なかなか見応えある試合でした👏
現代っ子
1960年代を中心に盛んに使われた
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第2次世界大戦後の日本社会に顕著に進行した現象
家制度の廃止、核家族化,民主的な道徳教育の普及、
6・3・3制の施工とそれに伴う進学率の増加、進学競争の普遍化、
都市化、情報社会化、テレビの普及、大衆社会化、経済成長
などを背景にしてきた子供たちを言う
要するに..
第2次世界大戦以前の
特に農村や小都市での牧歌的な生活のなかで育った子供と
比較対象して使われました。
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私も当時(1960~1970年代)
都市化の進む街で育ち
何かにつけて
『現代っ子だねぇ』と言われてきました が..
その意味がよく解りませんでした(^^;
なぜなら
自分(たち)にとっては
全てが当たり前でしかなく
それ以前との比較を意識してはいなかったから..
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(本題に戻しますね)
昨日の甲子園決勝戦を観ていて
まさしく
『現代っ子』が更新されているのを感じました
同時に
そういうことかぁ..
と 遡って『現代っ子』と言われていた自分の世代を
なんとなく腑に落ちる思いがしました
時代は..流動的に進化していく
その中で
従来型では無い、あらたな概念を持った人が増えると
『宇宙人』『新人類』などと
理解しがたい新たな世代を評したりする...
いつ頃からか..
アスリートたちの中に
従来型では無い『新しい概念』が浸透し始めて
絶賛される結果を見せ始めるようになった..
水泳で言えば 北島康介選手
テニスなら 錦織浩二選手
陸上競技 サッカー 体操競技 etc.
そしてフィギュアの羽生結弦くん
MLBで活躍する大谷翔平くん
などなど
それを
ゆとり世代の象徴のように感じるのは
私だけではない..
たしかに
意図して『ゆとり教育』を試みた時代があり
その頃から 『個性』をどう発揮して行くか
という様々な模索もあり..
従来と同じことをするにしても
取り組み方の概念が塗り替えられて行った
と 私は感じます。
過渡期というものには
未だ従来型の概念が影響したりしますけれども
今回の高校野球に例えれば
かなり過渡期が進んで
新たな概念が台頭しつつあるような気がしました
それを
去る時代に『現代っ子』と評された私から見ると
まさしく 新時代の訪れ=新現代っ子
と 言えるような思いがしました
しかし
彼らにとってはそれが 当たり前なのです ね
むしろ 古き概念=因習は
新たな時代人から学ぶべきところも多い
そう思いますね
親御さんもきっとおしゃれな方なのでしょう、と感じましたが、
これも…時代の流れなんですよね。
お仕事お忙しそうですね(^^)/
>髪にハイライトをいれてシマ模様におしゃれに染めた小学生の女の子
>これも…時代の流れ
↑ ↑
そもそも日本人は
[同質性が高い]国民気質なので
異質なものを受け入れ難い社会..
その子がそうする理由や必要性など..
一見では理解が難しいですね
でも..
そういう強い[個性]を発揮して
周囲に容認させてしまう傾向が
高まりつつあるような時流は感じますね