岩水寺の続き。山下画伯の石碑の向かいに胸像が鎮座していた。陽射しの関係か尊顔はよくわからなかったが、立派でたくましい住職らしいことはわかったが、やはり説明板が欲しいところだ。
正面には、自分の広大な土地を境内に払い下げしたということがわかる。名前は、高橋孔淳僧正。裏には、明治44年(1911)に寄進したが、どのくらいの土地かが不鮮明で読み取れなかった。20町歩以上らしいから20万平米以上はあったようだ。できたら、本僧正が岩水寺の住職だったのかどうか、出身はどこか、どんなことで活躍したか、を知りたいものだ。
その隣には、歴代住職のお墓があった。いわゆる一つの石からなる卵型の「無縫塔」が特徴だ。その間に、「宝篋印塔(ホウキョウイントウ)」や「五輪塔もどき」もあるようだ。これらの数から、この岩水寺がいかに古いかがわかる。
宝篋印塔は、地・水・火・風・空という宇宙の構成要素を表す「大日密教」の宇宙観を示すものだ。これは、鎌倉期以降インドや中国にもない日本独自で発達したものらしい。また、無縫塔は宗派を超えて敷衍されていったようで、各宗派のお寺でときどき見ることがある。まだ主要な施設や石像へ肉薄できていないほど情報の豊富な古刹野岩水寺だが、あまり長居もできない。
つまりはこのところ農作業をサボっているのではないかと言われてしまうが、その通りだ。暑さからの逃避もあるが、このところ夕方に雨が降ってくれるので1時間以上もかかる水遣りの手間が省けている。それをチャンスにうたた寝を決め込んでいるこの頃なのだ。