「日本書紀」以降の天皇2(46~49代)
第46代孝謙天皇、第48代称徳天皇
☆道鏡を重用して仏教政策を推し進める
☆孝謙天皇時代
*母の光明皇太后や藤原仲麻呂が国政を補佐
*橘奈良麻呂の変を経て仲麻呂の権勢はさらに高まった
☆皇太子(淳仁天皇)に皇位を譲って太上天皇となった
☆太上天皇は、反乱を起こした仲麻呂を討った
☆再び皇位に就き、称徳天皇となった
☆称徳天皇は仏教に対する崇敬が篤く、仏教重視の政策を推し進めた
☆寵愛する道鏡を法王に任じた
*こうした治世が不満を招く
☆女帝が亡くなると、道鏡は下野国へ左遷された
第47代淳仁天皇
☆孝謙天皇から皇位を譲られ淳仁天皇となった
*淳仁天皇は、藤原仲麻呂との結びつきが深い
*仲麻呂を太政大臣と同等の「太師」に任じた
☆仲麻呂は、孝謙上皇に追い詰められて反乱を起こし敗死する
☆淳仁天皇は廃位されて淡路に流された
*その後「淡路廃帝」と呼ばれた
*明治に入ってから「淳仁」と追認された
第49代光仁天皇
☆称徳天皇の崩御後、重臣によって後継者の選定が行われる
☆天智天皇の孫が、光仁天皇となった
☆皇統は天武系から天智系へ転換した
☆光仁天皇は、橘奈良麻呂、藤原仲麻呂の乱に関与した人々に大赦を与えた
☆天武系の皇后や皇太子を廃し、新たに桓武天皇を後継者にすえた
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『『日本書紀』と天皇126代』
「日本書紀」以降の天皇2(46~49代)
(『『日本書紀』と天皇126代』記事より画像引用)
第46代孝謙天皇、第48代称徳天皇
☆道鏡を重用して仏教政策を推し進める
☆孝謙天皇時代
*母の光明皇太后や藤原仲麻呂が国政を補佐
*橘奈良麻呂の変を経て仲麻呂の権勢はさらに高まった
☆皇太子(淳仁天皇)に皇位を譲って太上天皇となった
☆太上天皇は、反乱を起こした仲麻呂を討った
☆再び皇位に就き、称徳天皇となった
☆称徳天皇は仏教に対する崇敬が篤く、仏教重視の政策を推し進めた
☆寵愛する道鏡を法王に任じた
*こうした治世が不満を招く
☆女帝が亡くなると、道鏡は下野国へ左遷された
第47代淳仁天皇
☆孝謙天皇から皇位を譲られ淳仁天皇となった
*淳仁天皇は、藤原仲麻呂との結びつきが深い
*仲麻呂を太政大臣と同等の「太師」に任じた
☆仲麻呂は、孝謙上皇に追い詰められて反乱を起こし敗死する
☆淳仁天皇は廃位されて淡路に流された
*その後「淡路廃帝」と呼ばれた
*明治に入ってから「淳仁」と追認された
第49代光仁天皇
☆称徳天皇の崩御後、重臣によって後継者の選定が行われる
☆天智天皇の孫が、光仁天皇となった
☆皇統は天武系から天智系へ転換した
☆光仁天皇は、橘奈良麻呂、藤原仲麻呂の乱に関与した人々に大赦を与えた
☆天武系の皇后や皇太子を廃し、新たに桓武天皇を後継者にすえた
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私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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出典、『『日本書紀』と天皇126代』
「日本書紀」以降の天皇2(46~49代)
(『『日本書紀』と天皇126代』記事より画像引用)
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