竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

海鵜憂し光まみれであるがゆえ  高野ムツオ

2019-05-11 | 今日の季語




海鵜憂し光まみれであるがゆえ  高野ムツオ

鵜は全身光沢のある黒色で、嘴の先がかぎ状になっている。潜水が上手で魚を捕食し水から上がると翼を広げて乾かす習性がある。主に川鵜と海鵜が知られる。川鵜は東京上野の不忍池でよく見られる。海鵜の方は長良川の鵜飼いで有名である。掲句の海鵜はきらきらと光が眩しい岩礁に体を曝して羽を休めているのであろう。波の飛沫の光りの中に黒い体を沈めている。黒い体は黒い闇に抱かれた時心休まる。そんな我身が今白日の下に晒されて、光まみれとなり、ふいと憂鬱に襲われている。他に<わが恋は永久に中古や昼の虫><死際にとっておきたき春の雨><大志なら芋煮を囲み語るべし>など。『満の翅』(2013)所収。(藤嶋 務)

【鵜飼】 うかい(ウカヒ)
◇「鵜匠」(うしょう) ◇「鵜遣」(うつかい) ◇「鵜舟」(うぶね) ◇「鵜籠」(うかご) ◇「荒鵜」(あらう) ◇「疲鵜」(つかれう) ◇「鵜篝」(うかがり) ◇「鵜飼火」(うかいび) ◇「鵜松明」(うたいまつ) ◇「鵜縄」(うなわ)
鵜を飼い馴らして鮎を獲る漁法で、古くは万葉の時代から行われていた。5月11日から10月12日まで、殆ど毎夜行われる。美濃の長良川の鵜飼は特に名高い。

例句 作者

疲れ鵜の籠しつとりと地を濡らす 加藤三七子
血まなこの荒鵜に爆ぜる篝かな 高井北杜
短夜の川風に干す鵜装束 石鍋みさ代
月光のしたたりかかる鵜籠かな 飯田蛇笏
鵜篝の火の弾けつつ近づき来 清崎敏郎
おもしろうてやがてかなしき鵜舟かな 芭蕉
鵜飼果つ風に残りし火の匂ひ 坂手美保
夜やいつの長良の鵜舟曾て見し 蕪村
遊舟に灯が点く鵜川暮れざるに 松井利彦
畳上げ昼を舫ひし鵜飼船 河野頼人
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蜘蛛の圍に蜂大穴をあけて遁ぐ  右城暮石

2019-05-10 | 今日の季語


蜘蛛の圍に蜂大穴をあけて遁ぐ  右城暮石

井川博年が、神田の古本屋で見つけたからと、戦後十年目に出た角川文庫版の歳時記を送ってくれた。現在の角川版に比べると、例句はむろんだが、項目建てもかなり違っている。たとえば掲句の季語「蜘蛛の圍(くものい)」も、いまでは「蜘蛛」の項目に吸収されているけれど、その歳時記には独立した項目として建てられている。それほど、まだ蜘蛛の巣がポピュラーだったわけだ。ついでに、解説を引いておこう。「蜘蛛そのものは決して愛らしい蟲ではないが、雨の玉をいつぱいちりばめて白く光つている網は美しい。風に破れた網は哀れな感じがする。つくりかけてゐる網を見てゐると迅速で巧緻なのに驚く」。掲句の句意は明瞭で、解説の必要はない。誰にでも思い当たる親しい光景だった。網を破られた蜘蛛がかわいそうだというのではなく、作者はむしろ微笑している。蜘蛛の巣はそれこそ「迅速に」何度でも再生できるので、心配する必要がないからだ。田舎での少年期には、蜘蛛の巣にはずいぶんとお世話になった。針金を円状にして竿の先に付け、こいつに蜘蛛の巣を巻き付けて蝉捕りをやった。まあ、蜘蛛の餌捕りの真似をしていたわけだ。油蝉などはたいていの蜂よりもよほど強力だから、句のような弱い網だと、簡単に遁(に)げられてしまう。だから、太くて粘着力の強い蜘蛛の巣を見つけるのが一苦労で、実際の蝉捕りより時間がかかることも多かった。やっと見つけて、慎重にくるくると巻き付ける感触には何とも言えない充実感を覚えたものだ。本当はこんなことがお釈迦様に知れるとまずいのだけれど、ま、いいか。『俳句歳時記・夏の部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)

【蜘蛛】 くも
◇「蜘蛛の囲」(くものい) ◇「蜘蛛の巣」 ◇「蜘蛛の糸」 ◇「蜘蛛の子」 ◇「鬼蜘蛛」 ◇「女郎蜘蛛」 ◇「蠅虎」(はえとりぐも)

真正クモ目の節足動物の総称。昆虫の仲間ではない。精悍で不気味な虫である。種類が多く、日本には約千種いる。初夏に「蜘蛛の子を散らす」というたとえのように子蜘蛛が一斉に生まれる。雨の後など、きらきらと露が光っている蜘蛛の巣は美しい。「蠅虎」はハエトリグモ科の蜘蛛で、大きさは蝿ぐらい。徘徊し、網は張らない。巧みに走り回ったり飛び上がったりして、蝿や小さな昆虫類を敏捷に捕って食べる。

例句 作者

袋蜘蛛没日の音を聴いてゐる 市川千晶
われ病めり今宵一匹の蜘蛛を許さず 野沢節子
くもの糸一すぢよぎる百合の前 高野素十
親密を加へ蠅虎とわれ 粟津松彩子
蜘蛛の子の散りて袖振山は晴 藤田あけ烏
三人の晩餐蜘蛛に見られけり 大木あまり
いつも夜のわが辺に遊ぶ蝿虎 永方裕子
蜘蛛の子のはじめたのしき風の中 長谷川久々子
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田植うるは土にすがれるすがたせり 栗生純夫

2019-05-09 | 今日の季語


田植うるは土にすがれるすがたせり 栗生純夫

既に田植えが終わった地方もあるし、これからのところもある。先日の久留米の宿でローカルニュースを見ていたら、長崎地方の田圃で開かれた「泥んこバレー」の模様を写していた。水を入れた田圃で転んでは起きしてのバレーボールは愉快だが、単に遊びというだけでなく、こうやって田圃を足でかき回しておくと、田植えに絶好の土ができるのだそうだ。いずれにせよ、いまはほとんどが機械植えになっているので、農家の人々ですら、こんなことでもやらないと田圃の土に親しむことはなくなってしまった。手で植えたころの苦しさを思えば、田植え機の登場は本当に画期的かつ革命的な出来事だった。実際、手で植えるのは辛い。私の子供の頃は、この時期になると学校が農繁期休暇に入り、みな田圃にかり出された。イヤだったなあ。暗いうちから起きて、日が昇るころには田圃に入る。あの早朝の水の冷たさといったら、思い出すだに身震いがする。それから日没まで、休憩は昼食時とおやつの時間のみという条件の下で働くのだ。疲れても、適当に切り上げることはできない。というのも、集落のなかでは全戸の田植えの日取りが決まっており、お互いに相互扶助的に人手を出し合って植えていたからである。切り上げて明日にしようと思っても、明日は他家の田植えが待っているというわけだ。午後ともなると、子供のくせに老人のように腰を叩きながらの作業となる。そんな必死のノルマのほんの一角だけを担った体験者からしても、掲句はまことに美しく上手に詠まれてはいるが、作者の傍観性がやはり気になる。かつての土にすがって生きる「すがた」とは、このようなものではない。もっと戦闘的であり策略的であり、もっと雄々しくて、しかし同時に卑屈卑小の極みにもどっぷりと浸かった「すがた」なのであった。宇多喜代子『わたしの名句ノート』(2004)所載。(清水哲男)

【田植】 たうえ(・・ヱ)
◇「田を植う」 ◇「田植唄」 ◇「田植笠」 ◇「田植時」
苗代で育てた稲の苗を、代掻きの済んだ水田に移し植える作業のこと。初めは直に籾を撒く方法(直播)が執られていたが奈良時代に移植する方法が始まり、平安時代に広く一般化した。田植えの時期は各地方によって様々だが、五月雨の中、早乙女が早苗を植える姿は風情豊かなものである。

例句 作者

田を植ゑて關八州の夜風かな 福島壺春
瀬戸走る潮が強し田植時 茨木和生
田一枚植ゑて立ち去る柳かな 芭蕉
顔見せることなく終り田植笠 吉原一暁
田を植ゑるしづかな音へ出でにけり 中村草田男
山の湯の田植終へたる顔ばかり 国安一帆
山峡の夕日を肩に田植人 福田和子
葛城の木がくれ神や田植唄 米沢吾亦紅
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色町にかくれ住みつつ菖蒲葺く 松本たかし

2019-05-08 | 今日の季語


色町にかくれ住みつつ菖蒲葺く 松本たかし

季語は「菖蒲葺く(しょうぶふく)」で夏。端午の節句に、家々の軒に菖蒲を挿す風習だ。いまではまず見られないが、邪気を除き火災を免れるためとされたようである。掲句には、短編小説の趣がある。何かの事情から、普通の生活者としては立ち行かなくなった。いわゆる「わけあり」の人になってしまった。「色町」は夜間こそにぎわうところだが、昼間は人通りも少なく、まず誰かが訪ねてくる心配もない。おまけに近隣に暮らす人たちは、立ち入られたくない事情のある人が多い。だから、お互いに素性などを詮索したりはしない。「かくれ住む」には絶好の場所なのである。しかし、かくれ住んでいるからといって、完全に世を捨てているわけではない。どこかに、健全な市民社会への未練が残っている。その未練が「菖蒲葺く」に端なくも露出していると、作者は詠んでいる。たまたま、昼間の色町を通りかかった際の偶見だろう。だから、その家の人が「わけあり」かどうかは、本当はわからないのだ。が、なんとなくそう感じさせられてしまうのが、色町の醸し出す風情というもの。偏見だと、目くじらを立てるほどのことでもないだろう。『新日本大歳時記・夏』(2000)所載。(清水哲男)

【花菖蒲】 はなしょうぶ(・・シヤウ・・)
◇「白菖蒲」 ◇「黄菖蒲」 ◇「菖蒲園」
シベリア原産のノハナショウブを原種として、観賞用に品種改良された。江戸系、肥後系、伊勢系に分けられ、江戸系は比較的簡素で群生させて鑑賞するものが多い。藍、紫紺、紅紫、白、絞りなどがあり白か薄紫に濃い紫の脈の走るものが特徴。肥後系は花が大きく切花、鉢物に向く。伊勢系は花弁に繊細なひだや折り目がある優しい姿が特徴。ヨーロッパ原産の黄菖蒲もある。

例句 作者

終りなきごとくに雨や花菖蒲 大木あまり
女傘借りて見てをり花菖蒲 清水基吉
黄菖蒲や姿川には姿橋 大野静枝
つむる眼の中まで晴れて白菖蒲 櫛原希伊子
川はゆく菖蒲の花の耳映し 久保田慶子
白菖蒲剪つて水音をまとひけり 雨宮きぬよ
羽化終へしばかりのさまの花菖蒲 楠戸まさる
菖蒲見の人にまじりて禰宜そちこち 松本たかし




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青田中信濃の踏切唄ふごとし 大串章

2019-05-07 | 今日の季語


青田中信濃の踏切唄ふごとし 大串 章

自註に、こうある。「昭和三十八年作。初めて信州に旅をした。大空のかがやき。青田のひかり。信州の緑の中で聞く踏切の音は都会のそれとは全く異なっていた」。先日私が新幹線から見た青田も美しかったが、新幹線に踏切はない。青田中から新幹線の姿を叙情的にうたうとすれば、どんな句になるのだろうか。『自註現代俳句シリーズ7・大串章集』所収。(清水哲男)


【青田】 あおた(アヲタ)
◇「青田面」(あおたも) ◇「青田風」 ◇「青田波」 ◇「青田道」
苗を植えてまもない田を「植田」というのに対して稲が生育して一面青々とした田を「青田」という。植田が青一色になる頃は土用の日差しも強く、青田を吹き行く風(「青田風」)になびく稲は波のように揺れ(「青田波」)、見るからに爽快である。《植田:夏》
例句 作者
青田より青田へ飛騨の水落す 島田妙子
自転車が占む青田道青田駅 小黒黎子
鉄塔の四肢ふんばつて青田中 久田岩魚
青田中信濃の踏切唄ふごとし 大串章
青田青し父帰るかと瞠るとき 津田清子
日本海青田千枚の裾あらふ 能村登四郎
青田道来て礼拝の顔揃ふ 谷島 菊
ていれぎの水流れ入る青田かな 森薫花壇
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子を発たす立夏の駅の草の丈  石井直子

2019-05-06 | 今日の季語



子を発たす立夏の駅の草の丈  石井直子

今日は「立夏」。子を「発たす」とあるから、遠くの地に行く子を、駅まで見送っている母親の句だ。この時季だから、おそらく大型連休を利用して帰省していた子が、普段の生活の場に戻っていくのだろう。新入社員かもしれないし、大学生かもしれない。べつに永の別れではないのだから、「見送りなんて大袈裟だよ」くらいは言われたろうが、そうもいかないのが母心である。私の勤め人時代の同僚も、そんな母親を持っていた。今度子が戻ってくるのは、夏季休暇のときだ。日頃は気にもとめない「駅の草」に気がついた作者は、次に会えるときにはこの草の丈もずいぶんと伸びているだろうと、早くもその日を待ちかねているようだ。この「丈」は子供の生長の様子にかけられていて、夏めいてきた季節の明るい別れにふさわしい発語と言えるのでなかろうか。『新版・俳句歳時記』(雄山閣出版・2001)所載。(清水哲男)

【立夏】 りっか
◇「夏立つ」 ◇「夏に入る」 ◇「夏来る」
二十四節気の1つ。暦の上、また俳句ではこの日から夏となる。

例句 作者

プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ 石田波郷
ばりばりとシーツを開く立夏かな 櫂 未知子
毒消し飲むやわが詩多産の夏来る 中村草田男
おそるべき君等の乳房夏来る 西東三鬼
あつと云う間の九十年や夏来る 尾村馬人
紙飛行機遠くまで飛び夏に入る 河野玲子
葱生姜茗荷青紫蘇夏来たる 藤田弥生
立夏とよ大石狩に雪すこし 千葉 仁
夏立つや母乳ゆたかに溢れしめ 木下妙子
蓋あけて干す旅鞄立夏なり 三部斗志夫
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力ある風出てきたり鯉幟  矢島渚男

2019-05-05 | 今日の季語



力ある風出てきたり鯉幟  矢島渚男

森田峠の初期に「寄らで過ぐ港々の鯉のぼり」があって、これらの鯉幟は海風を受けているので、へんぽんと翻っている様子がよくうかがえる。が、内陸部の鯉幟は、なかなかこうはいかない。地方差もあるが、春の強風が途絶える時期が、ちょうど鯉幟をあげる時期だからだ。たいていの時間は、だらりとだらしなくぶら下がっていることが多い。そこで、あげた家ではいまかいまかと「力ある風」を期待することになる。その期待の風がようやく出てきたぞと、作者の気持ちが沸き立ったところだろう。シンプルにして、「力」強い仕上がりだ。鯉幟といえば、「甍の波と雲の波、重なる波の中空に」ではじまる子供の歌を思いだす。いきなり「甍(いらか)」と子供には難しい言葉があって、大人になるまで「いらか」ではなく「いなか」だと思っていた人も少なくない。「我が身に似よや男子(おのこご)と、高く泳ぐや鯉のぼり」と、歌は終わる。封建制との関連云々は別にしても、なんというシーチョー(おお、懐しい流行語よ)な文句だろう。ほとんどの時間は、ダラーンとしているくせに……。ひるがえって、鯉幟の俳句を見てもシーチョーな光景がほとんどで、掲句のように静から動への期待を描いた作品は珍しいのだ。俳句の鯉幟は今日も、みんな強気に高く泳いでいる。『翼の上に』(1999)所収。(清水哲男)

【鯉幟】 こいのぼり(コヒ・・)
◇「吹流し」(ふきながし) ◇「吹貫」(ふきぬけ) ◇「矢車」(やぐるま)
現在では外幟というと鯉の形に作られた「鯉幟」が主流になった。5色の「吹流し」と共に旗竿に付けられる。「五月鯉」を初節句の男子の祝いに用いるのは、鯉が出世魚とされることから、その縁起による。「吹流し」は鯉幟と共に立てるもので、幾条かの細長い絹を円形または半月型の枠に取り付けて旗竿の端に結び付けて風になびかせる。元来は武士が戦場で用いたものであった。「矢車」は矢羽根を放射状に取り付けて風車のように作ったもの。幟竿の頂きに取り付けられる。

例句 作者

鯉幟一気に空のものとなる 西岡正保
鯉幟富士の裾野に尾を垂らす 山口誓子
吹流しわが人生の持ち時間 鈴木智子
矢車も加波も映せる朝田の面 矢中けぬを
外房の太陽と風鯉幟 藤井圀彦
一村は水田に泛かび鯉のぼり 遠山輝雄
鯉を飼ふ水に矢車影正す 早川暢雪
みちのくは小家小家の鯉幟 原 石鼎
蛇行する坂東太郎鯉幟 福島壺春
やはらかき草に降ろして鯉のぼり 小島 健
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千代田区の柳は無聊みどりの日 大畠新草

2019-05-04 | 今日の季語


千代田区の柳は無聊みどりの日 大畠新草


季語は「みどりの日」。東京都千代田区は、お隣りの中央区と並んで定住者が少ない。夜間の人口は激減する。「昭和35年の12万人(住民基本台帳人口)をピークに区の人口は減り続け、平成11年1月には3万9千567人となっています。人口の減少により、地域のコミュニティが衰退し、生活関連の商店が減少するなど、区民生活に大きな影響を与えています」(千代田区ホームページ)。戦後いちはやく麹町区と神田区が合併してできた区だが、焼け野原だった当時の人口が3万人ほどだったそうだから、ほぼそのレベルに戻ってしまったわけだ。したがって、平日はビジネスマンなどでにぎわう街も、休祝日にはさながらゴーストタウンと化してしまう。私は皇居半蔵門前の放送局で働いていたので、この言い方は誇張ではない。食堂なども店を休んでしまうので、ホテルのレストランで高いランチを食べなければならなかった。掲句はそんな祝日の千代田区を詠んでいて、私などには大いに腑に落ちる。「みどりの日」というのに、せっかく青々としている「柳」も「無聊(ぶりょう)」のふうだ。みずみずしいはずの街路の柳も、なんとなくだらりと垂れ下がっているだけのような……。今日は昭和の時代には天皇誕生日だったので、千代田区千代田1-1というアドレスを持つ皇居の溢れんばかりの「みどり」も、句の背景に滲んで見える。昭和も遠くなりにけり。この句には、ちらりとそんな隠し味が仕込まれていると読んだ。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)

今日は令和天皇の即位を祝賀する一般参賀の日
早朝から5万人もの行列ができたという
この日が昭和の日でもある偶然におどろくばかり  (小林たけし)

【みどりの日】 みどりのひ
4月29日。昭和天皇逝去にともない、天皇誕生日をそのまま祝日として残し、自然を愛された昭和天皇を偲ぶ日とした。
例句 作者
和服着て身のひきしまる緑の日 酒井春青
書に倦めば水遣りに出てみどりの日 宮岡計次
昭和史のおほかたを生きみどりの日 千手和子
水神へ走る水音みどりの日 平井さち子
天皇の日や少年は樹を降りず 菅原鬨也
傷ふかき山いくつ見てみどりの日 村沢夏風
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晩春をヌード気分のマヨネーズ  小枝恵美子

2019-05-03 | 今日の季語


strong>晩春をヌード気分のマヨネーズ  小枝恵美子

春もようやくたけなわを過ぎ、どこか気だるいような雰囲気のなかで、卓上に「マヨネーズ」の入ったポリ容器が立っている。「ヌード」は単なる裸体を言うのではなく、そこに審美的要素が絡む概念だ。流線型の容器の形といい、薄く透けて見える卵黄色といい、たしかになまめかしい感じがする。この句のよさは、おそらくは誰しもが何となく感じているマヨネーズのなまめかしさを、ずばりヌードと言い切ったところにある。さらにマヨネーズを擬人化して、マヨネーズが勝手にそんな「気分」になっているのだと思うと、可笑しくも可愛らしい。もしも、句のマヨネーズにキューピー人形のマークが付いていたとしたら、もっと可笑しいだろうな。なまめかしさとは無縁のキューピーちゃんが、一所懸命大人ぶっている図には微笑を禁じえない。あれはメーカーがマヨネーズを健全なる家庭に普及さすべく、なるべく本体のなまめかしさを打ち消すために採用した苦心のキャラクターではあるまいか。感覚そのままに成人女性のヌードでは具合が悪いし、かといって、あまりにも違うイメージではもっと具合が悪いし……。と、そんなことまで考えてしまった。ところで、いまでこそどこの家庭にもあるマヨネーズだが、四十年前くらいまではなかなか受け入れられなかったようだ。全国マヨネーズ協会の調査によれば、一人当たりの年間消費量は、1960年度でたったの151グラム。それが2000年では1895グラムと、10倍以上に跳ね上がっている。少年時代の私は、マヨネーズの存在すら知らなかった。『ポケット』(1999)所収。(清水哲男)

三春の一つ、春の終わりの季節でほぼ4月下旬頃。行く春。季春。春の終りの、どこか物憂い感じもある。

例句 作者

晩春の登りつめたる峠の木 廣瀬直人
晩春の旅よりもどる壺かかへ 青柳志解樹
晩春の瀬々のしろきをあはれとす 山口誓子
そろそろと春もをはりのやうに見ゆ 今井杏太郎
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春徂くやまごつく旅の五六日  吉川英治

2019-05-01 | 今日の季語


春徂くやまごつく旅の五六日  吉川英治

上五の「春徂(ゆ)くや」は「春行くや」の意。「行く春」とともによく使われる季語で春の終わり。もう夏が近い。季節の変わり目だから、天候は不順でまだ安定していない。取材旅行の旅先であろうか。おそらくよく知らない土地だから、土地については詳しくない。それに加えて天候が不順ゆえに、いろいろとまごついてしまうことが多いのだろう。しかも一日や二日の旅ではないし、かといって長期滞在というわけでもないから、どこかしら中途半端である。主語が誰であるにせよ、ずばり「まごつく」という一語が効いている。同情したいところだが、滑稽な味わいも残していて、思わずほくそ笑んでしまう一句である。英治は取材のおりの旅行記などに俳句を書き残していた。「夏隣り古き三里の灸のあと」という句も、旅先での無聊の一句かと思われる。芭蕉の名句「行く春や鳥啼き魚の目は泪」はともかく、室生犀星の「行春や版木にのこる手毬唄」もよく知られた秀句である。英治といえば、無名時代(大正年間)に新作落語を七作書いていたことが、最近ニュースになった。そのうちの「弘法の灸」という噺が、十日ほど前に噺家によって初めて上演された。ぜひ聴いてみたいものである。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)

夏近し】 なつちかし
◇「近き夏」 ◇「夏隣」
夏を間近にした心の弾みがうかがわれる。行春にいて夏の隣るのを感じるこころである。夜の明けるのも早くなり、新緑の眩しさの近きを思わせる。

例句 作者

街川の薬臭かすか夏隣 永方裕子
夏近し雲取山に雲湧けば 轡田 進
夏近き吊手拭のそよぎかな 鳴雪
夏近し葱に水をやりしより 高浜虚子
樹上より子の脚二本夏隣 林 翔
盤石をぬく燈台や夏近し 原 石鼎
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