集落の新年会のおり、それぞれの少年時代の遊びを語ってもらった。メンバー的には70歳代前後が7~8名で、40~50歳代が数名という構成だった。共通した遊びは「缶けり」だった。茶畑に隠れたらなかなか見つけられないが、醍醐味はとある家の周りの狭い空間だった。怒られたが下水道の空間も利用したという。
「Sケン」はほとんどみんな経験があったが、「Sケン」とは言わず、「エスデコ」とも称した。相手陣地にある宝物を奪取すれば勝ち。石の上に足を置けばケンケンしないで休める場所もあった。最初のころは「へそ取り」とも言って、S字を半分に切ったような一つの円を描いていたが、そのうちにS字型になり「Sケン」と言うようにもなった。 (イラストは「ミックスじゅーちゅ」webから)
「長馬」は60歳代以上はやったことがなかったようだが、40歳代は学校で遊んだ経験がある。しかし、人数が少なかったので忙しかったという。馬側の負けは馬が崩れたとき。乗る側の負けは落馬したとき。勝負がつかないときはじゃんけんで決める。ただし、肉体を使う激しい遊びだったので腰椎の怪我もあり、全国的に禁じられた遊びとなった。オイラは身軽なチビだったので一番最後に飛び乗った。それが勝負の決定打にもなった。そんな長馬のワクワク感は忘れられない。 (画像は「久保浩の昭和ダイアリー」webから)
「わっぱまわし」の 最初のころは樽のタガを利用していたが、そのうちに廃棄した自転車のリムを利用するようになる。カーブは竹の棒の当て方を少し変えないと失敗する。 (イラストは「syanaiunndouk(ai .com」から)
「いっぽさんぼ(一歩三歩)」は、ルールにはいろいろバリエーションがあるようなので、引用Blogから。「 まず小石を1歩くらいで飛べる所に投げる。片足で跳んでそれを踏み、ケンケンのままで拾ってゴール地点に投げ入れる。入ったなら、3歩でゴールまで飛ぶ。
1本・3歩が終わったら、2歩・2歩→3歩・1歩→4歩・0歩でゴールだ。失敗したら他の人に代わる。早くゴールできた人の勝ち。」 (イラストは「はじめての家づくり貧乏デザイナー…」blogから)
「ネコ玉鉄砲」は近くにあったジャノヒゲの紫の実を玉にして、しの竹で鉄砲を作った。竹で作った「水鉄砲」も作り方が甘いと自分がびしょぬれになった。 「水雷艦長」や「けいどろ」は相手を捕まえる醍醐味があった。地面に10mくらいの釘を刺す「釘刺し」は相手の線上を狙うのは技術が必要。
子どもの遊びは、大地とともにあった。そこには自然があり、仲間があった。少年時代のほろ苦い体験があってもそこで癒された。いま、バーチャルな遊び・ゲームは子どもやおとなの脳髄をカルト化してしまった。子どももおとなもズタズタに斬られた。心痛む事件もそこから生まれた。