最近関心を持っていることは、聖書をどのような視点で読むかということです。
神学校の新約研究のクラスでは、「様式史」や「非神話化」について聞きました。
そのクラスの課題で、「イエスの生涯」 遠藤周作 著 を読んでいます。
聖書の記述の歴史性や無誤性を否定した見方で聖書を読むと・・・
結果として、非常に主観的なイエス像が生まれてきます。
ある部分は事実で、ある部分は創作であるというのであれば、そうならざるをえません。
改めて、聖書を誤りなき神の言葉として向き合うことの意味を考えさせられます。
聖書の記述が歴史的にも誤りのないものと見る視点。
もちろん、聖書の中には難解な箇所はたくさんあります。
それらを解明するための様々な分野での研究も必要でしょう。
ですが、まず視点が大切だと思います。
それでこそ、聖書に真摯に向き合っていくことに意味があるのだと思います。
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、
教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
それは、神の人が、
すべての良い働きのためにふさわしい
十分に整えられた者となるためです。」
(テモテⅡ3:16,17)
神学校の新約研究のクラスでは、「様式史」や「非神話化」について聞きました。
そのクラスの課題で、「イエスの生涯」 遠藤周作 著 を読んでいます。
聖書の記述の歴史性や無誤性を否定した見方で聖書を読むと・・・
結果として、非常に主観的なイエス像が生まれてきます。
ある部分は事実で、ある部分は創作であるというのであれば、そうならざるをえません。
改めて、聖書を誤りなき神の言葉として向き合うことの意味を考えさせられます。
聖書の記述が歴史的にも誤りのないものと見る視点。
もちろん、聖書の中には難解な箇所はたくさんあります。
それらを解明するための様々な分野での研究も必要でしょう。
ですが、まず視点が大切だと思います。
それでこそ、聖書に真摯に向き合っていくことに意味があるのだと思います。
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、
教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
それは、神の人が、
すべての良い働きのためにふさわしい
十分に整えられた者となるためです。」
(テモテⅡ3:16,17)