山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

鳥居の前に石灯篭(岩水寺)

2020-08-30 22:58:23 | 石仏・石造物

 慣れない道に迷っていたら、遠州では有名な「岩水寺」(真言宗)に出てしまった。広大な境内は興味をそそる石碑や建造物がぎっしり並んでいる。しかし大きい割にはどうも全体が俗っぽい退廃が気になる。

 とても全部は見る余裕がないが、まずは石造りの「地安坊(ジアンボウ)大権現」の鳥居を見上げる。地安坊とは、平安時代この山にいた天狗の名前らしい。鳥居の奥に寄進された太鼓橋が見える。その先に階段があり神様が鎮座するお堂があるのだが、台風による崩落で今は通行止めとなっている。

        

 天長(824~ 834)年間に遠州を襲った飢饉や火災に対して当時の住職だった「覚仁上人」は、地域再興のために獅子奮迅の活躍をしたことで地元から感謝され、地域の神様となった。それがいまだに信仰されているとはすばらしい。地域のオリジナルの神様を祀ったのはそれほどの信頼を集めたというわけだ。

鳥居に向かって左右に大正11年に寄進された石灯籠があった。右の方は新しい感じだが複製したように見える。火袋は、鹿・雲・大和三山・格子・火口(ヒグチ)二か所、の六角状のいわゆる標準的な春日灯篭型式。鹿の足がやや立体的なのが珍しい。

             

 

 左側の火袋は同じではなかった。鹿が二面ありそれに山?と火口が二つあり、太陽を表す「円窓」があった。どうも、火袋から上が古くてその下が新しいような気がする。そのうえ、石の材質が全く違う。火袋の下の「中台」では、左は立体的な装飾はないが、右は波のような立体的な装飾がある。ということは、左の灯篭は二つの灯篭を合体したように推理できる。それ自体は悪いとは思えないが、このちぐはぐは寺社全体に漂っている気がしてならない。

 石灯籠は仏教に由来するが、鳥居の前にあるのは不自然だ。しかし、神仏混淆の伝統から考えると首肯できる。ただし、明治の神仏分離令に対してはかなり寺をあげて抵抗(工夫)したようだ。

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