統一教会が勢力を伸ばすことができた理由について、ひろゆきさんの考えは?
「仏教やキリスト教といった伝統宗教ががんばっていたら、新興宗教の出番はなかったはずなんですよ。
寺とか神社とかが、さぼりすぎたんだと思ってるんですね。
たとえば、人生に悩んで街中でぼーっとしてる人に最初に声をかけるのは新興宗教の人。
アメリカやフランスだったらそういうときは教会へ行く。
教会ではタダめし配ってるから。
そのときに悩みも相談に乗ってくれる。
悩みがあったら宗教施設へ行くという文化がベースにないといけない。
そのために宗教ってあるはずなんですよね。
生活に困ったら寺とか神社に行こうぜってなってないんすよ。
だってめしも配ってねぇもん。」
ということですが、一応教会でもただめし配ってました。
昔、SDA(セブンスデイアドベンチスト教団)という教会に通ってたことがありますが、毎週土曜日礼拝のあとには、牧師さんの奥さんが作ってくれたお昼をみんなで食べてました。
さすがに、モーセのように毎日マナというただめしを配ることはしてませんでしたが…
アメリカ、フランスでは毎日食べさせてくれるのかな?
悩みがあるときには教会へ行くことは確かに有用だと思いますが、当たり前なことではありますが、悩みが落ち着いたあたりで、クリスチャンになるようプレッシャーをかけてきます。
教会に来てるわけですからね。
教会のみなさんはとてもやさしいのですが、「クリスチャンじゃない人はよそ者」っていう排他的な感覚があるような気がします。
実際、洗礼・バプテスマを受けた後に仲間として認められますので。
お寺は住職の質によるところが大きいような気がしますがどうなんでしょう。
神社って、行ってもそもそも神主さんがいなかったりします。
死にたいくらい悩んでいるときはどうすればいいですかね。
1人のままだと死んでしまうので、とりあえず逃げ込むことのできる誰かがいてほしい。
親も友達もいない人は、誰のところへ行けばいい?
市役所?
児相?
悩み電話相談?
スピリチュアリスト?
ヒーラー?
やっぱり宗教施設しかないのか?
寺、神社、教会のなかで言ったらやっぱり教会かなぁ。
統一教会に間違って行かないようにね。
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