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法隆寺4(言ってはいけない聖地の呪い)

2021年02月09日 | 聖地
🌸法隆寺4(言ってはいけない聖地の呪い)

怨霊になった聖徳太子
 ☆法隆寺は、厩戸王(聖徳太子)の宮殿に接した寺院を始まりとする
 ☆法隆寺には不思議なエピソードが付いて回る
 ☆法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮めるため
 *位置や方角をずらして建てられた
 ☆聖徳太子の怨霊とは穏やかではない

⛳藤原氏は、太子の威光を利用した
 ☆聖徳太子が病没した後、太子の一族を継いだのは息子の山背大兄王
 ☆山背大兄王は、蘇我入鹿の軍勢に攻められ、自刃に追い込まれた
 *一族全て殺され、上宮王家は断絶した
 ☆蘇我入鹿も中大兄皇子と中臣鎌足に暗殺された
 *蘇我本宗家も減ぼされた
 ☆中臣鎌足は藤原の姓を賜り活躍する
 *鎌足の子である不比等も政権の中枢で活躍した
 *不比等の子の四人が、次々と病に倒れて他界した
 *太子のたたりが恐れられた
 ☆藤原氏は、蘇我氏を上宮王家を減ぼした悪逆の一族とし倒した
 *藤原氏は、自分たちの功績をアピールした
 *藤原不比等は、『日本書紀』の編纂に大きく関わっている
 *不比等は、太子の超人的なエピソードを記述した
 (太子の成光を利用したい不比等の意図が反映された)

⛳斑鳩寺を再興し、東院を建立して太子の怨霊を鎮めた
 ☆太子の恨みの矛先が、藤原氏に向かったと考えた藤原一族
 ☆不比等の娘で聖武天皇の皇后である光明皇后
 ☆法隆寺夢殿の本尊である「救世観音像」
 *救世観音像は、聖徳太子を模している
 *光背部分が釘で観音像に打ちつけられている
 *呪誼の証との説、学界では否定的な意見も多い

⛳「法隆寺の七不思議」
 ☆江戸時代より、法隆寺には、7つの不思議があるとも伝わる
 ☆江戸時代、お伊勢参りや神社仏閣を巡る旅が大ブームとなる
 ☆法隆寺の参拝客も増えていた
 ☆七不思議は旅行客を楽しませるため、案内役が生み出したもの
 ☆法隆寺をめぐる謎はいまだに尽きない
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、「本当は怖い日本の聖地」




法隆寺4(言ってはいけない聖地の呪い)
「本当は怖い日本の聖地」記事より画像引用)

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