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今生きてる時代、そして次の時代?

2023-02-24 20:11:09 | 山が好き

                                                                                                             作品名 北信濃の集落  F4 号 333 × 242 cm  

 

最近は齢のせいか老いと言う事を如実に感じます。

夢中でカンバスへ向かい絵を制作する日常の中で知らずに絵具をたっぷり付けた筆が何故かポトッと床に

落ちてしまいます。

又は、絵具をパレットに出す過程でその絵具のチューブを床へ落としてしまう。

筆を口にくわえ次の筆を手に取ると同時に口にくわえた筆をポロリと話してしまう。

そんなことが多いい今日この頃です。

2.3年前までは決してなかった行動が目立つようになった、あぁぁこれが老いと言う事なんだと甘んじて

受け止めてしまう自分にも驚いてしまいす。

 

で、自分の意志でこの世に生を受けたわけではないが今日まで画業を生業として日々を生きていることに両親への

感謝は余り余る程の感謝しかありません。

「改めてお父さん、お母さん生んでくれてありがとう。」なんか式場の挨拶ぽくなりました。

当然両親は既に現世にはいませんが心より感謝を述べましす。

 

さて、自分の終焉は自分で決めても良いのではないかと思う次第です。

恰好よくスマートにそして出来るならセクシーに決めて次の時代へ旅立ちたいと考えます。

非常に難しいなぁと心の何処かはそう思っていますが攻めてスマートに生を閉じることが出来れば

と真剣に考える次第です。

 

少年の頃は年に幾度か幽体離脱を経験しているんです。真面目は話ですよ。

だからと言うかディジャブも経験しています。

霊感の強い少年でした。

不思議な体験は数知れず体験しています。

 

随分昔に奥秩父を一人で1泊2日で縦走して埼玉と長野の県境へ下山した時に霊の井戸端会議(らしい)に者に遭遇しました。

あッ! だんだん話が流れている、でも何とか結び付けるように頑張ります。

それは初秋の季節、本来ならば午後の3時に小さな村へ降り最終の3時過ぎのバスで茅野へ出る予定が途中で道に

迷い無駄な時間を割いてしまい何とか目的のバス停へ辿り着いたが既に最終バスは出た後でした。

幸い山深い里のバス停には小屋があり木製の長椅子は寝るのに都合も良くガラス戸の建具があるので心配もなく

残りの食料で一晩はやり過ごそうと心に決める。

初秋といえども山間は日の落ちるのも早く明るいうちに夕食を済ませ寝袋など整え疲れもあるので早々に潜り込む。

 

何か人声で騒がしいく目が覚め時計を見ると23時を少し過ぎていた、そういえば人の話し声で目を覚ましたことに

気づき外を覗くと右手山の手の方向10m程先で5.6人の人が路上で輪になって何かについて話し合いをしているのが見える。

村の会合で盛り上がりここまでたどり着いたのだと思い寝袋へ戻った。

だが一度目を覚ましたらなかなか寝付かれないのが自分の悪い癖、静かにして貰おうと小屋を出て歩き出したが近づく程に

その人影は次第に薄くなり最後は消えてしまった。 消えた? 嘘?なぜ?

下山の疲れが何かを勘違いしているのかと納得し寝に着く。

ウトウトと寝の階段を降り始めるとまた人声が邪魔をする。 フー。

何なんだと思いながらガラスの引き戸を開け声の方向を覗くとやはり村の人々は確かに円陣を作り何か語っている。

だが、待てよ、何か変だ、何かが変。

皆が皆背格好が一律で手足まで同じよで滑稽でもあることに気付いた。

更に一番大事なことは彼らはみな乳白色なのである。

 

西丸震哉氏の戦後直後の尾瀬の登山記に確か出てくる霊魂の話がある。

※西丸震哉氏は1923関東大震災直後に生まれ登山家、小説家、農林水産省等多く戦後の為に尽くされた方

確か戦地から戻り尾瀬の景鶴山の麓で一人天幕で一夜を過ごす下りに似たようなことが書いてある事を思いだ出した。

西丸氏はイラストも上手なのでその霊魂をチャンと著書にカットで残していたのを思い出し余りのそっくりなので驚いた。

 

好奇心が先立ち怖さなど一ミリも感じずまたもやその未確認へと歩を進めるが乳白色の人々はやはり影のように

消え去っていった。

 

やはり話は横へ流れたままでした。

次回はきちんとタイトルどうりのテーマを完成します。

お付き合いいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 



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