昨日の礼拝では、出エジプト記13:11-16より学びました。
「忘れないために」という題でした。
主は、イスラエル人がやがて約束の地カナンに入る時、行うべき習慣を命じられました。
・家畜の最初の子(雄)をいけにえとして主にささげること。
・長男のためにいけにえをささげることで贖うこと。
それは、エジプトに起きた10番目の災害を思い起こすためでした。
エジプトの家畜と人の最初の子が死んでしまうという超自然的な災害でした。
その出来事は、エジプト人にとっては神の裁きであり、イスラエル人にとっては神の救いを示すものでした。
「主は力強い御手によって、私たちを奴隷の家、エジプトから連れ出された。」(14節)
ここでの神の命令は、神の救いを子孫にまでしっかり伝えていくためでした。
神の恵みを忘れやすいのは、昔も今も変わらない人の弱さです
しかも、約束の地カナンに入ってからのことですから、生活の豊かさや安定が得られた時のことです。
さて、出エジプトの災害に対比する出来事が、新約聖書のヨハネの黙示録にあります。
この世の終末を、様々な幻や象徴的な表現で印象的に伝えています。
様々な災害に続く、この世の終焉と新天地の到来。
そのような流れの中での中心的な出来事は、主イエスの再臨です。
主イエスの再臨は、神の裁きと神の救いをもたらすものです。
主を信じない者に対しては裁きの日であり、主を信じ待ち望む者には救いの完成の日です。
かつては、イスラエル人が神の救いの御業を心に留めるため、動物のいけにえがささげられました。
今は、十字架においてご自身をささげられたイエスを覚えて、聖餐を行います。
この方のおかげで、私たちは神の裁きを免れ、神の国の民とされています。
昨日の礼拝においても、神の恵みを覚えつつ、兄弟姉妹と聖餐式を行いました
「忘れないために」という題でした。
主は、イスラエル人がやがて約束の地カナンに入る時、行うべき習慣を命じられました。
・家畜の最初の子(雄)をいけにえとして主にささげること。
・長男のためにいけにえをささげることで贖うこと。
それは、エジプトに起きた10番目の災害を思い起こすためでした。
エジプトの家畜と人の最初の子が死んでしまうという超自然的な災害でした。
その出来事は、エジプト人にとっては神の裁きであり、イスラエル人にとっては神の救いを示すものでした。
「主は力強い御手によって、私たちを奴隷の家、エジプトから連れ出された。」(14節)
ここでの神の命令は、神の救いを子孫にまでしっかり伝えていくためでした。
神の恵みを忘れやすいのは、昔も今も変わらない人の弱さです
しかも、約束の地カナンに入ってからのことですから、生活の豊かさや安定が得られた時のことです。
さて、出エジプトの災害に対比する出来事が、新約聖書のヨハネの黙示録にあります。
この世の終末を、様々な幻や象徴的な表現で印象的に伝えています。
様々な災害に続く、この世の終焉と新天地の到来。
そのような流れの中での中心的な出来事は、主イエスの再臨です。
主イエスの再臨は、神の裁きと神の救いをもたらすものです。
主を信じない者に対しては裁きの日であり、主を信じ待ち望む者には救いの完成の日です。
かつては、イスラエル人が神の救いの御業を心に留めるため、動物のいけにえがささげられました。
今は、十字架においてご自身をささげられたイエスを覚えて、聖餐を行います。
この方のおかげで、私たちは神の裁きを免れ、神の国の民とされています。
昨日の礼拝においても、神の恵みを覚えつつ、兄弟姉妹と聖餐式を行いました