福富ストラット

「記者ときどき農夫」。広島の山里で子ども向け体験農園づくりにいそしむ、アラフォー新聞記者のブログ。

続・醍醐味は旅の途上にあり

2019-12-23 00:08:09 | 日記
 前回のブログで、「1200キロの道のりを自転車で90時間以内に走破する」イベントに加わるためにフランスに渡った知人女性のフェイスブック連載に触れた。この連載をネタに、わがブログはあしたのジョー、大村はまへと、コーフン、迷走ぎみに展開する。

 月に1度、アラフォー隊員と同じ協力隊員たちが定期的に集まり、活動や課題を報告し合うミーティングがある。この場で、アドバイザー的存在の人の口からしばしば飛び出す言葉が、「で、その先にある目的は何?」という言葉。ふーん、と隊員はそこで、はたと止まってしまう。目的を達成するための道のり、か。
 そういえば、記者として最近まで担当していた教育委員会の幹部もよく口にしていた。「今の時代、知識も道案内もタブレットでポンと検索すれば出てきます。これからの子どもは、その知識を活用する力を育むべきです」と。一理ある。知識の詰め込みばかりじゃ人生、立ちゆかない。

 でも、学ぶってそういうことか、とも思う。図書館でふさわしい図鑑を探し当ててページをめくったり、見知らぬ町で見ず知らずの人に道を聞いたりして、いろんなことを間違えながら遠回りする。その手ざわり感のあるプロセスが、隊員にとっては楽しい学びでもあった(今もそうだ)。仕事の中にある手作業、生きるための家事、出会いのためのドサ回り、悩んで考え失敗する時間…。そんなおいしいところを、「効率いいから」って自分の生活から持っていかれたくない。
 だって、目的のためにプロセスをこまぎれに断片化して手放しすぎると、仕事も暮らしも手ざわり感を失う。味気なくなる。愛着がわかない。「きちんとした」結果を「早く」出すためにプロセスの大半は誰かに委ね、スマートにゴールしても、おもしろくもなんともないけどなぁ。

 「すでに半分ポンコツで勝ち目がないとしたって、そういうことじゃないのさ」
 パンチ・ドランカーとなった矢吹ジョーが、ホセ・メンドーサとの試合の直前、ヒロインの白木葉子から「試合の中止と引退」を懇願されて吐くセリフ。だいぶちがうけど、うん、「そういうことじゃない」のだ。青臭いヒロイズム、嫌いじゃない。

 「あこがれのフランスで、好きな自転車を思いきりこいできちゃおう」。なんてロードバイク好きの知人女性の「実験」も、もっともらしい目的や意義とは無縁な感じがうれしい。
 効率重視、目的偏重の時代。教師で、国語学者だった大村はま(1906~2005年)の詩がしみる。

(前略)
今はできるできないを気にしすぎて
持っているもの 授かっているものを出し切れていないのではないか
成績をつけなければ 合格者をきめなければ、それはそうなのだ
今の日本では 教師も子どもも 力のかぎりやっていないのだ
やらせていないのだ
優劣のなかで 教師も子どもも あえいでいる
学びひたり 教えひたろう
優劣のかなたで
(大村はま「優劣のかなたに」)






最新の画像もっと見る

コメントを投稿