バッサリ斬り棄て、進撃のマダム!へ

大人になり過ぎて気付くことがある。老いを恐れず、今迄積み上げて来た自分から更に素敵マダムを目指すためのエクスポート。

母子家庭解散にあたり、アレやコレ

2022-08-22 17:29:00 | 日記

娘との18年間の母子家庭解散の前夜は嵐の夜だった。

最後の二人での晩餐であったが、娘の引越し準備がそれなりにハードだった上に外は雨風が強く、とても買い物へ出る気にはなれず、いつもの通り、家にある物で支度することにした。いつもは二人でキッチンに立ち、花嫁修業と称し、料理や片付けを娘に教えながら食事を作るのだが、今夜は娘の入浴中に、好きそうなものを、低脂肪高カロリーなものをと、私一人で準備してあげたかった。

ストックのシャンパンを抜き、少し良いワインも開栓したお陰で、それなりに良い具合の晩餐として洒落こむことに成功したように思う。





これまた、いつもの休日の夕食時間の通りに、お互いの近々の仕事、友人間で起きた事を話題にして食事をし、撮り溜めたTV番組のうち「マツコの世界」を観ながら、ワインを飲んでいた。いつもと違ったのは、娘がやたらと二人での暮らしの昔話をしたがり、同じく母子家庭で育つ友人らからは、「貴女の心情を思うと辛い!」と言われているとまで言ってきたこと。

正直、私は、淋しさよりも嬉しさが大きく、実に幸せな気分だったので、気に留めないフリをした。

もともと、あまり過去を振り向かないタイプでもある。過去の悪い出来事は、そのタイミングと環境とその時の考え方が起こしたことで、その時と今とは違う条件下にあっただけの事と捉え、振り返ることにあまり意味がないと思ってしまう。また、良い事も同様で、その時だったからで、今同じことをしても同様の感激や幸せに繋がると考えない。そのため、敢えてこのタイミングで娘と二人の昔話にふける気持ちにはなれなかった。

 

もともと、私達母娘は、かなりタイプが違う。私は、若い頃には、早く親から離れたくて、一人暮らしにも海外留学にも憧れていたものだが、娘は英国へホームステイに出すも海外暮らしが肌に合わないと言い、特に海外でテレビから流れるニュースの英語の音を聞くと気分が悪くなるとまで言う。英語スキルならわざわざ海外へ行かなくても在留外国人との触れ合いで十分、ブラッシュアップできる!とも言い張る。また、一人暮らしよりも親との同居の方がコスパは良く、精神的な安定を維持する事ができ、仕事での良いパフォーマンスに繋がると考えている様で、結局、私が予定していたよりも約5年も長く母子家庭生活が続いたのだった。

 

よって、今回の彼女の巣立ちについても、ふと、私達双方には受留め方に大きな相違があるのかも?との思いがちらつきもしたが、恐らく時間が解決するだろうと、そこにはフォーカスしない事にした。

私達の一つの時代はこれで終わり、今後、恐らく一緒に暮らすことはないのだろうと思う。

今後は、お互いの生活スタイルは確実に変化していき、各自の都合良いスタイルが確立されていくわけで、同居するなんて思いは浮かばないだろう。

娘は恐らく、私を一人にして出ていく事が忍びないと思っている様だったが、それは、実に無用なのだ。率直に言って、今年初めにお付き合いしていた男性とお別れし、娘に心配をかけたのは事実ではあったが、振り回されることのない憧れの一人暮らしにワクワクしていたし、娘が出て行った後の片づけと新レイアウトを考えることで、頭がいっぱいでもあったのだ。

なんとか、食事中にそれを伝えたつもりであったが、翌日、娘は、大きな涙を次から次へとぽろぽろ流しながら、私に見送られて彼の待つ新居へと越して行った。越してからも、チャットや写真が送られてくる毎日がしばらく続き、とりあえず、スタンプを返す位に留めた。

そのうち、新生活に集中し、私のことなど忘れるだろう。それが親子なのだと思う。

 

私は、新生活を楽しんでいる。

今までも自由に生活していたものの、やはり常に頭の片隅で娘の事があり、美容を気にする年頃なので食事内容を工夫し、スーパーで娘の好きなものを見つければ購入してしまう。洗濯もなんだかんだとやってあげてしまう始末で、この度、それらから一気に解放され、部屋は汚れないし、洗濯機をまわす回数は減り、時間にゆとりでき、生活がかなりシンプルになり、家事が楽になった。精神的にも、一つの大きな課題をクリアした満足感があり、根拠はないが、今の私は強運というか、運気に勢いがあるような気分で、この勢いのまま、ひとり旅に出かけてみようか? 新たな事に挑戦してみようか?と、いう思いがふつふつと、わき上がってくる勢いだ。が、現在、友人からは「気を緩めることなかれ」との戒めを受け、先ずは、慎重且つ丁寧に新生活を開始させている。

 




ラストイベントは、新たなスタートライン‼︎

2022-08-13 08:50:00 | 日記

母娘で暮らしてきた我が家は、毎年夏に舞台鑑賞するというのを定例にしてきた。例年、ミュージカルを観る事が多く、今年は、ブロードウェイミュージカルの金字塔的な傑作と言われ、既に初演より50年近く経つという「コーラスライン」の来日公演を楽しむことにした。長年演じ続けられる世界的に有名な定番ミュージカルだが、離婚した夫が常に、この作品を如何に好きかを結婚生活中に語り続けたため、なんとなく避ける傾向にあったのか、私達は未だ観ていなかった。

祝福と共に母子家庭解消の今年、既に私達母娘の歴史や記憶には、離婚した夫の影もかけらもなく、何の執着もない今、避ける理由はない。反って我が家の最後の定例イベントに相応しい作品になることだろう。

期待通り、殆どの役者が身長は高く、手足も長いその身体で繰り出す大きなジャンプや身軽なステップは圧巻だった。また、各ソロのダンスも、軸がぶれないというか基点を抑え、全身を使って舞うその安定感と美しさは見事としか言いようがない。

但し、ストーリーが、オーディションを受けるダンサー個々のここに至る迄のバックグラウンドを歌にのせて語り、ダンスで表現していくというものなのだが、そのベースが「人種差別、貧困、LGBT,家庭不和、いじめ」で、正直、そのお題はうんざりというか、内容が少し感覚的に時代遅れの様な感じがした。また、演出家とオーディションを受けに来ていた女性が以前、恋人同士だったという恋愛ストーリーも並行して進むのだが、それも現代の感覚では共感はなく、そうでなくてもこれって必要な設定?なのかと疑問に思った。その上、作品とは関係ないが、3列先に座る仲睦まじい老夫婦が、恐らくお互い年齢なりに耳が遠いようで、上演中に幾度も二人でコソコソ話をしているつもりだろうが、普通の会話よりも若干大きめな声が聞き漏れてきて、それも気になってしまっていた。

と、いう具合で舞台は進み、ラストに近付いた場面では、ダンサー達に「もし、踊れなくなったら、君はどうするのか?」という疑問が投げかけられた。最終的に彼らは「好きな事をやって来たのだから、悔いはなし」と結論を出し、全員で「What I Did for Love(愛した日々に悔いはない)」を歌い上げるのだが、それが私の心に沁みて、動かした。


コーラスライン開演前に、私は娘と暑さ凌ぎで喫茶店にいた。娘は、勤め先の同期に同じく母子家庭で育った男性がいて、よく話をするのだと切り出した。その彼が昨年、結婚をし、実家を出たとのことだが、毎月1度以上は実家に帰る日を設けていると知り、自分もそうするからと言う。

とりあえず、「ふーん」とだけ返したが、私は全くそんなこと望んでおらず、まして私の為というならば、それは間違っているし、不要である。しかし、娘は私を気遣っている様子でその気持ちは無碍に出来ず、うまく本音を伝える言い方が見つからなかった。

そして、娘の言葉は引っかかったままだったのだが、そう私は、娘を育ててきた事に対し今、やり切ったような思いなのだ。娘を授かり感謝と幸せだった。私が自分の人生で誇れるのは娘を育ててきたことだけかもしれない。だから、胸を張って嫁に出すし、娘も私を常に大切に思い、一生懸命頑張り、二人でやってこられた。娘からは既に十分に宝物の様な素敵な時間を貰った。

だから、娘にはもう親など振り返らずに、どんどん勝手に幸せ求めて進んで欲しいのだ。

私は私で、人生のネクストステージを開幕させるべく準備に忙しい。

私達は、それぞれが自分のステージを開幕させる時を迎えたのだ。


出演ダンサーらが、金の衣装を身に付け、おなじみの「ONE」を一糸乱れずに踊るフィナーレ。

正しく「ここが、新たなスタートライン」というフレーズが、舞台だけでなく、我が母娘にも相応しいと思えた。








見なかった事にしておきます。。

2022-08-12 08:07:00 | 日記
ちょっとしたすき間時間のあった休日に散歩に出かけたのは早稲田大学演劇博物館。
浄瑠璃作者の「近松半二の企画展」を開催していると見かけて、ちょっと立ち寄ってみたくなったのだ。
人形浄瑠璃なのか文楽なのか?は定かに覚えていないが、高校生の時の課外授業で一度見たきりで、殆ど知識はないのだが、ふと父親のことを思い出し、出向いてみたくなった。
展示はやはり少々難しく、番付表や戯曲が展示されていても読める力は私には無かった。が、展示されていた人形や「かしら」と呼ばれる人形の頭の部分の仕掛けがたいへん優れていること等に感心した。人が演じるよりも感情を上手く表現できる工夫があるように思い、演目を見てみたいような気持にふと、なったが、正直、私にとって優先順位は低いと思われる。
私が子供の頃、父は、歌番組やバラエティ番組等をテレビで観ている私達に子供に向かって、大抵、「くだらない番組を見る事は時間の無駄だ」とか「もったいない生き方をしている」と言ってきた。
どうせTVを観るにしても、日本伝統だとか歴史だとか世界の情報番組や遺跡探訪番組だとか、何か知識を吸収できるものを見るべきで、折角、自由な時間を沢山持つことのできる人生の貴重な時を無駄にしているというのだ。学びたいと思っても、家族の為に必死に働き、自分の思うような時間が取れない世代になってしまった父の言う事は、正しい。
しかし、当時の私達にはそれが到底理解できず、お笑い番組や歌番組や流行りのドラマに明け暮れていた。
そこで父は、親の背中を見せるしかないと考えた様で、私達がリビングで見かける父は、世界紀行だとか歴史検証、クラッシック音楽、オペラ、美術解説等々ほぼNHKにチャンネルを合わせることが殆どで、正直、当時の私にとってはあまり面白そうに思える物はなく、父の意には沿えないと少し申し訳なく感じていた。
そんなある日、弟が凄い勢いで私の部屋へ入ってくるなり、ドアを閉めると爆笑し始めた。
「何?何?何があった??」 
弟曰く、「階下のリビングにいるおやじをそっと、気づかれずに見てこい」と、大笑いで言うのだ。
「え?だって、ついさっきまでリビングで一緒だったし、テレビで文楽の番組を観ているよね?」と言ったのだが、弟は、「とにかく行って見て来い」と指図する。そこで、言われた通り、足音を立てずにそっと階下へ降りてリビングで目にしたのは、
「志村けんのバカ殿様」の番組を観て大笑いする父で、そこへ、わざと大きな音を立てて弟が階段を下りてくるようにすると、チャンネルを文楽の番組にさっと変えて、冷静な表情に変わる父の姿だった。

時折、思い返す我が家の貴重な良い想い出である。

泣けるうちは幸い!

2022-08-11 08:04:00 | 日記
ふと、目に留めた星占いで「今週は、金運の神社にお参りに行くと良い」とあり、出先で次の予定まで時間があり、少し足を延ばしてみることにした。
私が訪れたのは早稲田にある穴八幡宮で、冬至から節分迄の間のみ頒布する「一陽来復」という金銀融通のお守りで有名である。セミの鳴き声が降る様に鳴り響く階段を上がると、コロナパンデミック以降、久しぶりに手水舎に水が流れているのを見つけた。安堵と嬉しさが湧いてくる。早速、手口を清め、他の参拝人もほぼ居ない中、ゆっくりとお参りした。こんな時間の潰し方も中々良いなと思う。
それでもまだ次の予定までは少し時間があり、折角なのでふと早稲田大学を散歩してみようかという気持ちになった。
実のところ私は、子供の頃から実によく勉強をし、勉強が大好きだったのだが、大学進学が叶わなかったのでキャンパスライフは知らない。若い頃は、それをコンプレックスに思う事が頻繁にあったが、40も半ばを過ぎると学歴よりどう生きてきたかを評価してくれる場面に遭遇する事が増えて、今では素直に仕方なかったと人生の思い出の一つとして扱える様になった。

私が、勉強に夢中になったのには理由がある。一つは、実母が、「女性が勉学に夢中になると、本来女性としてすべき家事や自分を着飾る事への関心が低下し、女性の魅力に欠ける人間になる」という偏見を持つ人だったことだ。私が勉強をしているとわざと家事を言いつけたり買い物を頼んできたり、しまいには腹を立てたりするところがあり、家庭訪問や面談時にも担任の先生に「うちの子は勉強ばかりして困る」と訴えるほどで、このように「勉強するな!」と真っ向から言われると反って勉強したくなってしまったのだ。また、幼い頃から両親の仲がたいへん悪い家庭で、その喧嘩を見るのが苦しくて、あまり家に居たくないというのもあった。特に、休みで父が家にいる日曜が一番嫌いだった。そこで母とは違い学びたいという意欲に対して大賛成だった父にお願いして、一週間のうちの5日間を塾に通えるようにしてもらったのだ。
特に日曜の塾は最高だった。朝の9時から16時くらいまでお弁当持ちで授業を受け、塾では友達もできるし、通うのに電車で片道1時間超を費やし、ほぼ家で過ごさなくて済む。また、母に家事やらの用事を言いつけられて、集中を切らすこともなく勉強できた。
よって、小学生のころから大学進学を目標にしていたし、できるものならその後、海外のビジネススクールに進みたいとさえ考えていたのだが、大学進学を目指す前に、父が事業に失敗して失踪した。家には、ある日予告もなく見知らぬ大人が数人ずかずかと上がり込んできて、家具やら電化製品の家財を値踏みし、差押えをしていった。高校の担任からは、授業料の未納を告げられ、通勤定期券も切れて自転車通学に変え、バイトも始めた。そんな数カ月後、作業服の様な出で立ちで「命の洗濯をしてきたよ~~」と呑気な言葉で突如帰宅した父と入れ替わりに母親が出て行った。
私や妹弟は、笑うことは勿論、涙を流すことも忘れた。大学進学なんて、世界の何処にも見当たらない言葉になった。
人は泣くにもパワーが必要なのだと知り、「悲しい」と口にできて、泣けるうちはまだまだ余裕があるのだと思う。もし私も泣けていたら、例えば、夜学の大学を選択するとか何かしら考えられたのかもしれない。
しかし、私や妹弟は、あれよあれよと反転してしまった想像もした事のなかった新しい日々を闘うことに必死で、その後数年、それぞれが笑い方も泣き方も忘れて表情を失った。時折、持てる力があれば、それは怒りになり、また力を失うという繰り返しだった。
でも、今思い返して浮かぶ言葉は、
人生ってすごい!
明けない夜はなく、止まない雨はなく、出口のないトンネルはないというのは真実で、私達は、それぞれ安心と思えた居場所や信じることのできるパートナーに出会えた時、自然と心から笑えるようになった事を身をもって知った。

妹が、結婚したい人がいると彼氏を連れて来た時、3人で食事しながら、お酒を飲んだ。満面の笑みで彼を紹介し、2人のなりそめを話していた妹は、笑顔だったのに何故かそのうち一人で勝手に怒り出し、最後は彼にもたれてシクシク泣き、彼に慰められると、そんな彼がやっぱり好きだと、言ってニコニコするいう酒癖の悪さを見せてくれた。
彼は、「酔っぱらうと笑って怒って最後は泣くんですよ。でも、そんな所も可愛くて」と言ってくれていた。

面倒な酔っぱらいの醜態であったのだが、私には、妹が眩しくて、可愛くて、何よりも兎に角、感情を思いっきり出す姿が嬉しく、ほっとした思い出として、今でもしっかり残っている。





展覧会:われらの時代のサイン を訪れて

2022-08-09 10:10:00 | 日記
初めまして!
思いつくままに思った事を書き綴りたい気持ちが広がり、もはや終活的な行動なのかもしれないと考えながらも、この心理を探求してみたいと思います。
Let’s get started.

仕事帰りにRyan Gander(ライアン・ガンダー)というUK出身のコンセプチュアルアーティストの展覧会に寄った。
彼についての前情報は何も持たずに、軽い気持ちで気が向くままにふらりと訪れたのだが、実に面白かった。
特に解説がなかったとしても、作品の一つ一つから時間への意識を受ける。
自分が生きてきたこれまでの時間、今を生きるこの時間、そしてこれから先の時間。
作品は様々な解釈ができ、常に意識はしなくても確実にそれなりの時間が存在し、そこにあえて注目する作品には、多くの気づきがあった。
入館から閉館まで2時間以上あり余裕だろうと構えていたが、時間は全く足りなかった。恐らく、いやきっと、また会期中に再訪すると思う。
 
Web決済、電子マネー、キャッシュレスが日常的な昨今、クレジットカードを使うことも普通なことであり、交通定期券も職場のIDカードも家の鍵もカードになる時代だ。
平成前期までは、本人の要望に関係なく新入社員はグループ会社や取引先とのお付き合いなどでクレジットカードを作らされたものでカードを持っていても「私は現金主義なので使わない」とか「使い過ぎが怖いので使いたくない」という人もとても多く「俺は、現金主義なんだ」という男性の方が、経済観念があるとモテる様な時もあった。ポイント付与、年会費徴収が普通になり、スマホ普及であっという間に時流は変わった。
セルフィーにしても、「ナルシスト」と嘲笑された時代もそう遠い昔のことでないのだが、ここ数年のSNSの普及でそれも今では違和感無い人が大半だろう。そんなSNSでは他人のなりすましが問題視される。が、そもそも、SNS上での自分って何者なんだろう?と。
盛れた写真や良い側面だけを見せる世界に居るのは、もう一人の自分?理想の自分?SNSは、なりたかった自分で、世の中を生き直しできる世界なのだろうか?
「SNSに費やす時間」、「承認欲求中毒でSNSから抜け出せない状態」、「SNS上での詐欺被害」、「スマホを手放すと不安になる心理状態」と様々な問題提起もされるが、今後もSNSの活用は広がるだろう。
 
時代は常に変わって行くものであるが、平成から令和と、変わり方とその速さは大巾だ。抗うつもりはないものの、災害も戦争もかいくぐってきた素晴らしきモノや価値観が資本主義により失われてきた事を知る世代は、変化以前の事を思い返し、学び直し、上手く自分らしさを持ったまま時流に乗っていきたいと思うのかもしれない。
 
。。。。。と、考える時間を与えられた。
正に今の時代にふさわしい展覧会だと思う。