空梅雨が明けた宣言後にぐずつく天気が続いていたが、じっとりとしたまぶしい夏が戻ってきた。
今年はまだセミの鳴く声は聞いてはいない。日曜日のぎらつく道をとぼとぼと近所の小学校まで参院選挙の投票へ向かう。
大人になるとこんな狭かったか?と感じる校庭の上には青い空とふわわわ〜~と白い雲が広がっていた。ふと、小学校4年生だった梅雨入り前の頃を思い出した。理由は定かでなかったが、あの時の私は、家でも学校でもなんか淋しくて面白くなくて頑張れなくて、昼休みも友人と遊ぶ気になれず、唯ひとりでフラフラしていた。
そんな時、昼休みで校庭には子供が溢れているのに誰も使っていない2機のシーソーに目が止まり、呼ばれるように片側のシーソーの上に寝転んだ。すっきりした青い空に雲が浮かび、陽はまだ眩しいというほどでもなく、ぽかぽかしてとても気持ちが良い。雲は眺めているとだんだんと動物や人に見えてきて、ゆっくり少しずつ形を変えていく様から色々な物語が浮かんだ。
小さなまんまるの子供の魚が、怪物みたいな怖そうな海の怪物に追われサンゴ礁の中に逃げ込もうとしている。
と、この辺りで一番の大きさを誇るジンベイザメのお爺さんがやってきてお腹の下へをかくまってくれたよ・・
良かった。と言うように。
もう空を見るのが楽しくて楽しくて、それから毎日、昼休みにはシーソーへ真っ先に向かい、寝そべっては雲を眺めて過ごした。3日位すると隣のシーソーに同じクラスの子が私を真似て寝そべり、自然に二人で一緒に雲から物語を創るとか、雲の形から思い浮かぶお互いの家庭でのこと学校でのことの矛盾や変だと思う事を語り続けたるようになった。それがなんだか、のんびりであるものの充実した時間になり、毎日、昼休みが待ち遠しかったが、季節は梅雨入りしてそんな過ごし方は当然できなぬなり、梅雨が明けた頃にすっかり、そんな過ごし方の事は忘れてしまったように思う。
しかし、思い出すのは私にとって、ひとつの変わり目になった大切な時間だったという記憶。
確か、思い出すのは、自分では最大限の努力をしたつもりだったが学年末の成績がそれほどでもなく、母親に
「これが貴女が努力した結果で貴女の限界と云うなら、貴女は所詮、それだけの女よ。平均的な女ってことよね。いいんじゃないそれで。」
と言われた事。その言葉が衝撃的だったのと、やたら悔しかったのとそこからの脱し方が分からなかった事。
子供心に 母の言う事は正しい と思った事。
実に我が母らしいが。
ただ当時は、悔しくてもその言葉の乗り越え方が分からず、このまま平均的な女に育つのが嫌だ!という思いだけがあったように思う。
そんな時に、雲を眺める時間を持てて、同じクラスの友人と思いつくままを素直に語り合えるようなり、夏休み前にはその友人から『塾』『夏期講習』という初めて聞く言葉を知り、母の言葉を乗り越えるきっかけをつかんだ。
しかし、大人になった今の私は、結婚にしくじり×が付き、平均的な女に達していない訳で、
当時9歳の私は何をムキになっていたのかしらね?
でも、それが・・・・・子供 って者でムキになれ事ははむしろ良いことだと、大人になり過ぎた年齢になると思うものである。