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特攻隊シリーズ4.

2020-12-29 19:51:41 | 日記

悲惨な記事なので今年中に書きたいが、無理かもね。

本日は知覧基地と遺書で書きます。知覧は本来陸軍基地で海軍とは仲が悪くそして悪質な軍隊です

海軍は神風(かみかぜしんぷう特別特攻隊と呼ぶが、陸軍は特別特攻隊のみで略し特攻隊だ

海軍が1945年10月25日に関大尉らが初陣を果たした、陸軍は遅れたが何故か知覧では共同作戦で行われた。翌年の4月6日から7月中旬まで出陣したのだ、それで桜のイメージが強いのだ。町民や世話をした女学生らが桜の木の枝を折り、操縦席を桜の花で満開にしたのだ。飛行場は送る人々が溢れ涙も多く流れたろう

俺が思うに特攻するのは隊が別々だ、余り目立た無いが整備兵の心が一番悲しかったと想像する。ボロで型遅れの整備は3人でしたらしいが愛機の持ち主とは心が通じていただろう、悲惨を肌で感じる。

これらは、後に詳しく書きますので取り敢えず遺書に移ります

似非平和会館では多くの遺書を見たでしょう、父母兄弟への感謝の言葉で溢れこれから殺されて逝く人間の言葉とは信じられません、文字も達筆で文章能力も充分に有るのには感心しました。

でもほぼ全部軍の検閲済みで本心は書けません、お笑いは失礼ですが軍に遺書の見本が有ったのは事実です

しかし士官は自由に外出出来たので友人達にはやや真実書けたが、ポストへの投函はヤバイ仕事です見張りの憲兵隊が多く居たからです。特攻の母浜野トメさんの証言では秘密に投函する事を多く頼まれたそうです。

有名な遺書も沢山有ります、穴沢利夫大尉が書いた遺書を一部書きます。婚約者宛です勿論簡略に書きますが全文読みたければ、特攻隊で名前と位を入れ彼女への遺書で検索すれば直ぐ見つかります。

あなたの幸を希う以外に何もない。 「徒に過去の小義に拘るなかれ。あなたは過去に生きるのではない

勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと。」 「あなたは今後の一時一時の現実の中に生きるのだ。穴沢は現実の世界にはもう存在しない。」途中省略 今更何を言うかと自分でも考える考えるがちょっぴり欲を言ってみたい。 1,読みたい本~~ 2観たい画~~ 3智恵子。会いたい、話したい、無性に、

今後は明るく朗らかに。 自分も負けずに朗らかに往く。  昭20,4,12  智恵子様    利夫

実に悲しいだが国体維持の為に、末永く続いた二人の夫婦生活を奪ったのです。最後の別れに智恵子さんは絹の白いマフラーを贈ったそうです、(私と思って)の心有ったのでしょう勿論彼は首に巻いて出撃して行きました最期は智恵子さんと一緒でしょうね。 年月は流れ智恵子さんは結婚したそうです、悲しいが当然でしょう

若き頃は戦争の話一切しなかったが、歳を重ねて戦争の悲惨さを若い人に伝え残そうと思ったそうです

或るインタビューで大事に小箱を出しました、中には煙草の吸殻が二つ入っています、彼と最後の別れの日形見に取って置いたそうです。8年前で85歳でした寿命が延びたので健在を祈ります、旦那が居たりして問題有るかも知れませんが、失礼を承知で申し上げます。旅立ちの際には是非骨壺に納めて下さい、靖国で無く天国で婚約者の彼がマフラーでは覆いきれない程首を伸ばして待ってるでしょう、熱い抱擁で迎えて貰い永遠の夫婦で暮らしましょう。ハッピーウェディング。

今度は妻の話ですが2題あります、一つは無残で悲しい話ですが戦中は残念ですが美談の一種でしょう。

その一人は藤井一中尉の妻福子さんです、藤井大尉は陸軍には珍しく真面目な方で部下の人気と信用共に有りました、己の指揮で逝かせたから俺も逝くと妻を困らせたが妻は大反対でした、でも亭主を困らせては不味い意識有ったのでしょうがが有った筈です、愛は負けたのです実に悲しい。

1944年12月15日の早朝に夫を思い邪魔になると二人の幼児娘に正装を着せ川に身投げ心中したのだ

年齢24歳でした、遺書は2通出たが内容は(私たちがいたのでは後願の憂いになり、存分の活躍出来ないことでしょう。お先に行って待ってます。)でした。葬式は幹部と隣組だけで一般人の参列は禁止された

通夜の終わった夜、決して読まれる事の無い一通の手紙を娘に送っている詫びと父ちゃんは立派な手柄を立て直ぐに向かう約束だ、妹が泣いたらお守り頼むと言い今度会う時は俺の温かい懐で抱っこして寝んねしようね

それまで待ってて頂戴、暫く会えないがさようなら。実に悲しい手紙だ。

しかしこの手紙はお棺に入れられず、妹が戦後保存している。己の取った行動の反省も内心有った様に思える、

妻には己の死後に自分の実家で暮らす準備をしていたのだ、しかし妻の遺言は建前と感じてる様だ突然の事件には不満が有ったらしいが、妻の心情と夫の心情に行き違いが有ったのは確かだ。事件は軍事上不味いので報道も口止めされ軍事秘密に成った。手紙は天国の我が子宛で無く自分自身への手紙だったかも知れない。

基地が変わり友人に行李の配送を頼んだが、友人は確認の為中を見ると行李の奥に妻の華やかな絵羽織が有ったのだこの事件どの様に見るか難問に感じた。戦後(俺も後から逝く)と言いながら逃げた卑怯な上官の中で約束を守ったのは戦争は嫌いだが偉いとは思う。特攻に出撃したのは不明だが自死は確実だろう

もう一つはお笑いに近いが()の物語だ、知覧基地で今正に出撃する夫の飛行機の前に飛び出して発進を阻止したのだ、現在も生存の可能性が有る のでK少尉とします。夫の特攻隊出撃には猛反対なのだ幸か不幸か夫はエンジン不良で降りて居た、軍人の妻としては当時あるまじき行為だ勿論夫の恥で殴る蹴るは当然だ。

愛有る行為だが私情が通用する世界では無い、皆耐えて居るのだ。軍法会議にかけられても反論出来ない時代だ

だがまた事件は起きる、K少尉の飛行機の調子が悪く代替えの飛行機を福岡迄取りに行ったのだが生憎手配が出来ず旅館で待っていた、東京に住んで居るが情報を掴むのは何故か早い、懲りずに福岡迄来たのだ夫の出撃を止める為だ、K少尉は怒ったが咄嗟に夫のピストルを抜き自殺を図ったのだ、怒りでK少尉は日本刀で切りつけそれが原因で地獄より怖い振武寮に入れられ敗戦を迎え出陣は無かった。不幸中の幸いとは此の事だろう。

この夫婦戦後は仲良く暮らしているらしい。

二件の事件は夫を思う愛情が絡むが、片方は諦めて子連れで心中、一方で気違いと呼ばれても夫を守った。

どちらが正しいと聞かれれば困るが、事件の原因は悲劇で無謀な特攻隊が原因は間違いない。

最後は(きけわだつみのこえ)で書きます。多分会館に展示は無いかも知れない。

三島由紀夫が見たら怒るかも知れない、特攻隊で死に行くのは学歴に関係無いと言うだろう。でも若干違う。

三島には戦争に行かなかったコンプレックスが有るのだ、従軍すればその部隊は全員戦死している故に重荷を背負って生き、最期は天皇陛下万歳とジョークに近い言葉を残して切腹するのだ、彼も戦争の被害者だろう

確かに特攻隊は学歴に関係無いが、少年兵で国粋教育を受けた隊員高等教育を受けた学徒出陣勢には特攻隊志望動機に違いが有るだろう。一応志望だが強制的が真実だでも少年兵の中には志望者が居たかは分からない。

これは後で詳しく書きます。

上原良司君の(所感)の遺書をご存知ですか、国家を遠回しに批判し自由主義を語って居ます、多くの教育を受ければ教養常識等芽生えますが、現在の政治体制では分かりません。 きけわだつみのこえは検閲受けて無いのかな、会館の遺書とは異なる意識を持たせてくれます。下記にアドレス掲載しますので読んで下さい。

未だ書く事は一杯有りますが次の回に致します。長文失礼しました。

 

http://www.asaho.com/jpn/bkno/2009/0810.html

 

 

 


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