大河ドラマ「光る君へ」が明日で最終回。ドラマは主演・脚本・制作統括・演出をすべて女性が担当するのは史上初という。その時代考証を担当している倉本一弘氏の『藤原道長の権力と欲望・紫式部の時代』(文春新書、2023.8)をあわてて読み終える。本書を読むと、脚本家の大石静さんがかなりこれを参考にしているのが伝わってくる。(画像の殆どは、山川出版社、「詳説日本史図録」、2008.11から)
道長の日記「御堂関白記」は、ユネスコの「世界の記憶」遺産として2013年6月に登録された。為政者が自ら日記を書くのは世界でも稀であり、千年前多くの日記が残されている日本はきわめて特殊だと著者は指摘する。本書では、道長の「御堂関白記」、優れた官僚の藤原実資(サネスケ)「小右記」、能書家で有名な藤原行成「権記」(ゴンキ)らの日記とともに、道長の人物像を立体的に描いているのが特徴だ。
そうした描写が、道長が単なる独裁者ではなく自己矛盾と対峙したり、一条天皇や三条天皇との確執を耐えたり画策したり、弱点も表した人物像にしている。それがドラマの脚本には大いに参考になったことと推察する。道長と紫式部とが直接出会ったかどうかについては歴史的証拠はまだないようだが、著者は道長の娘・中宮の彰子のために紫式部を採用し、一条天皇の心を取り入れるために「源氏物語」を書かせたとする。というのも、当時の和紙の料紙は民間では入手できない貴重で高価なものだったことから、道長が筆・墨・硯等を含めた執筆依頼・支援があったと推定している。
(画像は刀剣ワールドwebから)
また、王朝内での権力闘争や愛憎の絡む政権内での藤原 実資のリアルで冷静な対応をしていた事例が本書で幾度も取り上げられている。道長を一番批判していた実資ではあるものの天皇や女房らの取次役・相談役としても信頼されていたのも実資だった。同時に、政権を担う公卿・政治家は、漢文・和歌・楽器・踊りなどの文化的嗜みも求められていたのも、現代の政治家の金権体質に対する警鐘ともなっている。
大河ドラマでもそうだったが、次々と登場する藤原一族の名前を覚えるのは一苦労だった。それに、天皇の外戚になろうと画策させられる女性の名前も覚えきれない。視聴率が低かったのも単純な戦国ものとはひと味違うドラマに戸惑いがあったのかもしれない。道長の頂点を極めた政権の座は、自らの心身の不安定さとともにまもなく揺らいでいく。武士の時代がじわじわとやってきていた。
「おわりに」で著者は、「道長は確かに、日本の歴史上、最高度の権力を手に入れた。しかしだからといって、最高度に幸福であったかは、誰も知ることのできないことである」と、結んでいる。息子の頼道は平等院に阿弥陀堂を落成したのはせめてもの権力者の平和的な祈願と信仰の賜物であり、その文化遺産は現代にも燦然と佇立している。