桐の花遺偈(ゆいげ)に粥の染みすこし 兜太
昭和61年、「皆之」より
。
間もなく桐の花が咲くであろう、
私の好きで憬れる花である。
「遺偈に粥の染みすこし」に
「桐の花」という季語をを配合したという、
兜太さんにはめずらしいオーソドックスな作りである。
こうした場合、その季語の働きが問題である。
読み手が、桐の花の季語によって
一層「遺偈に粥の染みすこし」という感受を大きくしている
とき季語が働いていることになる。
「遺偈に粥の染みすこし」とは故人となった人の、
般若心経の経文に粥のあとがすこし残っている、
それを詠んでいるのだと思う。
遺偈は般若心経であろうと解釈した。
粥は故人がどのくらい患ったか知れないが、
病気で療養していたのであろう。
桐の木は高木である。
そしてその花は、初夏の爽やかな空に映え、
紫の花房は新緑の山にも映えて眩しい。
私は、桐の花で、遺偈の粥の染みというものが昇華されて
季語として働いているように思う。
「遺偈」ゆいげという言葉のひびきに
兜太さんらしい太い響きがあるように思うが、
一句としては静かなオーソドックスな抒情の句で、
こいう句も兜太さんにあることに
私としては一層信頼ができる感じです。
昭和61年、「皆之」より
。
間もなく桐の花が咲くであろう、
私の好きで憬れる花である。
「遺偈に粥の染みすこし」に
「桐の花」という季語をを配合したという、
兜太さんにはめずらしいオーソドックスな作りである。
こうした場合、その季語の働きが問題である。
読み手が、桐の花の季語によって
一層「遺偈に粥の染みすこし」という感受を大きくしている
とき季語が働いていることになる。
「遺偈に粥の染みすこし」とは故人となった人の、
般若心経の経文に粥のあとがすこし残っている、
それを詠んでいるのだと思う。
遺偈は般若心経であろうと解釈した。
粥は故人がどのくらい患ったか知れないが、
病気で療養していたのであろう。
桐の木は高木である。
そしてその花は、初夏の爽やかな空に映え、
紫の花房は新緑の山にも映えて眩しい。
私は、桐の花で、遺偈の粥の染みというものが昇華されて
季語として働いているように思う。
「遺偈」ゆいげという言葉のひびきに
兜太さんらしい太い響きがあるように思うが、
一句としては静かなオーソドックスな抒情の句で、
こいう句も兜太さんにあることに
私としては一層信頼ができる感じです。
http://www.shuu.org/newpage24.htm