159)お皿の底と縁

 いま日本では棚田ブームだそうで、稲作りに挑戦したり、写真撮影に通う人が、私の友人のなかにもいます。でも、この棚田も黄土高原のものはスケールがちがいます。どこまでいっても、とにかく棚田、棚田、棚田…。
 日本や中国の都市からきた人は「どうしてこんなところまで?」と不思議がります。そりゃそうですね、中国の国土は日本の26倍もあるんですから。
 ところが中国では、海抜5百メートル以下のところが国土の16パーセントなのにたいして、5千メートル以上のところが19パーセントもあるそう。人の住めないところ、耕作できないところが多いんですね。その結果、こんな山の急斜面まで畑になります。
 このような光景を私はよくお皿に例えます。雨のたびに土が流され、その土は皿の底にたまっていきます。降った雨も下へ下へと下っていきますし、地下水も皿の底に集まっています。ここだったら井戸を掘って灌漑することも可能です。一帯のなかでは相対的に豊かなわけです。
 逆にお皿の縁にあたる高所の村は絶対的に貧しくなります。土はやせ、水は乏しい。井戸を掘るにも百メートルを超えないと水はでません。村は小さく、農家1戸あたりの耕地は広くなります。生産性が低いから、広くないとやっていけないわけです。牛馬のような大家畜は飼えませんから、畑仕事はすべて人力。労働がきついのに収穫は乏しいのです。
 【写真】耕して天に至る! 高所の村ほど条件が悪く、貧しくなる。
 (2008年2月25日号)
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