慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

慶喜さんが歩いた道(東京)

2013年10月22日 | 散歩
江戸城とは、違う場所に戻った東京での生活

謹慎生活も解け、明治天皇とも面会し、東京生活をエンジョイした慶喜さん
徳川慶喜宗家創立、谷中霊園へ仏式での埋葬希望等、最後の最後迄『偏屈人?』慶喜さん
慶喜さんの、人生の全ては『大政奉還』での『ボタンの掛け違い』が、スタート&エンドでしたね


徳川慶喜宗家家紋(引用)

徳川慶喜さん公爵の写真(引用)




巣鴨邸略図他

巣鴨邸跡地





小日向邸

小日向邸の横を通る丸の内線(騒音を避けた場所にも現在は線路が)

国際仏教大学(慶喜さん神道の葬儀なのに、終焉の場所が仏教大学になるとは、皮肉な話ですね)



徳川慶喜公谷中霊園
巣鴨邸
静岡での謹慎生活を終え、61歳で東京へ戻り過ごした巣鴨邸
公爵を授けられ、貴族院へも復帰し、復権への道を歩みました
徳川宗家と別家の徳川慶喜家宗家として、公爵、勲一等旭日大授章を授けました
巣鴨に居住していたのは4年間で、山手線の開通で、騒音を避ける為移動しました

小日向邸
現在の文京区春日2丁目で、76歳で亡くなるまで、過ごした場所です
慶喜さん希望もあり、徳川宗家と異なり、谷中霊園に埋葬されました

徳川宗家の寛永寺、増上寺に埋葬されず、何故谷中霊園への埋葬か?
慶喜さん天皇家に対し、恭順する意味で、神道形式での葬儀を希望しました
増上寺(浄土宗)寛永寺(天台宗)寺院は、仏式でなければ埋葬が出来ません
御台所がいる、谷中霊園に埋葬されました

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