山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

デカすぎる「記徳碑」(岩水寺2)

2020-08-31 20:59:40 | 石仏・石造物

  岩水寺でバカでかい石碑を発見。高さが5mくらいはあるだろうか。郷土(浜松市浜北区貴布根出身)の日本画家・山下青厓(セイガイ)の名が刻まれている。「記念碑」とばかり思っていたが「記徳碑」だった。というのも、揮毫(キゴウ)したのが掛川市出身の大日本報徳社社長の岡田良平(文部大臣)であり、松島十湖(報徳社)の讃がある画を青厓が描いているところから、報徳運動にかかわっていたに違いない。

          

 青厓(1858~1942)は、渡辺崋山の次男の渡辺小華に師事し、山水画や花鳥画などを描き、親戚筋の掛塚の廻船問屋津倉家に襖絵を残している。画を見ても画壇を席巻するほどのものは感じられないが、皇居の明治宮殿の杉戸絵を小華と共に描いたことで郷土の誉れと絶賛されたに違いない。

            

 この石碑は、本人が73歳のときの昭和6年(1931)に建立したもの。当時は広い岩水寺ホテルや遊園地などがあるくらいの賑わいある場所に誇らしく建っていたようだ。いまはひっそり注目されず通り過ぎてしまうところとなっている。境内にはこうした石碑が乱立しているが、その説明板があると寺のPRにもつながるが、人手が足りないのか、予算がないのか、疲れているのかわからないが、もったいないことだ。

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