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最強の日本史纏め(2)

2018年11月13日 | 歴史
日本と世界がわかる『最強の日本史』

仏教伝来・聖徳太子・大化の改新(2)
 ☆シルクロードにつながる朧西から唐は興った
 *唐を建国した李淵のルーツは、隴西
 ☆百済の減亡と新羅のコウモリ外交
 *唐は新羅と組んで高句麗より百済を先に片づける事にした
 *百済は、日本・高句麗・百済同盟を成立させる
 *孤立した新羅は、唐に百済攻撃を要請し百済滅びる
 *その後、新羅と唐の関係悪化し、日本と新羅の関係は改善した
 *韓国や北朝鮮は、新羅が百済や高句麗を継承したと思っている
 ☆聖徳太子は、天智、天武にとり祖父の仇敵
 *聖徳太子は、天智、天武天皇の祖父押坂大兄皇子の仇敵だった
 ☆中世にあつて天智天皇は神武天皇以上の存在
 *天智天皇は中興の祖として神武天皇以上の扱いを受けている
 *天智天皇には多くの子がおり、その中で大友皇子は優秀でした
 ☆光明皇后と恵美押勝のめざした大国日本 
 *聖武天皇とその皇后光明子は、仏教にこだわった国造りをした
 *奈良時代恵美押勝(藤原仲麻呂)という宰相
 *仲麻呂は、光明皇后が亡くなると淳二天皇を即位させ権力者となった
壮園制・摂関制・武士の登場
 ☆大唐帝国の黄昏と平安時代
*唐の穏やかな衰退期で、シルクロードも維持できなくなる
 *唐では、役人が強くなり、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる
 ☆奈良時代の大きな政府と藤原時代の小さな政府
 ☆聖徳太子の時代から奈良時代迄、日本は世界で最も活力のある国だった
 ☆平安京が古代宮都の最終ゴールになった理由
 *平安京は水路の便が良かった
 ☆天武朝の終わりと百済王家の血を引く桓武天皇の登場
 *側室の一人が百済王を先祖にもつ渡来人系の下級官吏の娘だった
 *その娘が生んだ子供が桓武天皇
 ☆「ねぶた祭り」は坂上田村麻呂の戦勝祝賀行事
 *桓武天皇時代に、蝦夷征伐を行った坂上田村麻呂
 ☆小池百合子は源義経と似ている
 *義経の戦う戦略は奇襲戦を得意とし小池百合子に似ている
 ☆平安時代はイスラム帝国の全盛期
 ☆日本では、遣唐使は自然消滅し高麗からの交流の中し出も断る
 ☆密教と門跡寺院の経済学が凄い
 *摂関家や皇室では余った子供の天下り先に困っていた
 *寺院に荘園を与え、そこに余った子供を天下りさせた
 *金融業なども行い莫大な利益を上げていた
 ☆平将門は五代十国の騒乱を知っていた
 ☆関東武士と言うと清和源氏が主流と思う人多い
 *先行したのは桓武平氏
幕府・元寇・禅宗文化(1)
 ☆部下同士で喧嘩をさせないと仕事がなかった将軍と守護
 *江戸時代の大名は現在で言えば知事
 *鎌倉・室町時代の守護は、現在で言えば県警本部長で行政権がなかった
 *守護は、治安維持が主な仕事でした
 ☆源平合戦の原因は後白河院の身勝手
 *後白河法皇は、無能で我がままで暗君
 *平清盛の補佐で何とか過ごしていた
 *清盛と不仲になり幽閉された
 ☆大人数が、集団自決した鎌倉幕府の幕引き
 *鎌倉は新田義貞が攻略し、鎌倉で高時ら約800名自決した
 ☆足利尊氏は栃木県に行ったことはない
 *尊氏を栃木県人と信じている人多い
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出典、『最強の日本史』








日本と世界がわかる『最強の日本史』(ネットより画像引用)



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