郷土の歴史と古城巡り

夏草や兵どもが夢の跡

地名由来 「生谷・下町・宇野」

2019-11-10 09:23:40 | 地名由来(宍粟市・佐用郡・姫路市安富町)
地名由来 「生谷・下町・宇野」   宍粟市山崎町


                                                        閲覧数1,338件(2010.1.15~2019.10.31)



山崎町蔦沢地区内

■生谷(いぎだに)
揖保川の支流伊沢川の下流域に位置する。生谷の生を「いぎ」と発音するのは事の始まりを意味し、蔦沢村の始まる地に立地するのが村名の由来といわれる。

【近世】生谷村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。はじめ姫路藩領、元和元年(1615年)からは山崎藩領。安政年間(1854~60)から紙漉(かみすき)が行われ、藩に御用紙を納めている。職人は伊予国から招いたという。神社は、岩淵神社。明治初年生谷温泉開設。明治22年蔦沢村の大字となる。

【近代】生谷 明治22年~現在の大学名。はじめ蔦沢村、昭和30年からは山崎町の大字。昭和30年生谷温泉を再開したが、のち不振で閉鎖。平成9年山崎町が主体とした第三セクター「伊沢の里」を開業し今に至る。




■下町(しもまち)
揖保川の支流伊沢川の下流域に位置する。地名は、中世長水山城の大手にあたり、武士や商人らが居住して町屋が多かったことから、町と呼ばれたことによる。隣村に中町・上町がある。
 
【近世】下町村 江戸期~明治22年の村名。播磨国宍粟郡のうち。はじめ姫路藩領、元和元年(1615年)からは山崎藩領。慶長8年(1603)姫路藩主池田輝政は「下町村」のうち265石余など計1千石を家臣の黒田四郎兵衛に与えた(黒田定清家譜)鳥取県立博物館蔵)。慶長国絵図に「下町」とみえる。神社は、巌石神社。社殿背面には約10mの立石がそびえ立ち、磐座信仰の神社となっている。小字名として、与泰寺(よたいじ)と長泉寺(ちょうせんじ)が現存し、2ヶ所とも長水城に関連する寺があったという。明治22年蔦沢村の大字となる。

【近代】下町 明治22年~現在の大字名。はじめ蔦沢村、昭和30年からは山崎町の大字。はじめ蔦沢村、昭和30年からは山崎町の大字。昭和47年町民スポーツセンター設置。平成5年山崎町学校給食センター完成。




■宇野(うの)
「かみまち」「かんまち」とも呼ぶ。揖保川の支流伊沢川中流左岸に位置する。地名は、背山の中世の長水城主宇野氏にちなむ。

【近代】宇野村 明治初年~明治22年の村名。宍粟郡のうち。明治6年玉鉾学校開校、同9年唯称寺に移り伊水小学校と改称。

【近代】宇野 明治22年~現在の大学名。はじめ蔦沢村、昭和30年からは山崎町の大字。

□上町村(かみまちむら)

【近世】江戸期~明治初年の村名。播磨国宍粟郡のうち。「かんまち」ともいう。当村から中町村が分村。分村年代は寛文年間と思われるが、不詳。揖保川支流伊沢川の左岸。村名は、地内の背後にある長水山城の大手に当たり武士・町人の住居が集まり、町場を形成したことによる。「正保郷帳」では、「伊沢ノ上町」と見える。はじめ姫路藩領、元和元年(1615年)からは山崎藩領、延宝7年(1679年)幕府領(林田藩預り地、大阪城代内藤氏領、姫路藩預り地、京都代官支配、三日月藩預り地、大坂・生野・倉敷各代官所支配)、明和6年(1769)からは摂津国尼崎藩領。

 現存する小字として町裏・町屋敷・天子・天地・殿町・構があり、長水城の城下町がこの地にあったことをうかがわせる。

 当村は紙漉の盛んな村で楮も栽培し伊沢谷随一であった。神社は、武速(たてはや)神社。寺院は、浄土真宗本願寺派唯称寺の前身の庵があった。明治初年に中町村と合併して、宇野村となる。

□中町村(なかまちむら)

【近世】江戸期~明治初年年の村名。播磨国宍粟郡のうち。もと上町村の一部、寛文年間(1661~73)同村から分村して成立したと思われる。

当村では寛文年間(1661~73)すでに紙漉が行われていたという。明治初年に上町村と合併して、宇野村となる。


◇今回の発見:播州は古くからの和紙の生産地で、蔦沢地区の伊沢川流域は、紙漉き業が特に盛んであったこと。長水城主宇野氏の城下に上町・中町があり(現在の宇野)、その地名の名残が下町だということ。

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1 コメント

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グローバル聖地 (元鉄鋼商事関係)
2024-12-09 06:24:44
それにしても古事記はすごいよな。ドイツの哲学者ニーチェが「神は死んだ」といったそれよりも千年も前に女神イザナミ神についてそうかいてある。この神おかげでたくさんの神々を生まれたので日本神話は多神教になったともいえる。八百万の神々が出雲に集まるのは、国生み・神生みの女神イザナミの死を弔うためという話も聞いたことがある。そしてそこから古事記の本格的な多神教の神話の世界が広がってゆくのである。私の場合ジブリアニメ「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」「天空の城ラピュタ」などのの感想を海外で日本の先進的な科学技術との関連をよく尋ねられることがあった。やはり多神教的雰囲気が受けるのだろうか。
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