「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」
新宿ピカデリーにて。
監督・脚本・大森立嗣
「私たちの望むものは」
私たちの望むものは 生きる苦しみではなく
私たちの望むものは 生きる喜びなのだ
エンディングで血を吐き捨てたカヨ(安藤サクラ)のアップにこの歌がかぶる。
映画に感動したのか、この歌の登場に感動したのかは判らないが涙が出た。
松田翔太も高良健吾もよかったが、私的にはカヨちゃんを演じた安藤サクラがイイのだ!
「俺たちに明日はないッス」に出ていたのは「あ~!あの子!?」という感じで憶えているが、「愛のむき出し」は未見なのでDVDを借りなくては。
と言っても、彼女はこの映画の設定にもあるように、それほど“カワイイ”訳ではない(本作のカヨちゃんは、ブスで、バカで、脇ガであるという設定がなされている)。
彼女の演じる“カヨちゃん”のようなキャラクターは、今まで私が見たことのある映画、TVドラマ等を思い返しても、見当たらないかもしれない。(「スローなブギにしてくれ」で竹田かほりが演じたキャラクターは知識はないが竹田かほり自身が美形だった。)
それほど“カヨちゃん”というキャラクターが立って“活きて”いるのだ。
ケンタ(松田翔太)とジュン(高良健吾)は同じ施設で育った。親がいないのだ。
ケンタには兄がいるが、問題を起こし、網走刑務所に入っている・・。
中卒のケンタとジュンは「電動ブレーカー」でコンクリートの壁を壊す毎日・・。。ジュンの指先は毎日の電動ブレーカーの職業病で、緊張すると血流が滞り、真っ白になってしまう・・。
ケンタは同じ職場の先輩である裕也(新井浩文)から陰湿なイジメを受けていた・・。その上、「兄が起こした問題の慰謝料」と銘打って毎月5~6万裕也にたかられている状況であった・・。
ジュンは言う。世の中には、自分の人生を自分で選べる人と選べない人がいる・・。ボクたちは選べない人だね・・。
ある夜、ナンパに出かけたケンタとジュンは、一人の女の子と知り合う。カヨちゃんである。
ジュンとセックスするカヨちゃんの顔が映し出され、彼女の心の声が聴こえる・・・私は誰とでもセックスをする・・自分が可愛くないのを知ってるから・・抱かれている時が一番落ち着く・・愛されたい・・愛されたい・・。
すごいセリフだなと思った。男の人(大森監督)が書いたセリフとは思えない。参りましたという感じだったm(__)m
この後、職場の事務所をぶち壊し、裕也の車をハンマーでぶち壊したケンタとジュンは、“すべてをぶち壊した先に何かがある・・・”、カヨちゃんと3人で、兄のいる網走を目指すのだった・・!
私には両親がおりました(というかまだ存命しておりますが)。幼い頃は間借りでしたが、とりあえず帰る家はあった訳です。
1960年代中盤に生を受けた私は、とりあえず“ひもじい”という思いをした記憶はありません。なんらかでも取りあえず食べるものはありました。
なので、この映画のケンタとジュン、そしてカヨちゃんの「全てをぶち壊した先に何かがあるはずだ」という思いは、本当のところ私は「想いをめぐらす」ことしかできません。
しかし、多部未華子演ずるゆみかの「将来の夢」を聞かされて、茫然となっているジュンの表情にはせつないほどに魂を揺さぶられました・・。
ラスト、車から道に落とされて、うずくまるカヨちゃん・・。
少しずつ起き上がった時の表情は、それまでの彼女のものではありませんでした・・。
この時の安藤サクラの、何かはりつめていた糸がプツンときれたような表情が、まっすぐに空を見る目線が、私の心に残りました・・。
私たちの望むものは 社会のための私ではなく
私たちの望むものは 私たちのための社会なのだ・・
私たちの望むものは あなたと生きることではなく
私たちの望むものは あなたを殺すことなのだ・・。この岡林信康の曲の発売が1970年ですから、リアルタイムで知っているはずもなく、20才を越えた頃に初めて聴いた覚えがあります。
本作では阿部芙蓉美さんが歌っておられるのですが、エンディングに流れるとやはり感無量で胸が詰まりました・・。
今ある不幸にとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに今跳び立つのだ・・。
ひきばっち的満足度★★★★
新宿ピカデリーにて。
監督・脚本・大森立嗣
「私たちの望むものは」
私たちの望むものは 生きる苦しみではなく
私たちの望むものは 生きる喜びなのだ
エンディングで血を吐き捨てたカヨ(安藤サクラ)のアップにこの歌がかぶる。
映画に感動したのか、この歌の登場に感動したのかは判らないが涙が出た。
松田翔太も高良健吾もよかったが、私的にはカヨちゃんを演じた安藤サクラがイイのだ!
「俺たちに明日はないッス」に出ていたのは「あ~!あの子!?」という感じで憶えているが、「愛のむき出し」は未見なのでDVDを借りなくては。
と言っても、彼女はこの映画の設定にもあるように、それほど“カワイイ”訳ではない(本作のカヨちゃんは、ブスで、バカで、脇ガであるという設定がなされている)。
彼女の演じる“カヨちゃん”のようなキャラクターは、今まで私が見たことのある映画、TVドラマ等を思い返しても、見当たらないかもしれない。(「スローなブギにしてくれ」で竹田かほりが演じたキャラクターは知識はないが竹田かほり自身が美形だった。)
それほど“カヨちゃん”というキャラクターが立って“活きて”いるのだ。
ケンタ(松田翔太)とジュン(高良健吾)は同じ施設で育った。親がいないのだ。
ケンタには兄がいるが、問題を起こし、網走刑務所に入っている・・。
中卒のケンタとジュンは「電動ブレーカー」でコンクリートの壁を壊す毎日・・。。ジュンの指先は毎日の電動ブレーカーの職業病で、緊張すると血流が滞り、真っ白になってしまう・・。
ケンタは同じ職場の先輩である裕也(新井浩文)から陰湿なイジメを受けていた・・。その上、「兄が起こした問題の慰謝料」と銘打って毎月5~6万裕也にたかられている状況であった・・。
ジュンは言う。世の中には、自分の人生を自分で選べる人と選べない人がいる・・。ボクたちは選べない人だね・・。
ある夜、ナンパに出かけたケンタとジュンは、一人の女の子と知り合う。カヨちゃんである。
ジュンとセックスするカヨちゃんの顔が映し出され、彼女の心の声が聴こえる・・・私は誰とでもセックスをする・・自分が可愛くないのを知ってるから・・抱かれている時が一番落ち着く・・愛されたい・・愛されたい・・。
すごいセリフだなと思った。男の人(大森監督)が書いたセリフとは思えない。参りましたという感じだったm(__)m
この後、職場の事務所をぶち壊し、裕也の車をハンマーでぶち壊したケンタとジュンは、“すべてをぶち壊した先に何かがある・・・”、カヨちゃんと3人で、兄のいる網走を目指すのだった・・!
私には両親がおりました(というかまだ存命しておりますが)。幼い頃は間借りでしたが、とりあえず帰る家はあった訳です。
1960年代中盤に生を受けた私は、とりあえず“ひもじい”という思いをした記憶はありません。なんらかでも取りあえず食べるものはありました。
なので、この映画のケンタとジュン、そしてカヨちゃんの「全てをぶち壊した先に何かがあるはずだ」という思いは、本当のところ私は「想いをめぐらす」ことしかできません。
しかし、多部未華子演ずるゆみかの「将来の夢」を聞かされて、茫然となっているジュンの表情にはせつないほどに魂を揺さぶられました・・。
ラスト、車から道に落とされて、うずくまるカヨちゃん・・。
少しずつ起き上がった時の表情は、それまでの彼女のものではありませんでした・・。
この時の安藤サクラの、何かはりつめていた糸がプツンときれたような表情が、まっすぐに空を見る目線が、私の心に残りました・・。
私たちの望むものは 社会のための私ではなく
私たちの望むものは 私たちのための社会なのだ・・
私たちの望むものは あなたと生きることではなく
私たちの望むものは あなたを殺すことなのだ・・。この岡林信康の曲の発売が1970年ですから、リアルタイムで知っているはずもなく、20才を越えた頃に初めて聴いた覚えがあります。
本作では阿部芙蓉美さんが歌っておられるのですが、エンディングに流れるとやはり感無量で胸が詰まりました・・。
今ある不幸にとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに今跳び立つのだ・・。
ひきばっち的満足度★★★★
そうなんですよ!
また、それを「努力が足りないからだ」みたいに言う輩がいるのですよ。
だったらあなた、やってみなと鼻歌でEasy Actionですよ(??ストリート・スライダーズが好きなもので・・)
>ジュン君と多部未華子ちゃん演じるホステスの会話での二人を隔てるものの存在がとても印象的でした
あのシーンで、多部ちゃん演ずるゆみかの「夢」を聞かされて、茫然となっているジュンの顔が忘れられません・・・。
とても印象的なシーンでした。
ジュン君と多部未華子ちゃん演じるホステスの会話での二人を隔てるものの存在がとても印象的でした。
映画としては、荒削りで、突っ込みどころが結構あるのですが、ケンタとジュンを突き動かすような行き場の無い悩みを抱えているすべての若者にこの作品が届いてくれ、という気持ちです。
安藤サクラはひきばっち映画大賞助演女優賞をあげたいです(^^♪!