年賀状を出すのをやめてからけっこうたつ。
以前、毎年、自分の写真をポストカードにして年賀状を出していたことがあった。暗室で印画紙に一枚一枚焼いて現像・定着・水洗し、乾燥してカーリングした印画紙をしばらく重石をして平らにするという大変な作業で、部屋のそこらじゅうが足の踏み場がないほど乾燥中の印画紙だらけになったものだ。それから切手を貼って宛名を書いて・・・とさらに手がかかる。ただでさえ、年末の仕事のドタバタと、帰省もあるので、作成枚数がある程度増えた時点で、もう限界!ときっぱりやめることにした。喪中とインターネットメール等の普及が進んだこともきっかけになったのだと思う。
もっとも、年賀状の良さというのはやはりあり、工夫されたデザインや添えられた一言にその方の個性が感じられるのは面白い。また、年賀状のパソコンソフトは、優れモノで、住所録管理と「一番の苦痛」である「宛名書き」、図柄印刷まで極めてきれいにあっという間にやってくれるのだ。何百枚あろうと怖いモノなしである。これはすごい。
ただ、その後には「二番目の苦痛」である「一言書き」がある。これは自分の手で書くのだろう。これがない年賀状は味気ない。いくらきれいに宛名が印字されていても、いくら年賀状ソフトのきれいな干支の絵が張り付けられていても、個性がない。目にする度にこんなのやめればいいのにと思うこと度々である。インターネットや携帯などの代替手段が普及した昨今、年賀状にこだわるのはいかがなものか(個性がない年賀状になってしまうのであれば)。もっと枚数を絞って面白い年賀状を作ってみてはと思うのだが。
私は、年賀状をやめてから、ゆったり年末年始を過ごようになった気がする。我が家の正月は、毎年、父親が年末年始、家族とろくな話もせず年賀状ばかり書いている味気ないものだったという記憶がある。それが故に年賀状が嫌いになったのかもしれない。
その父親も歳をとり、私が代わってパソコンの年賀状ソフトで作った一言書きのない味気ない年賀状を出すこととなった。それも今年が最後の年賀状になりそうである。