この死語は多数の読者にとっても半分クイズでしょうが不思議に広辞苑に掲載されていた。
本日テレビ番組のポツンと一軒家で、日給の話で思い出した 懐かしい言葉だ。
昭和20年代の戦後時代を思い出し、世情を感じた。私は未だ幼児だったが記憶が強く残る。
労働者の給金が時給では無く日給240円だった、洒落でニコヨンに成る月25日働いても6000円だ。
家は戦災で焼けて、会社も多くが潰れ無職の人は日雇い労働者で働くしか方法は無い。
産めよ増やせの時代で皆家族は多かったから、厳しい生活だったろう幸い俺の親父は公務員だったのでやや
楽だったが洋服や全てお下がりだった。
現在の子供で見た事が無いが、栄養事情だろう皆が青い鼻水を垂らしていた。我が地方では片側を東北線
両鼻水の場合は日光線と言った、その鼻水もドロドロのものだったそれを洋服の両袖で拭くので、袖は見事に光り輝きカパカパでゴワゴワだった。現在では不潔でイジメの対象者に必ずなるが、当時は皆同様なので平気だった。
これも戦争の被害なのだろう、ニコヨン懐かしい言葉だが悲しい現実だった。
二度と戦争が起きなように憲法改悪には絶対反対しよう。