マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

「捨てられた」が「選ばれた」という存在

2016-07-18 17:16:31 | 教会の風景
昨日も静かな朝を過ごし、集まった方々と共に主を礼拝しました。



これは、礼拝のための会場準備を終え、みなさんを迎える前に撮った写真です。







「隠れた名店」のような教会になれるといいのですが...(牧師のひとり言)



それはさておきまして、聖書はキリストとキリストを信じる者たちのことをこのように表現しています。

ペテロの手紙第一 2章4,5a節
「主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。」


主、キリストを「人には捨てられた」としながらも、「神の目には、選ばれた…」としています。
事実、主であるイエスは、当時のユダヤ人の指導者たちからは拒絶され、ローマの権限の下で十字架刑に処せられました。
キリストは見捨てられたあげく、苛酷な最期を遂げました。

しかし、イエスの死は私たちの贖いのためであって、神が計画しておられたことの成就でした。
私たちはだれでも、このキリストの死のおかげで救われて、神のくださる真のいのちに生きることができます。

さらに驚くべきことに、聖書はキリストのことを「生ける石」と呼んだだけでなく、「あなたがたも生ける石として」と言っています。
そして、信仰を同じくする者たちの共同体(つまり教会)に加わり、連なっていく、あるいは留まっているようにと招いています。

人には捨てられたけれども神には選ばれている、というアイデンティティをキリストに認めて、なおかつ自分自身の信仰者としてあり方にも重ねて信仰と交わりに身を置くことができれば幸いです。

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