快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  弥助に関する当ブログの記事一覧

2024-08-04 18:52:03 | 明智光秀
 弥助に関しては世界的に話題となっているようです。
 当ブログでは弥助に関連する記事を既にかなり書いて来たのでここで列挙しておきます。

仕組みとアプローチ -   弥助は本能寺からなぜ脱出できたのか
2020/11/13 12:56:04

仕組みとアプローチ -  6月1日の茶会の後、信長が外出していない事はどうしてわかったのか
2020/10/21 18:14:03

仕組みとアプローチ -  弥助が本能寺から二条御新造に行ったと言う事の不可解な点
2020/01/28 21:14:31

仕組みとアプローチ -  本能寺から信長の首を持ち出さずにデスマスクだけを残せた可能性について考える
2020/01/27 18:16:19

仕組みとアプローチ -  変の当日、本能寺に信長と共にいたイエズス会関係者は何と3名
2020/01/25 19:58:54

仕組みとアプローチ -  織田信長と信忠の落命を把握できたのは誰か
2019/12/11 18:18:42

仕組みとアプローチ -  談合の臭いがする備中高松城の水攻め
2019/12/11 17:57:58

仕組みとアプローチ -   弥助を助命した明智光秀 これが意味するのは光秀によるイエズス会との連携構想
2019/06/09 14:39:16

仕組みとアプローチ -   本能寺の変と山崎の戦いの謎 織田長益(有楽斎)らが生き残った事が意味する可能性
2019/05/08 08:16:30
カテゴリー:明智光秀

仕組みとアプローチ -   本能寺の変と山崎の戦いの謎 中川清秀が信長襲撃に深くかかわっていた可能性を考える
2019/05/05 08:47:07

仕組みとアプローチ -   本能寺の変 イエズス会に関係する3人が信長と共に当時宿泊していながらいずれも無傷
2019/03/17 18:41:47

仕組みとアプローチ -  明智光秀を敗死させた黒幕は誰か
2018/05/20 10:17:26

仕組みとアプローチ -  本能寺の変 弥助は日本の歴史を変えたのか
2017/12/06 20:25:33

仕組みとアプローチ -  本能寺の変 信長の首をイエズス会に横取りされてしまったというアクシデント発生の仮説
2017/12/05 20:55:17

仕組みとアプローチ -  本能寺の変 変の当日に本能寺に宿泊していたのは博多商人でもあり茶人でもあった2人と弥助
2017/12/05 00:45:31


 以上です。











仕組みとアプローチ -  徳川慶喜と明智光秀

2024-02-22 08:44:54 | 明智光秀
 徳川幕府最後の第十五代将軍となった徳川慶喜。
 その名には「慶」の名が有ります。
 徳川家康の後継となった徳川秀忠には秀吉から賜った「秀」の字が有り、その後は徳川幕府将軍に「秀」の字が入っている例はありません。
 秀吉から賜った秀の字など、徳川家にとっては屈辱なわけでそんな字をその後の将軍の名にいれるはずは無かったのでしょう。
 そして秀吉から始まる豊臣家が大坂の陣で滅亡し、豊臣家の影響が無くなった後の1620年に竹千代の名から改めたのが、第三代将軍の家光なのですが明智光秀の「光」の字を敢えて入れたのは何故か?
 そして徳川幕府最後の将軍となる徳川慶喜には何故か明智光慶の「慶」の字が入っているのも何故か?

 明智光秀 ― 明智光慶
 徳川家光 ― 何代かの将軍 ― 徳川慶喜

 天海と明智光秀、そして明智光慶の関係を明示する史料は今も見つかっていません。
 ですが秀吉らから勝手に「謀反者」のレッテルを貼られてしまった明智光秀、その嫡男の明智光慶の字をわざわざ徳川家が将軍の名に、しかも豊臣家から完全独立後の最初の将軍と最後の将軍の名に入れると言うのはそれなりの意味が込められていたのではないでしょうか。
 


仕組みとアプローチ -  明智光秀と鉄砲三段撃ち そして家康

2023-05-07 12:23:06 | 明智光秀
 長篠の戦いで採用された「鉄砲三段撃ち」については当ブログで既に記事にしていますが、時折このテーマに関してアクセスが増える事が有るので、わかりやすいようにここで過去の記事について新しい記事から順にリストしておきます。


仕組みとアプローチ -  鉄砲三段撃ちと明智光秀は関連性が有った、と筆者が見る理由  その13
2020/01/05 08:58:42

仕組みとアプローチ -  鉄砲三段撃ちと明智光秀は関連性が有った、と筆者が見る理由  その12
2020/01/03 08:58:55

仕組みとアプローチ -  鉄砲三段撃ちと明智光秀は関連性が有った、と筆者が見る理由  その11
2019/12/29 21:52:39

仕組みとアプローチ -  鉄砲三段撃ちと明智光秀は関連性が有った、と筆者が見る理由  その10
2019/12/26 12:53:00

仕組みとアプローチ -  鉄砲三段撃ちと明智光秀は関連性が有った、と筆者が見る理由  その9
2019/12/26 11:53:44

仕組みとアプローチ -  鉄砲三段撃ちと明智光秀は関連性が有った、と筆者が見る理由  その8
2019/12/25 12:22:24

仕組みとアプローチ -  鉄砲三段撃ちと明智光秀は関連性が有った、と筆者が見る理由  その7
2019/12/25 08:40:29

仕組みとアプローチ -  鉄砲三段撃ちと明智光秀は関連性が有った、と筆者が見る理由  その6
2019/12/24 17:44:14

仕組みとアプローチ -  鉄砲三段撃ちと明智光秀は関連性が有った、と筆者が見る理由  その5
2019/12/24 12:50:16

仕組みとアプローチ -  鉄砲三段撃ちと明智光秀は関連性が有った、と筆者が見る理由  その4
2019/12/24 08:37:49

仕組みとアプローチ -  鉄砲三段撃ちと明智光秀は関連性が有った、と筆者が見る理由  その3
2019/12/24 01:33:48

仕組みとアプローチ -  鉄砲三段撃ちと明智光秀は関連性が有った、と筆者が見る理由  その2
2019/12/23 22:17:07

仕組みとアプローチ -  鉄砲三段撃ちと明智光秀は関連性が有った、と筆者が見る理由  その1
2019/12/23 17:43:42


 この件についての真相を家康が知っているはずなのは言うまでもありません。


仕組みとアプローチ -  信長はなぜ上総介を名乗ったのか 上総介広常は平氏系の「平広常」

2022-06-05 20:00:17 | 明智光秀
 その理由の一つはやはり信長の織田氏が平家系で、上総介広常が「平広常」と言う通り平家系だった事も有るのでしょう。
 平氏が源氏系に滅ぼされた事を信長が強く意識していたのかどうか、そして明智光秀の土岐一族は源氏系、家康の松平(後の徳川)も源氏系だった事も信長は意識していたのでしょうか。
 信長の時代になるまでも果たして「平氏系と源氏系の暗闘が有ったのかどうか」と言うのは今となってはわかりません。
 ですが用心深い信長は源氏系である明智光秀と松平(徳川)家康について強く警戒していた可能性と言うのはゼロでは無かったと思っています。
 桶狭間の戦いで信長に首を取られた今川義元は源氏系、長篠の戦いで信長に惨敗しその後滅亡した武田氏もまた源氏系です。

仕組みとアプローチ -  茨城県は「イバラキケン」と読む

2021-11-03 18:22:17 | 明智光秀
 災害とは関係ない話になるのですが、茨城県民の方が茨城県を「イバラキケン」と読んでもらえず、
「イバラギケン」と読まれるのを悲しむ事が有るとかの話を時々聞きます。
 何でこうなるのか?ですが、それは単純な理由かも知れません。
 宮城県は「ミヤギ」なので同じ「城」の字が有ればやはり「茨城」も「イバラギ」と読まないといけないナ、となるのと、もう一つは大阪府に「茨木市(イバラキシ)」と言うのが有って、もし「茨城」を「イバラキ」と読んでしまうと「茨木市(イバラキシ)」と区別がつきにくくなるから、と言うのが有るのではないでしょうか?
 そもそもこの地域は常陸土岐氏の拠点であり、その後は水戸徳川家、そして現代では常陸宮様の名にも有る由緒ある地域なのに何で茨城県と言う県名がつけられたのか、と言うのは謎です。
 常陸県とかにすれば良かったのかな?