製パン→車庫。
大川経由交通局線は右折してひたすら直進。今は臨海経由新屋西線が片道だけ通っている、山王臨海町バス停を通り、秋田朝日放送本社前を経て臨海十字路を越えれば、以降は県庁経由交通局行きと同じ。【臨海経由新屋西線は2022年9月で系統廃止。】
細かな停留所名。
注目は中ほどの 大町二丁目-山王十字路-旭北前-旭北錦町-川元山下町-山王五丁目
「旭北錦町」と「川元山下町」が、市営バスならでは。
中央交通での「長崎屋バスターミナル」と「中央交通本社前」に対応する。さすがにそれらを名乗るわけにはいかないでしょうね。
川元山下町は市営バス撤退で消滅したはず。旭北錦町は現在も片側だけあり、平日朝の5本だけ、川尻割山線の駅行きが停まる。長崎屋バスターミナル向かいの路上にあるバス停。
(再掲)市営バス時代。現在は電照式は撤去
市営バスでは新港線も含めて、両方向ともバスターミナル内に入らず、旭北錦町で停車していた。移管後は中に入るようになったが、朝の割山線はスムーズな運行をするためか、入らずに旭北錦町を使っている。
そして「旭北前」。
前回の通り、今は新港線専用で長崎屋経由は無視するが、大川経由は停まっていた。やはり旭北前=市営バス専用で、その名残りで、今も変則的なのだろうか。(割山線には、別の場所に旭北前がある)
「山王十字路」は1つしか記載されておらず、どういう扱いだったかは分からない。
中央交通長崎屋経由中央交通線のライバル、市営バス大川経由交通局線。残念ながら勝ち目はなかったようだ。ネット上にも記録は皆無だと思われるので、ここに記録しておきます。
さて、上の旭北錦町の再掲写真。市営バスの電照式バス停が写っている。
初代バス接近表示付き(で後に単なる電照式に成り下がった)にそっくり。しかし、これに接近表示は元々搭載されず、最初から電照式だった。上部のバス停名の表示板が、このサイズで黄緑色なら元バスロケ、白なら元から非搭載と見分けることができる。
ただし、登町上丁は黄緑色だが非搭載。これは板のサイズが異なる。サイズと色両方が識別のポイント。
白い表示板の電照式は、今は東通仲町しか残っていないと思う。旭北~旭南一帯にはちらほらあったのだが、電線地中化工事などでどれも撤去された。新港線側の川元小川町もかつてはそうだったし、山王三丁目になった山王十字路もそうだった。その下り側表示板。
(再掲)2009年撮影
ほかは手書き文字で、上段の社名だけが活字なので「市営バス」を書き換えたと考えられる。
そもそも、中央交通ではこのタイプは設置していないと思うし、隣の旭北錦町の市営バスのものと同型だったから、これも交通局設置だったものが、移管されたはず。
下段に「次は 中央交通前 です」とある。
「中央交通前」とは、現在の長崎屋バスターミナルのこと。これが設置された時期は1980年前後だろうから、おかしくない。
でも、市営バスのバス停なら「次は旭北前です」でないとおかしいし、仮に旭北前がなかったとしても、中央交通前でなく「旭北錦町」でないとおかしい。
上の時刻表の発行時期とは10年近くずれがあるので、その頃は状況が違ったとか、あるいは単に時刻表が間違っていたとか??
向かいの上り側も、同型の電照式だったと思うが、写真がないのが悔やまれる。「次は」はどうなっていただろう。
2009年末~2010年始に歩道の融雪工事が行われ、この電照式は撤去された。以前も少し触れた。
(再掲)2010年1月撮影 下り側
新品のダルマ型が置かれた。当時としてはきれいで目新しい仕様で撮影したのを覚えている。
色合いや、フォントがスーラであり、現在につながる表示板の初期だったはず。板の断面が白く、金属ではなくプラスチックかなと思ったがどうだったのか。
背後の鉄塔は、長崎屋BT向かいの東北電力
その後、
2017年1月
バス停名が太いスーラに変わっていた。おそらくこれに上貼りして「山王三丁目」にしている。
2019年9月撮影 上り側
分かりづらいが、上り側は2019年時点でも細いスーラ。その表示板は曲がってしまっている(プラスチックではなさそう)。現在は、平らな板で太いスーラの上に「山王三丁目」を貼っているので、これ以降に交換(ということは今年初めの竿燈大通り側と同時?)され、山王十字路としては短期間だったことになる。
上りは羽後交通のほうも曲がってしまっている。上りは英字がない古いタイプ。下りは英字入り。羽後交通について後日。
記憶にないが、長崎屋(ドン・キホーテ)の場所には、かつて秋田中央交通の本社と車庫(秋田営業所)があった。長崎屋は1986年開店で、本社・車庫は1985年7月頃に移転したようだ。
移転先は本社はすぐ近く、秋田営業所が工業団地のほうなので通称「大川反車庫」。
現状では、大川反車庫行きの路線は、公式には「中央交通線」と表記され(客はあまり使わない)、県庁経由と長崎屋経由がある。
長崎屋経由は、今も昔も中央交通の本社がルート上にあるので、「中央交通線」という路線名はその名残りなのかなという気はしていたが、県庁経由はそうでなくよく分からなかった。
また、大川反に車庫が移転したのは上記の通り1980年代中頃なので、歴史はそれほどでもないのだろうかとは思っていた。
以前のバス停表示板の記事にコメントをいただき、いくらかは見えてきた。
本社・車庫移転直後の車庫行きは長崎屋経由のみ。県庁経由は今の八橋市民広場・裁判所前が終点で、車庫まで回送していた。これは市営バス側の既得権(ほぼ重複するクリスマス電球とかたけやパン行きを運行していた)の主張というか協議の結果らしい。
その後、市営バスから中央交通への段階的移管が決まると、県庁経由も車庫まで延長されたとのこと。
つまり県庁経由大川反車庫行きは、平成以降に成立したもの。じゃあやっぱり「県庁経由中央交通線」はおかしいし、そもそも分かりにくいし、臨海営業所行きともまぎらわしいし(さらに大昔の八郎潟~五城目の電車線ともまぎらわしい)、いいネーミングではない。
秋田市営バスにも、長崎屋経由中央交通線への対抗なのか、免許維持目的なのか、長崎屋経由とほぼ同じ路線が存在した。
「大川経由交通局線」である。
秋田市交通局が、現在の秋田中央郵便局の場所から、現在の中央交通臨海営業所の場所へ移転したのは1980年だから、これもさほど歴史はない。
駅~交通局の路線は、最後まで残った県庁経由の山王交通局線がメイン。現在の臨海営業所線。
そのほか、違うルートで駅~交通局を結ぶ路線が、朝夕を中心に数本ずつ運行されていた。通町経由やみそのホーム・県庁経由と、大川経由。いずれも、中央交通へ移管される前に廃止された。
通町経由やみそのホーム経由は、中央交通が入りこまない市営バス単独エリア(将軍野線各系統)だったので、車両回送を兼ねた将軍野線の補完目的だったのだと思う。
2009年撮影。幕を回す途中で一瞬現れた「大川.交通局」
交通局から中央交通に譲渡された車両で、交通局時代の方向幕をそのまま使っている車両では、このようにコマが残っていた。【7日補足】上りの幕は「大川.秋田駅」だったはず。(少なくとも秋田市営バスや中央交通では)コマの追加や部分的書き換えはあっても、このように使わなくなったコマはそのまま残しておくのが基本だった。
1988(昭和63)年3月29日改正の冊子時刻表では、
路線名は「大川経由交通局線」だが、下の表の中では「大川町経由交通局線」と「町」が入ってしまっている。「大川」というのがピンとこない路線名だが、そのことからも、途中にある「川尻大川町」を通るのが由来のようだ。
下りが駅発18時25分と19時30分の2本。上りは交通局前発7時10分の1本。日曜祝日は運休。
なお、この後の1枚もの時刻表をたどっていくと、1992年12月で朝1本の上りが廃止され下り2本のみに。そして1995年12月26日改正で下りも廃止されている。
上に通町経由交通局線の上りが写っている。これは朝の運行(下りは夕方)。「みその病院」は今のみそのホーム。「県庁市役所経由」が1本あるが、通町は通らず、面影橋で旧国道から外れて、サンライフ→県立体育館前と運行。
経路も掲載され、今と名前が違うバス停がいくつかある。全体のルートとしては、臨海バイパスに出る交差点の所の「小松製作所前(現・コマツ秋田前)」までが、中央交通の長崎屋経由と同じ。
中央交通は左折して、すぐに右折して、プライウッド→たけや製パン→車庫。
大川経由交通局線は右折してひたすら直進。今は臨海経由新屋西線が片道だけ通っている、山王臨海町バス停を通り、秋田朝日放送本社前を経て臨海十字路を越えれば、以降は県庁経由交通局行きと同じ。【臨海経由新屋西線は2022年9月で系統廃止。】
細かな停留所名。
注目は中ほどの 大町二丁目-山王十字路-旭北前-旭北錦町-川元山下町-山王五丁目
「旭北錦町」と「川元山下町」が、市営バスならでは。
中央交通での「長崎屋バスターミナル」と「中央交通本社前」に対応する。さすがにそれらを名乗るわけにはいかないでしょうね。
川元山下町は市営バス撤退で消滅したはず。旭北錦町は現在も片側だけあり、平日朝の5本だけ、川尻割山線の駅行きが停まる。長崎屋バスターミナル向かいの路上にあるバス停。
(再掲)市営バス時代。現在は電照式は撤去
市営バスでは新港線も含めて、両方向ともバスターミナル内に入らず、旭北錦町で停車していた。移管後は中に入るようになったが、朝の割山線はスムーズな運行をするためか、入らずに旭北錦町を使っている。
そして「旭北前」。
前回の通り、今は新港線専用で長崎屋経由は無視するが、大川経由は停まっていた。やはり旭北前=市営バス専用で、その名残りで、今も変則的なのだろうか。(割山線には、別の場所に旭北前がある)
「山王十字路」は1つしか記載されておらず、どういう扱いだったかは分からない。
中央交通長崎屋経由中央交通線のライバル、市営バス大川経由交通局線。残念ながら勝ち目はなかったようだ。ネット上にも記録は皆無だと思われるので、ここに記録しておきます。
さて、上の旭北錦町の再掲写真。市営バスの電照式バス停が写っている。
初代バス接近表示付き(で後に単なる電照式に成り下がった)にそっくり。しかし、これに接近表示は元々搭載されず、最初から電照式だった。上部のバス停名の表示板が、このサイズで黄緑色なら元バスロケ、白なら元から非搭載と見分けることができる。
ただし、登町上丁は黄緑色だが非搭載。これは板のサイズが異なる。サイズと色両方が識別のポイント。
白い表示板の電照式は、今は東通仲町しか残っていないと思う。旭北~旭南一帯にはちらほらあったのだが、電線地中化工事などでどれも撤去された。新港線側の川元小川町もかつてはそうだったし、山王三丁目になった山王十字路もそうだった。その下り側表示板。
(再掲)2009年撮影
ほかは手書き文字で、上段の社名だけが活字なので「市営バス」を書き換えたと考えられる。
そもそも、中央交通ではこのタイプは設置していないと思うし、隣の旭北錦町の市営バスのものと同型だったから、これも交通局設置だったものが、移管されたはず。
下段に「次は 中央交通前 です」とある。
「中央交通前」とは、現在の長崎屋バスターミナルのこと。これが設置された時期は1980年前後だろうから、おかしくない。
でも、市営バスのバス停なら「次は旭北前です」でないとおかしいし、仮に旭北前がなかったとしても、中央交通前でなく「旭北錦町」でないとおかしい。
上の時刻表の発行時期とは10年近くずれがあるので、その頃は状況が違ったとか、あるいは単に時刻表が間違っていたとか??
向かいの上り側も、同型の電照式だったと思うが、写真がないのが悔やまれる。「次は」はどうなっていただろう。
2009年末~2010年始に歩道の融雪工事が行われ、この電照式は撤去された。以前も少し触れた。
(再掲)2010年1月撮影 下り側
新品のダルマ型が置かれた。当時としてはきれいで目新しい仕様で撮影したのを覚えている。
色合いや、フォントがスーラであり、現在につながる表示板の初期だったはず。板の断面が白く、金属ではなくプラスチックかなと思ったがどうだったのか。
背後の鉄塔は、長崎屋BT向かいの東北電力
その後、
2017年1月
バス停名が太いスーラに変わっていた。おそらくこれに上貼りして「山王三丁目」にしている。
2019年9月撮影 上り側
分かりづらいが、上り側は2019年時点でも細いスーラ。その表示板は曲がってしまっている(プラスチックではなさそう)。現在は、平らな板で太いスーラの上に「山王三丁目」を貼っているので、これ以降に交換(ということは今年初めの竿燈大通り側と同時?)され、山王十字路としては短期間だったことになる。
上りは羽後交通のほうも曲がってしまっている。上りは英字がない古いタイプ。下りは英字入り。羽後交通について後日。
幕しか見たこと無いので。
少なかったのはやはり中央忖度か。
さらに児童会館通りを走る系統もあったり、あのあたりが華やかな時代ですね。
今は亡き名前としては、環境事務所前でしょうか。
リサイクルセンターが移転して、市立体育館ができたため。
それにしても秋田市営バス時刻表が懐かしいです。
ところで中央交通も駅前の案内場で時刻表を無料配布してた事に最近初めて気が付きました。
それ、知らんかっとってんちんとんしゃんでした・・。
運行開始時期なども分かれば良かったのですが、末期はこんな形でした。市営バスの意地だったのか。
県庁・茨島経由御野場団地線の山王新町経由ですね。たけや製パン行きもそこそこ本数があったようです。"多系統少頻度"傾向で使いやすかったかはともかくとして。
環境事務所の隣の「下八橋」も、後に「八橋下水道終末処理場前」になりました。ちょうど今年8月、県の下水道と接続して、八橋での下水処理を終了。「八橋汚水中継ポンプ場」になっています。今のところバス停名はそのままのようですが…
>あんなかさん
昔の状況を想像しつつ地図と照らし合わせるのはちょっと面倒ですが、街の変化が見えてきておもしろいものです。
市営バス末期は広報折りこみの大判だけになっていました。移管で冊子が復活した形です。
今の中央交通は路線図はなぜか100円取るのに、時刻表はタダなんですよね。実費程度の負担なら仕方ないとも思いますが。
それってスーパー・エキセントリック・シアターとかYMO?