郷土の歴史と古城巡り

夏草や兵どもが夢の跡

長水城に登る(西播磨の山城熱烈ファン14名と共に)

2024-11-05 19:16:44 | 城跡巡り

 2024年11月3日(日)快晴 午前9時30分伊沢の里に集合です。遠方の方もおられたが、全員定刻に集合されました。
 県内外から山城大好きな人たち、昨年来のスタンプラリー等で西播磨の山城11の制覇を目指す14名が、播磨随一の比高を誇る長水山(標高584m、比高480m)に残る長水城跡を目指しました。(比高は山崎町生谷104mを起点)


▲聖山城跡(愛宕山から)見た長水山


▲長水山頂上付近

 数日前より11月3日は快晴の予報で安堵していましたが、宍粟市では前日の2日の午後2時過ぎまで雨が降りしきり、市内の揖保川は大量の水が流れました。その雨で杉林の山道が滑りやすくなっているのではないか、そしてヤマビルはどうなのか。この長水山は別名ヒル山ともいわれており、昨年、今年と異常気象で暑い夏が続き、従来11月ならヤマビルは大丈夫なのですが、今年もそうとは言えない温暖な状況で、用心の為にヒル除けのスプレーを用意しました。すでに対策済の方もおられました。(結果は足元も思ったほど滑ることはなく、ヒル被害は1名もありませんでした。ただ一人靴に付いていたのを発見、やっぱりいました。)


▲長水城跡赤色立体図   ひなたJISより





▲伊沢の里の前に説明板でルート確認

 登り始めたのは9時45分。林道脇駐車場まで少し傾斜のある林道を歩きました。歩きながら参加者との話がはずみます。静岡の参加者から、新幹線の遅延での苦労話を聞いたり、昨年来の西播磨の山城の感想や城山城でヤマビル攻めにあった人の話など、終始おしゃべりしながら歩きました。


▲林道脇駐車場  ここが登山口


 今は、木の階段は一部を除いて、ほとんど朽ちかけています。30年以上前に敷いたもので、日本一長い木の階段と言われ、快適で展望のよい時代がありました。今は杉や桧が伸びて、いくつかの休息所からの景色は残念ながらまったく見えなくなりました。それでも、尾根筋には入ってからは、明るくなり歩きやすくなりました。



  歩くほどに汗ばみもしたが、適度に風が熱を飛ばしてくれて快適でした。
 午後12時20分に頂上にようやく到着。予定よりかなりずれ込みました。 それは、二カ所の堀切の確認もありましたが、転倒しないように、疲れないようにと、かなりスローペースの行軍のせいでした。(アンケートでは登りやすさは「普通」がほとんどでした。)
 最後に、かなり緩んできた鉄の階段を上り、信徳寺のお堂と、その上の宇野氏の祠(ほこら)を見ました。


 そのあと昼食をとりました。


▲集合写真


 


▲南南東の展望 中央の鉄塔の向こうには家島諸島の男鹿島が見える



▲展望 望遠で撮った写真を暗く画像処理をすると、島の向こうに橋が現れた!


▲調べてみると長水山から直線コースで淡路と徳島に架けれた鳴門大橋だということがわかった。 (*'▽')            by google earth


▲東の眼下の五十波(いかば)自治会や、少し目線をあげたところに明神山が見える。(山城ではないけれど、お気に入りの山です。)

 食事をとった後、集合写真をとり、頂上からの山々を展望して、少しばかり
宇野氏の話の後、帰着予定時間が気になりつつ早々と下山しました。予定より30分から40分遅くなりましたが全員無事に帰着できました。(^O^)/ 
 心残りは、籠城に不可欠な水場を見てもらえなかったこと。搦め手の道を7・8分)下ったところにあるのですが、立ち寄る時間がなかったのが残念でした。
 

▲見れなかった水場(横2m余り、縦1m余り)。今でも水は張っています。

 アンケート見せていただいて、概ね満足していただいたようでほっとしています。中に、「西播磨イレブンを制覇しましたが、また行きたいところが増えました。」と言われた方もあり、うれしく思いました。

 
▲それぞれの御当地武将の家紋いりのジャケットを身につけて、後ろ姿でさりげなくPR

【関連】
宇野氏が本拠とした城 長水城、篠ノ丸城
▲播磨(宍粟市山崎町)長水城
▲播磨(〃)篠ノ丸城①
▲播磨(〃)篠ノ丸城②
▲播磨(〃)篠ノ丸城跡 大手口探索  
▲播磨(〃)聖山城(篠ノ丸の支城、秀吉軍に落とされ篠ノ丸城、長水城攻撃の本陣となる。)
 聖山城と秀吉の行軍ルート  五輪さんの分布
▲播磨(〃) 塩田城
▲広瀬宇野氏滅亡後の宍粟
宇野氏の関連の城跡
▲佐用町 熊見城(米田城) 宇野氏の本貫地・姓名の地 
▲姫路市林田 松山城 本郷氏(養子となり城主)
▲美作市大原 竹山城 新免氏(養子となり城主)、のち黒田家に仕える
▲姫路市夢前町 恒屋城 恒屋氏(養子となり城主) 恒屋氏、置塩城を襲撃、陰に宇野氏が関連か。のち黒田家に仕える

宇野氏が荘園(蔦沢地区にあった二つの荘園)の代官であった記録
・ぶらり山崎地名考「蔦沢」
宇野氏が敵対し攻撃を加えたことのある武士及び城
▲姫路市夢前町 置塩城 
▲神崎郡神河町 寺前城
▲太子町 楯岩城
宇野氏は、上月城を毛利が落としたのを見て、毛利方に組みすることを決断した
▲佐用町上月 上月城 
羽柴秀吉の宇野攻めのための陣城跡 
▲宍粟市山崎町金谷 柏原城
城郭アドレス一覧





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