マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

育まれる

2016-07-05 15:02:23 | 教会の風景
私たちの教会は、「疲れた人、重荷を負った人が休み憩う教会」とされることを願っています。
歩調はゆるやかですし、大きな事業を展開するような群れではありませんが...
主のみことばに養われて、各々が遣わされた生活の場で神の恵みを指し示す存在でありたいです。





教会の一角に飾ってある『母子像』です。
柚月芳氏の作品と聞いています。
私は、平和、保護、平安、喜び、信頼、希望… そのような言葉を連想します。

神の愛と恵みを一身に受けながら育まれていく教会となりますように。
そして、神の救いをふさわしく語り伝えることができますように。



さて、礼拝説教のあらすじの続きも掲載しておきます。

2016年4月 礼拝説教 旧約講解 ヨシュア記6,7章
 エリコには良質な泉があり、水にも恵まれ、オアシスとなり、ナツメヤシの町とも呼ばれていた。町としての歴史は古く、B.C.9600とかB.C.7700とも言われる。ヨシュアの時代には堅固な城壁を持つ町となっていた。イスラエルがエリコを攻略しようとした時、「エリコは、イスラエル人の前に、城門を堅く閉ざして、だれひとり出入りする者がなかった」(6:1)。そのような堅固な守備にもかかわらず、主はヨシュアに「あなたの手に渡した」と告げ(6:2)、どのようにエリコに立ち向かうのかを指示した(6:3-5)。ヨシュアは主の命じられた通りを行うべく、民に『進みなさい』と指令を出した(6:7)。ヨシュアが民に出したその指令は、主の約束への信頼と命令への従順を表すものだった。私たちは自分の置かれた状況の中で、何を優先に物事を考えているだろうか。
 「魔がさす」という言い方がある。ある辞書では「悪魔が入り込んだように、一瞬判断や行動を誤る。出来心を起こす。」と定義されている。聖書は華々しいエリコでの勝利、それに伴う指導者ヨシュアの認知度アップを記している(6:27)。主なる神がイスラエルと共におられる、神の民の証しとなっていた。ところがそれに次いで、聖書は「しかし」(7:1)と続ける。イスラエルの民の一員であるアカンが、主に禁じられていた戦利品を着服してしまったのだった。聖書はそれを『不信の罪』と呼び、民への主の怒りを引き起こすものと伝えている。一人の不心得者の不信の罪が民全体にも影響した。心地よいテーマではないが、罪の問題をいい加減に扱うことはできない。主のことばを大切にし、聴き従う心をもってお仕えしよう。


最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

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