本棚の隅に埋もれていた、野田正彰『庭園との対話』(NHK人間大学、1996.1~3月期)を読む。西洋の庭園は自然界にはない直線で仕切った形式に特徴がある。日本庭園は自然に溶けこむ緩やかで不規則なラインが特徴だ。その違いはどこから生じるのかを知りたいと思った。
庭園の本質を精神病理学の医師であり、比較文明学の作家でもある野田氏がズバリと述べる。「富める者は自分たちの経済的基盤であり、支配し収奪する<此の世>に背を向け、枠づけられた空間の中に人工的な楽土を構成しようとした」と。
続けて作家らしい視点でたたみかける。自然と共生することを止めた人間は文明を作った。文明は人工によって自然を支配し、破壊を繰り返しながら虚栄の絶頂にある大都市と快楽を夢想とする楽土・庭園とを形成した、のだと。
華麗で壮大な中国の古庭園は日本にも影響を与えたが、それらはことごとく破壊され残存している公園はきわめて少ないという。むしろ、日本の発掘遺跡にその痕跡が残っており、また、中国の公園様式も左右対称だったり人工的でもある。確かに、日本には神仙思想や仏教思想の影響から公園の中心に理想郷である浄土・蓬莱島を配置しているのをよく見かける。
著者は同時に、イスラム・フランス・イギリスなどの西洋式庭園をも紹介しているが、大まかに言えばその多くは幾何学的で人工的なものであり、宮殿や豪邸から直線的に奥を見通せる庭園ともなっている。まさに、日本と西洋の自然観の違いが庭園に照射されている。
つまり、日本庭園の独自性は、自然の素材をそのまま使いながら左右非対象・不規則の曲線を主流にして、それを象徴的に抽象化して空間芸術にしていることだ。
そこには、大陸の影響前から禊・みそぎの水景をはじめ、その後の枯山水庭園などの深化など、自然との調和や自然に対する敬意が込められている。それらの視点が自然を支配するという西洋の自然観との違いとしてあらわされる。とっても同感する。
庭園の専門家の多くは、それぞれの歴史的な庭園の微細な特徴を挙げているけれども、野田氏が提起しているような本源的な庭園の見かたに欠けている。そこが、研究者自身の哲学・文化の造詣の深さによるものなのかもしれない、と思えた。