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小早川隆景1(毛利元就の三男)

2022年05月27日 | 歴史
🌸小早川隆景1(毛利元就の三男)

 ☆司馬違太郎先生の人物像に異論呈す
 ☆小早川という名前の由来
 ☆毛利元就の「三本の矢」のエピソードから深層を読み解く


謹慎の意を込め早川に「小」を加えた?
 ☆関ヶ原で裏切りを断行
 *徳川家康の勝利を決定づけた人物として小早川秀秋は有名
 ☆小早川という家の歴史
 *毛利家の当主たる毛利輝元に、子どもが生まれなかった
 *豊臣秀吉が目付け、秀秋を養子に押しつけようと画策した
 ☆毛利家は鎌倉時代から続く名門
 *それを、出来の悪い秀秋が嗣ぐなど、耐えがたい
 ☆小早川家も鎌倉時代からの名門
 *小早川が犠牲になり「秀秋」を養子として迎えた
 ☆小早川の苗字の由来
 *「蘇我兄弟の仇討ち」北条時政によるクーデター
 *土肥実平これに加担し失脚し相模の本領を失う
 *嫡男遠平は、中国地方に拠点を移す
 *土肥の家名は棄て世を憚るとか謹慎の意を込めて
 *早川にも「小」をつけて小早川を名乗った
 ☆小早川氏が拠点を移したのは、安芸国の沼田荘
 *荘園は鎌倉時代・室町時代を通じて経済的に栄えた

小早川家毛利家に勝るとも劣らぬ名門
 ☆毛利家は鎌倉幕府の文官筆頭
 *文官の4男毛利季光は、文官としての道を歩まずに
 *武士になることを選択し、様々な合戦に参加して功績を挙げた
 *彼は、宝治合戦で、妻の実家三浦氏に味方して討ち死した
 *毛利家は何とか滅亡は免れたものの
 *全国各地に分散して細々と生き延びることになった
 ☆その一つが安芸国の毛利家で毛利元就が誕生している
 *元就は次男の元春を吉川氏にだす
 *三男の隆景を小早川氏に養子に出す
 *二つの家を乗っ取ることによって毛利の勢力の伸張を図った
 *隆景は、毛利家のために小早川家を犠牲にした
 ☆毛利三本の矢のエピソード
 *元就が3人の息子へ毛利家は安泰だと訓戒を与えたというもの
 *お前たちが頼りにすべきは、血を分けた兄弟だけなのだしている
 *3人が仲違いしたら毛利は滅亡と心せよ説く

秀秋の養子は「小早川のため」だった
 ☆武士の観念で、大切なのは血の継続ではなく家の存続である
 ☆小早川家の人間になったからには、
 *隆景にとり大切なのは、小早川であって毛利ではない
 *元春の吉川も同じである
 ☆その為、父の元就は三本の矢の手紙で強調している
 ☆小早川隆景が、秀秋を養子として迎えた理由
 *司馬先生が想定した「毛利のため」ではなく
 *純粋に「小早川のため」だったのだ
                          (敬称略)                                     
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⛳出典、『THEMIS5月号』









小早川隆景1(毛利元就の三男)
(ネットより画像引用)

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