マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

バランス

2017-09-27 22:41:24 | 最近の読書
先日、ふと思いついたことをネット検索していたら、以前お世話になった先生の論文をたまたま見つけました。
私にとって、内容も興味深く、わかりやすい翻訳で読みやすかったので、その場で早速読んでみました。

『現代神学の概観』 デイル・W・リトル 著 北野 献慈 訳 

この論文の結論部分では、このように述べられています。
「神学は聖書と文化という二つの極の間で機能している。福音主義神学者にとって、啓示の極である聖書はいつも強調されなければならないものだ。同じことが、福音派の牧師や宣教師についても言える。なぜなら神学者だけが『神学をする』のではないからだ。 牧師が聖書を教え、またこの世での信仰者の生活について教えているということは、 彼らもまた神学をしているということだ。(中略)そして良いバランスを持っている人は、聖書を究極の権威とする人である。」

私に与えられている務めのためにも、「神学をする」ことにおいて良いバランスを持ちたい、と願いを新たにさせられました。
そうは言うものの、この時代にあって、良いバランスを保つことは、なかなか困難な課題です。
祈りとともに、神のことば、聖書への地道な取り組みを大切にしていきたいと思います。


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歴史から学ぶ

2017-07-20 20:29:46 | 最近の読書
今年は宗教改革500周年。
宗教改革のことも改めて考えてみたいと思いまして、最近、この本を読んでいます。

『宗教改革の精神と日本のキリスト者』中村敏 著 いのちのことば社




あとがきにも述べられていますが、宗教改革を日本のキリスト者との結びつきで書いている点が特色です。
宗教改革の概要を踏まえて、現代の日本のキリスト者として何を大切にしていくべきか、その課題を考察しています。

時代や状況は異なりますが、宗教改革者たちの精神から学ぶことは有益ですし、本質的には現代のキリスト者や教会にも通じることだと思います。

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頂いた本

2017-07-04 19:50:38 | 最近の読書
先日、L先生から一冊の本を頂きました。
お申し出のあった何冊かのうち、この本はまだ持っていないものでしたので、感謝して受け取りました。



『なぜ神が説教の中心であるのか』
ジョン・パイパー 著 相崎恵美 訳
Christ Bible Institute Press 2015.4.1 発行

私にとって、内容もとても興味深く、訳文も読みやすかったです。
論旨も、三位一体の神という神理解と結びつけられて明快で、200ページちょっとなので、一気に読了。
説教に携わる者として、刺激を受け、随分励まされました。
ジョナサン・エドワーズにまつわる章も、良かったです。

序文にはこんな一節があります。
「…真の礼拝には、常にこの二つの側面があります。神を知性で理解することと、神を心から味わうことです。…」

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古書でしたが

2017-07-03 22:24:04 | 最近の読書
牧会学の講義のときに、M先生から教会に関する本を紹介して頂きました。
古書なのですが、幸い、ヤフオクで良心的な価格のものを見つけることができました。
早速、手配して購入。


『聖書の教会観』 R. B. カイパー 著/ 山崎 順治 訳
小峯書店 1972年 初版

この本の序説、「栄光は消えたのか」の中で、「教会の差し迫った危険がその内部から生じている」というくだりがあります。
その危険の代表的なものを「世俗化」と「教理的無関心」としています。


たしかに聖書は次のように言っています。
「神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。」(テモテへの手紙第一 3:15b)


教会開拓期ということで、礼拝に集まっているみなさんと、改めて教会をテーマにして学んでいます。
不定期ではありますが、これまでも主日礼拝の主題説教のテーマに教会を選んできました。
教会が建て上げられていくために、みことばを語り、教えることに尽力したいと思います。

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問題意識

2017-02-11 14:20:42 | 最近の読書
日本の教会や社会のことを思うとき、危機感と戸惑いとを覚えています。
一人のキリスト者として、伝道者、牧師としてどのように歩んでいくのか、問われるところです。

最近、『従順という心の病』アルノ・グリューン著、ヨベル を読んで、考えさせられているところです。
この本で指摘されている状態は、教会のカルト化にも通じるところがあるでしょうし、即カルトとは行かなくとも、そもそも体質として抱えているものなのだと思います。



今日の午前中は、『「日本的キリスト教」を超えて』を読んでいました。
「日本的キリスト教」への洞察に教えられるところが多くありました。
自らの人生を振り返る、講師の真摯な観察にも感銘を受けました。
この時代の宣教と教会形成、地域社会にあっての使命など、時代を見る眼を持たなくては...と思わされます。




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