先週の13日、詩人の谷川俊太郎(1931-2024/92歳)が永眠した。谷川俊太郎の詩はオラの青春とともに伴走してくれていた気がしてならない。ちょうど、アメリカのベトナム侵略の時期だった。今のイスラエルと同じことをアメリカがベトナムでジェノサイドをしていたわけだ。そんなとき、フォーク歌手の高石友也の「死んだ男が残したものは」の歌がグサッとオラの心に刺さってきた。(画像は音楽ナタリーwebから)
(画像はオークフリーwebから)
「死んだ男の残したものは ひとりの妻とひとりの子ども 他には何も残さなかった 墓石ひとつ残さなかった」という歌詞がフォークギターとともに静かに始まる。「死んだ兵士の残したものは こわれた銃とゆがんだ地球 他には何も残さなかった 平和ひとつ残せなかった」「死んだ歴史の残したものは 輝く今日とまた来る明日 他には何も残っていない 他には何も残っていない」と結ぶ。
(画像はyoutubeから)
そして、森山良子が叙情豊かに歌い上げると涙が出そうになった。作詞は谷川俊太郎だった。なんて見事な世界を切り取ったことだろうと、つくづく感心した。それが谷川俊太郎との出会いだったと思う。この歌は、アメリカがベトナムの北爆を始めた「力の戦争」に対し、翌年の1965年、「ベトナムの平和を願う市民の会」からの要請を受けて谷川俊太郎が作詞し、作曲を武満徹が担当した名曲だった。
その後、オラは結婚し子どもができたらさっそく谷川俊太郎の翻訳絵本の『スイミー』(レオ・レオニ)を何度も読み聞かせたものだった。そして、彼の詩の的確なセンスや切り取り方の深さに傾倒し、彼の詩集を何冊か読んだのだった。今の時代こそ、この「死んだ男の残したものは」の詩を繰り返せなければならないと痛感する。森山良子さん、平和ボケの某CMになんか突出しないでこの歌を強く推奨してもらいたい。それはマスメディアの怠慢ともいうべきだ。
先週に「死んだ男の残したものは」、人間や自然や地球に対する賛歌であり怒りであり哀しみであり希望でもあった。