🌸法隆寺4(言ってはいけない聖地の呪い)
⛳怨霊になった聖徳太子
☆法隆寺は、厩戸王(聖徳太子)の宮殿に接した寺院を始まりとする
☆法隆寺には不思議なエピソードが付いて回る
☆法隆寺は、厩戸王(聖徳太子)の宮殿に接した寺院を始まりとする
☆法隆寺には不思議なエピソードが付いて回る
☆法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮めるため
*位置や方角をずらして建てられた
☆聖徳太子の怨霊とは穏やかではない
⛳藤原氏は、太子の威光を利用した
☆聖徳太子が病没した後、太子の一族を継いだのは息子の山背大兄王
⛳藤原氏は、太子の威光を利用した
☆聖徳太子が病没した後、太子の一族を継いだのは息子の山背大兄王
☆山背大兄王は、蘇我入鹿の軍勢に攻められ、自刃に追い込まれた
*一族全て殺され、上宮王家は断絶した
☆蘇我入鹿も中大兄皇子と中臣鎌足に暗殺された
*一族全て殺され、上宮王家は断絶した
☆蘇我入鹿も中大兄皇子と中臣鎌足に暗殺された
*蘇我本宗家も減ぼされた
☆中臣鎌足は藤原の姓を賜り活躍する
☆中臣鎌足は藤原の姓を賜り活躍する
*鎌足の子である不比等も政権の中枢で活躍した
*不比等の子の四人が、次々と病に倒れて他界した
*不比等の子の四人が、次々と病に倒れて他界した
*太子のたたりが恐れられた
☆藤原氏は、蘇我氏を上宮王家を減ぼした悪逆の一族とし倒した
*藤原氏は、自分たちの功績をアピールした
*藤原不比等は、『日本書紀』の編纂に大きく関わっている
*藤原不比等は、『日本書紀』の編纂に大きく関わっている
*不比等は、太子の超人的なエピソードを記述した
(太子の成光を利用したい不比等の意図が反映された)
⛳斑鳩寺を再興し、東院を建立して太子の怨霊を鎮めた
☆太子の恨みの矛先が、藤原氏に向かったと考えた藤原一族
☆不比等の娘で聖武天皇の皇后である光明皇后
☆法隆寺夢殿の本尊である「救世観音像」
*救世観音像は、聖徳太子を模している
*救世観音像は、聖徳太子を模している
*光背部分が釘で観音像に打ちつけられている
*呪誼の証との説、学界では否定的な意見も多い
⛳「法隆寺の七不思議」
☆江戸時代より、法隆寺には、7つの不思議があるとも伝わる
⛳「法隆寺の七不思議」
☆江戸時代より、法隆寺には、7つの不思議があるとも伝わる
☆江戸時代、お伊勢参りや神社仏閣を巡る旅が大ブームとなる
☆法隆寺の参拝客も増えていた
☆七不思議は旅行客を楽しませるため、案内役が生み出したもの
☆法隆寺をめぐる謎はいまだに尽きない
(敬称略)
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⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
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⛳出典、「本当は怖い日本の聖地」
法隆寺4(言ってはいけない聖地の呪い)
(「本当は怖い日本の聖地」記事より画像引用)
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