郷土の歴史と古城巡り

夏草や兵どもが夢の跡

地名由来 「片山・下牧谷・上牧谷」

2019-11-10 09:31:09 | 地名由来(宍粟市・佐用郡・姫路市安富町)
地名由来 「片山・下牧谷・上牧谷」     宍粟市山崎町


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山崎町蔦沢地区内

■片山(かたやま)
揖保川の支流伊沢川の中流左岸に位置する。

【近世】江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。もと下牧谷の一部。下村氏手控帳(下村家文書)に「下牧谷ノ内片山村」とみえ、下牧谷本村の項には「寛文八戊申ヨリ村二ツ成」とあり、寛文8年(1668)下牧谷から片山村が分村したことが記される。寛文8年以降山崎藩領として幕末に至る。当村では紙漉きが行われた家は5軒ほど。神社は、片岡神社。寺院は、日蓮宗法蓮寺。明治22年蔦沢村の大字になる。

【近代】片山 明治22年~現在の大学名。はじめ蔦沢村、昭和30年からは山崎町の大字。




■下牧谷(しもまきだに)
揖保川の支流伊沢川中流右岸に位置する。

【近世】下牧谷村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。下村氏手控帳(下村家文書)に下牧谷本村とみえ寛文8年(1668)当村から片山村が分村したとある。はじめ姫路藩領、元和元年(1615年)からは宍粟藩領。

当村で紙漉きが行われた家8軒。神社は、大倭物代主(おおやまとものしろぬし)神社。同社は伊沢谷の各村をはじめ多くの村々の氏神でもあった。なお、観音堂があり寺領として下々畑1反余を有していた。明治22年蔦沢村の大字となる。

【近代】下牧谷 明治22年~現在の大字名。はじめ蔦沢村、昭和30年からは山崎町の大字。




■上牧谷(かみまきだに)
揖保川の支流伊沢川の中流域に位置する。

【近世】上牧谷村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。はじめ姫路藩領、慶長18年(1613)備前岡山藩領、元和元年(1615年)宍粟藩領、延宝7年(1679年)幕府領と山崎藩領の相給、元禄10年(1697)三日月藩領と山崎藩領の相給となり、幕末に至る。三日月藩領では嘉永元年(1848)九鬼源助が大庄屋をつとめ、13か村を支配。下村氏手控帳(下村家文書)には上牧谷村の項に大谷村(竹内村)分と本村分が併記され、大谷村が当村から分村したことをうかがわせる。郷中古事録(織金家文書)で見える地名、横野・糸崎は今も小字名として残り、当地の北部と東部に位置している。

 神社は、住吉神社。寺院は、天和4年(1684)開基浄土宗有谷山菩提寺があった。明治6年民家を借用し牧谷小学校開校。同12年上牧谷村外10村戸長役場を設置。同22年蔦沢村の大字となる。

【近代】上牧谷 明治22年~現在の大字名。はじめ蔦沢村。昭和30年からは山崎町の大字。蔦沢村役場所在地。昭和3年蔦沢郵便局設置。同9年集配取扱および電信電話取扱業務を開始するが、同58年無集配局となる。


◇発見:片山・上牧谷・下牧谷の地名の由来は、辞書には、記述がない。上牧谷、下牧谷の牧は何を指すのだろうか。片山は下牧谷から分村し、神社は片岡神社。片(かた)という字に共通点があり、伊沢川を隔てた山麓・岡に分かれたことをいうのだろうか。片山には、片牧の苗字が多い。

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